● 右は2月20日の読売新聞。
楠田さんにとって,この万年筆の価値は,モンブランの限定品だってことじゃなくて,大滝秀治さんからの頂き物だってところにある。センチメンタルバリューだ。
だから,おいそれと使う気にはなれない。いざ鎌倉というときに使う。あるいは,いざ鎌倉に対応できる自分になったら使う。
● 楠田さんにそう思わせる,大滝秀治さんは凄い人だと思う。が,こういう関係というのは,親子の間でも成立するだろうし,夫婦間でも成り立つだろう。
わりとこの関係は成立しやすいものではある。相手への思い入れで決まるからだ。
● 結局,モノにまつわる価値ってのは,すべてセンチメンタルバリューになるのかもしれない。モノそれ自体じゃなくて。
ただ,そうはいっても,センチメンタルバリューを担えるだけのものでなければならない。この記事の場合は,モンブランの限定品だから大滝秀治さんを支えることができたのかもしれない。
● もう一点。センチメンタルバリューを担うブツというと,たぶん,文房具(なかでも,筆記具)が一番多いだろうとも思う。文字表現を担う道具だからだ。
表現された文章の中に書き手が宿る。書き手の魂が入る。実際にはどうなのかわからないけれど,一般的にそう思われている。
筆記具は自分の分身になりやすいのだと思う。それゆえ,センチメンタルバリューの担い手にはピッタリなのだ。
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