● もう何度も来てるんですけどね。また来ちゃいましたよ。同じラゾーナにあるLoFtに比べると,客密度は薄いのだけれど,レジに行列ができている。来店者の購買率が高いんですかねぇ。
● 丸善といえば舶来ものの高級品を売るところというイメージがまだある。ので,意識して高級品の棚を見て回る。万年筆とシステム手帳になるんですけど。
万年筆は消耗品というよりは備品。それゆえ,高級という観念が入り込む余地ができる。
● さりながら,万年筆っていうのは安いものでも長く保つ。ぼくが使っているプラチナの Plaisir は千円万年筆だけれども,10年はどうか知らないけれども,5年は保つだろう。
実際,ぼくの Plaisir も4年を過ぎて5年目に入っている。その程度は余裕で保ってくれるのだ。ひょっとしたら10年保ってしまうかもしれない。
その間,カートリッジインクを使い続けるので,メーカーはカートリッジインクで儲ければいいし,以前からそういうビジネスモデルになっているはずだ。万年筆は赤字でも広く撒いて,消耗品であるカートリッジインクなり瓶のインクをたくさん売って儲ける。
● ともあれ,そういうわけなので,万年筆はそう何度も買うものではないと思っているのだが,世の中にはコレクターという種族が存在する。じつは彼らがメーカーを支えているのではないかと思うくらいなのだが,下手すると二桁の万年筆を所有して,しかもそれらを使い分けているという,信じがたいテクニシャンもいる。
万年筆に人生を明け渡しているのじゃないかとも思うのだけども,楽しみとはすべからくそういうものだ。
● システム手帳だとフランクリン・プランナーの充実ぶりが目につく。最近は特に。フランクリン・プランナーがどういうものかは,『人生は手帳で変わる』というタイトルのガイドブックを読んでもいるので,だいたい承知している(つもり)が,実際に使ってみようと思ったことはない。
なぜというに,あまりに窮屈で息苦しさを感じたからだ。ここまでカチッと作られたフォーマットに自分の生活を合わせるというやり方でいいのか,と思ったからだ。自分の生活は生活をどう設計すべきかを考えるためにある,それだけのためにある,となってしまいそうだと思った。
しかし,この状況を見る限りは,買う人が多いのだろう。ぼくは食わず嫌いだったのか。でもこの歳になって,しかも仕事を離れているんだから,今さらフランクリン・プランナーはあり得ない。
それを丸善が独自に考案したのなら大したものだと思うんだけど,メーカーが作っているんだろうね。あるいは,こういうものを主に手がけるところがあるんだろうか。
ぼくはひたすら文字を書くだけだから,野帳はLEVELBOOKを使う。左ページの縦線は無視して,普通の横罫ノートとして使っている。味も素っ気もない使い方だ。
● NOLTYのハードカバーノートを手に取って考えた。自分がこのノートを使うことがあるだろうか。A5サイズだし,3千円もする。
ま,ないと思うんだけども,ノートやペンは高いといっても知れている。だからあってもかまわないのだけど,そこが貧乏性の為せるところだ。今だって,エトランジェ ディ コスタリカ の re-Collection Pocket からダイスキンに戻りたいと思っているくらいだから。
いつでもメモを録れる状態に自分を置いているっていうのは,言うなら,中段に構えて隙がないというふうに見える。
● もちろんジェットエースじゃなくたっていいわけだ。ロディアのNo.11でもいいわけだ。何だっていいのだ。
じつはぼくもロディアNo.11をカバー付きで持っている。携帯用のボールペンもある。だから,いつでもメモの態勢を取ろうと思えば,今からだって取れるのだ。
しかし,取ろうとしない。この一点において,ぼくはぼくを尊敬できない。
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