こういうものを使う人は,書き心地や実用性では選ばない人だよね。それを使っているときの自分の格好や佇まいと自分がいる場所の有り様をイメージしているんだろうかねぇ。
● プラチナの100万円万年筆「Century “THE PRIME”」のプラチナ仕様もまだある。売れたので次を見つけて仕入れたのではなく,いかな蔦屋書店であっても売れないで残っているのだろう(と思いたい)。
こういうものは,お金持ちだから買う,貧乏だから買わない,というものではない。富貴は関係ない。つまらない理性に縛られていたのでは買えない。跳んじゃった人じゃないと。
● 蔦屋書店内のイベントスペース「GINZA ATRIUM」では「DAWN EXPOSITION 2021.04」を開催中。「京都芸術大学からデビューする気鋭アーティスト9名の企画展」と題して,京都芸術大学の修士を終えた人たちの作品を集めている。
正直,ぼくには手も足も出ない。せめて手くらいは出ないかとジタバタするのも諦めている。
● 銀座のこの場所でこれだけのスペースのギャラリーを確保するのに,家賃はいくらかかるだろうか。という下世話なことをどうしても考えてしまう。
その高価なスペースを大学院を終えたばかりの若手の作品を展示するのに提供するとは,蔦屋書店は太っ腹。販売もするのだが,値段はしれたものだろうしなぁ。
いや,ホントに充分で,これ以上何を望むのだという水準でしょうよ,日本メーカーの百円ボールペンは。ここまでのものをこんなに安く作っちゃって,自分で自分の首を締めてないか,と言いたくなるよね。
● モンブランの万年筆のほかにノートもあって,これがバカ高い。胸が悪くなるほど高い。今のモンブランってどうなんですか。おかしなことになってないんですか。
昔,細身の万年筆を買って,見事にハズレを引いた。でも,その頃のモンブランはノートには手を出してなかったし,どこかにストイックさを感じさせた。
しかし,やはり目の保養にとどまるのだ。自分がトラベラーズノートを使っている図は浮かんで来ないのだ。
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