2021年6月30日水曜日

2021.06.30 エトランジェ ディ コスタリカ の re-Collection Pocket を使い終えた

● 3月16日に使い始めた エトランジェ ディ コスタリカ の re-Collection Pocket をやっと使い終えた。
 ノートは1冊しか使わない。用途に応じて複数のノートを使い分けることはしていない。そもそも,分けるほどの用途を持っていない。

● この小型ノートを使い切るのに3ヶ月半もかかったのは,中紙が104枚ほどあるのも理由のひとつだけれども,それはあまり関係ない。
 要は,書かなくなっているからだ。なぜ書かなくなっているのかといえば,楽しくないからだ。

● ではなぜ楽しくないのかというと,ひとつはC罫であること。ぼくは小さい字を書くのでC罫の中に余裕で収まる。それでも窮屈感がけっこうある。
 もうひとつは,万年筆だと時に裏に抜けることがあるので,ボールペンを使っていたことだ。少しザラッとした紙に万年筆で書くのが,書いてる感があって楽しい。re-Collection Pocket を使ったことによって,万年筆を断念することになった。
 ちなみに,その楽しさを味わうのにお金は要らない。ダイスキンと Preppy でいい。ぼくは Plaisir を使っているが,1,000円の万年筆で欠けるところは何もない。

● 自分で招いたこととはいえ,長い冬だったよ。明日からダイスキンに戻れる。ペンも万年筆に戻せる。ダイスキンはプラチナのインクなら裏抜けはないから。
 re-Collection Pocket を使っている間は,ノートにもペンにも安定感を感じていなかったので,筆記具で迷走することがあった。鉛筆を使ってみようか,と。絶対に裏抜けはないわけだし,適度に筆記摩擦があって書きやすいんじゃないか。そんなことを思って,実際に鉛筆をけっこうな本数,買ってしまったし,ノートもモレスキン買いに走ったりした。
 全部,無駄なことだったし,無駄になることもわかっていたんだけど,気持ちイライラしてたんですかねぇ。書くという行為の快が減ってしまって。

● re-Collection Pocket に見切りを付けて,サッサと次に移っていればよかったかもしれない。けれども,袖振り合うも多生の縁というのは,人とモノとの間にも成立つと思っていてね。
 使い始めた以上は使い切る。相手にフラれることはあっても,自分からフルことはしない。というわけで時にイライラしながら,時にウンザリしながら,そして時に書くのを休んでしまいながら,ともかく使ってきた。

● もうすぐ書くスペースがなくなるというところまで来てみると,満身創痍になった re-Collection Pocket が愛しくも思えて来るわけだが,同じノートを使うつもりはもうない。
 その前に,ゴムバンド付きの re-Collection Pocket が現在も販売されているのかどうか。ぼくが購入した店には置かれていない。

● もちろん,このノートがダメだというのではなく,自分との相性が良くなかったということだ。そういうことにしておきたい。
 C罫の他に,方眼や無地もあったわけだし,このノートを快適に使えている人はあまたいるだろうから。

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