発行所 玄光社
発行年月日 2015.10.01
価格(税別) 1,600円
● 昔は手帳といえばビジネス手帳に決まっていた。厳密には違ったけど,色は黒が圧倒的に多かった。手帳はお仕事の道具なのだった。
ゆえに,手帳にはダサさがあった。オッサンが使うものだもん。女性は手帳を持たない人が多数派だったのではないか。
● その感覚を今も引きずっている人がもしいたら(いないと思うけど),時代錯誤の誹りを免れない。お仕事手帳が今でも最も多いだろうけれど,そうじゃないのがたくさんある。
そうじゃないのを仕事に使っている人もいるだろうし,お仕事手帳を仕事じゃない用途に使っている人もいるだろう。
● 手帳をデジタルに置き換える工夫は昔からあった。その名も電子手帳というのを,シャープやカシオが生産していた。
Zaurusというのもあった。懐かしいな。これを使っている人はけっこういたけど,実用になったんだろうか。
Palmっていうのもあったね。これは小さな巨人だなんて要ってる人がいたよ。Palm専用の雑誌があってね。
● 今はスマホが普及して,スマホでGoogleカレンダーを使う。手帳のデジタル化がやっと実現可能になった。
が,それと比例するように,紙の手帳が増えた。バラエティーが多彩になった。売上も伸びた。
● もうひとつ,手帳の大型化が進んだ。お仕事手帳しかなかった頃は,手帳は小さいものだった。能率手帳が小さいとは感じなかった。
が,それから幾星霜。バイブルサイズのシステム手帳が一世を風靡した。それが契機になったのかどうかは知らないけれど,大型の手帳があたりまえになった。
手帳の大型化が始まったのと,自殺者が顕著に増え始めたのは,時期的に重なるのじゃないかと思う。大型化が行くところまで行って落ちつくと,自殺者の増加もとまった。
● 牽強付会だとわかってますよ。でもね,手帳が大型化するって,あんまりいいことじゃないと思っているんですよ。
A5サイズで見開き2ページで1週間分のバーチカルのスケジュール欄があるなんて,異常でしょ。そんなに細かく管理しなければ仕事が回らなくなってるとするなら,それ自体がおかしいと思う。
自分の人生をそこまで仕事に明け渡していいのかよ。仕事にそこまで大きな顔をさせておいていいのかよ。
● いや,そうしないとクビになってしまうっていうなら,今の企業や役所が分不相応のふるまいをするようになったってことだよね。何とかとめる方法はないものかね。
仕事をゲームと捉えて,のめり込める人ばかりじゃないんだけどね。そういう人はそういう人なりに工夫はしなきゃいけないけど(言われなくてもやってると思う)。
● さらにもうひとつの特徴は,手帳が分厚くなってきたってことだ。1日1ページの手帳が市民権を得た。ほぼ日手帳が起爆剤になった。それ以前にEDiTやモレスキンが存在していたのかもしれないけど,ほぼ日手帳によってこれらの知名度もあがったのではないか。
部厚くなったのはビジネスからの要請ではない。ここが大型化とは違うところ。ここでもほぼ日手帳が示した航路の影響が大きい。「手帳=スケジュール帳」を明確に否定するところから始まった,っていうね。
● で,この『手帳事典』なんだけど,昔からあるお仕事手帳はあまり出てこない。最近登場したもの,しかも,たとえば自分手帳のようなインパクトがあるものがメインになっている。
デザイン手帳やエッジが立っている(と思われる)手帳が絵になりやすいのかもしれない。
ちなみに,ぼくが使っているBindexのNo.011などは,まったく出てこない。
● 巻末の土橋正さんの発言から,ひとつだけ転載。
実は,予定ってそんなに書くことがないんですよね。それよりも,人はタスクのほうを多く抱えている。(中略)スケジュール管理が大変っていうのは,実はタスク管理の大変さなんだと思います。(p189)
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