● 筆記具は自分の分身になりやすい。そうだとすると,あまりに安いものを使うことには抵抗を感じる向きがあるだろうと思う。自分が安くなったような気がする。
ぼくは文具の大半を百円ショップで買うようになっている。そういう人はたくさんいるはずだ。
けれども,勝負文具というのが別にあって,それは文具店や百貨店で買うってのが普通かもしれない。
● もちろん,筆記具が自分の分身だなんてのは,つまるところは錯覚にすぎない。そんなはずはないのだから。
自分に揺るぎない自信を持っている人は,筆記具に限らず,持ち物にはあまりこだわらないのじゃないかと推測する。持ち物で武装する必要がない。持ち物で自分に付加価値を付ける必要がない。
● 一方で,自分に自信のカケラも持てないという人もいるだろう。そういう人たちもまた,勝負文具などというものには無縁だろう。
だが,しかし。大半の人たちは,その中間。
● スターバックスでノートパソコンを広げている人がけっこういるけれど,そのパソコンはMacがかなりの比率を占める。彼らの多くは,Macを使うことによって,心理的に武装しているつもりになっているのじゃないかと思うことがある。
Macには(Windowsとの対比でってことだけど),体制に属さない,会社に飼われているサラリーマンではなく自立した個人だ,知的な上流階級に属するクリエイティブな人間だ,といったイメージが今でもあるように思う。そうしたMacのイメージに寄りかかって,自分に付加価値を付けようとしているのではないか。つまり,中間層だ。
● 自分に自信があればそんなことをする必要がない。Macを使っているとしても,使いやすいからMacを使っている。
スタバのお客さんの中には,そういう人もいるのかもしれないけどね。
● では,ぼく自身はどうかというと,やはり中間層に属する。ただし,勝負文具は持っていない。ペンは家でも外でもPreppyを使う。
これは,たんに勝負の場に臨むことがないからだ。営業で成約したときに使う万年筆とか,売場でお客さんに貸すボールペンとか,そうしたものを必要としていないということ。暢気な人生をやっているからだ。
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