● 何を書くと決めているわけではない。そのときの気分で書き散らしているに過ぎない。
仕事のことも書く。が,圧倒的に少ない。多いのはプライベートに属することがらだ。趣味のこと,ときにToDo・・・・・・。何をしたか,どこで何を食べたか。
そういう外形的なことがらを書き綴っている。日記のようなものになっている。
● 自分がどこに体重を掛けているか。ダイスキンを見ると明らかになる。自分が書いたノートはたしかに自分を見える化している。
あ,自分はこういう人間だったのか,まるでたいしたことないな,とキチンと認識できる手段となる。
● ダイスキンを心の憂さの捨て所にできればと思っていた。けれども,憂さを文字にしてノートに捨てるというのは,言うほど簡単ではないようだ。憂さを文字に変換するにはかなりのエネルギーがいる。怒りをぶつける,悲しみを綴るというのも同様だ。
ぼくは,そういうことがあるとノートに向かわなくなる。ここできちんと文章にしておける人はたいしたものだと思う。
● それができる人は強い人だ。そうした強い人が世の中にはいるもので,たとえば林真理子『野心のすすめ』には,彼女が不遇の時代にそうしていたことが書かれている。むしろ,そうすることが唯一の耐え方だったと。
ぼくはそういうときには独り言を言っている。あるいは,脳内で妄想を繰り広げている。その独り言や脳内妄想を文章に固定できればと思うし,現にそれができるひとを尊敬する。
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