2026年4月25日土曜日

2026.04.24 日記と「モーニングノート」

● 吉村萬壱さんの 𝕏 のポストを見ましてね。凄いものだと感じ入った。
 吉村さんは芥川賞作家でもあり,多くの原稿を書いているはずだが,それ以外に中紙100枚の B5 Campus を4カ月ちょっとで使い切るくらいの日記を書いているのだ。原稿も手書きなんだろうか。

● 自分の場合は 𝕏 へのポストが日記代わり,とリプしてる人が結構いるのだが,それは違う。SNSへの投稿は日記にはならない。ログを残すことと日記を書くことは,全然別のものだ。
 SNS への投稿は自分でも何度か読み返すのではないか。日記というのは書いたら終わり。読み返すことはほぼない。けど捨てられない。その何とも形容しがたいモヤッとしたところが,つまりは日記というものだ。

● ここから自分に引きつけて言うと,日記を読み返す気にならないのは,そこに自分の吐瀉物が残っているからだ。汚いものを何でわざわざ目に入れるのか。
 𝕏 へのポストを見返してしまうのは,ひとつには短い文章だからというのもあると思うけれども,毒にも薬にもならないことしか書いてないので,抵抗なく読めるからかねぇ。

● リアルのコミュニケーションでも同じですよね。毒にも薬にもならない,どうでもいいことをやり取りしているから,コミュニケーションがコミュニケーションたり得ている。
 どうでもいいことではないことをやり取りしなければならないとなると,大なり小なり緊張を強いられる。場合によっては胃が痛くなるような状況になる。

● 日記は時にそうなることがある。そういうことを書くこと自体が相当なエネルギーを要するので,本当に辛いときには日記も手帳も空欄になることが多いのだろうけど。
 SNS がゴミの山と化すのも,それが理由のひとつだと思う。コミュニケーションに快を求めれば,やり取りする内容はどうでもいいものにならざるを得ないものでしょう。

● 無理に日記を書く必要など全然ないと思う。が,吐きたいときには吐いた方がいい。吐きたくないときでも,脳内にあるものをすべて外に出すとスッキリするという効果はたしかにある。
 その際,キーボードで悪い理由はないのだが,手書きの方が吐きやすい気はする。

● で,吐き切るためには,書くことはもうないとなってからどれだけ粘れるか,が勝負だ。それこそ無理にでも捻り出す。量を出さないといけない。
 これって疲れるから(疲れるけれどもスッキリする。疲れずにスッキリしようとするのは虫が良すぎる),毎日やるのは無理だと思うんだけど。
 しかも,あまり時間をかけては意味がない。短時間で勢いよく吐き切らないと。それがぼくはできないんですけどね。

● 同じ理由で,これをやるには普通のノートに限る。日記帳のレイアウトになってるものではスペースが制約される。
 あんなものを使って書くくらいなら書かない方がいいかも。ただし,連用日記はスペースが揃っているところが味噌だから,また別の話になる。

● 粘らなきゃいけないんだけれども,時間をかけすぎてもいけない。ここが厄介ですかねぇ。そうして,書いたものは読み返さないと決める。
 だったら使い終えたノートはさっさと捨てればいいようなものですが,それができないところが,また,何というのか,摩訶不思議なところだ。

● ただし,吐きだすことを重視すると,日記というよりジュリア・キャメロンの「モーニングノート」に近いものになる。
 「モーニングノート」は新参者で,日本語で日記というときには,自分を文人に見立てて,1日のよしなし事とそれに関する自分側の事情をサラサラと書いていくものというイメージになるだろう。しかも,和歌や俳句が咲き競う国の日記なのだから,あまり長ったらしいのはいけない。短いのが好まれる。
 それゆえ,以上に述べ来たったところは,「日記」にはあてはまらない。先に「自分に引きつけて」と申しあげた所以だ。

● 「モーニングノート」は,頭にあるものをA4ノート3ページに書いて吐き出すというものだが,これを毎朝やるというのだから,実行できる人は超人だと思う。
 A4ノート3ページ書くなんてのは,年に1回でもできないんじゃないか。しかも,毎朝,出勤前にやるのだ。そんなことができるのは並みの人間ではない。

● 限られた時間にそれだけの量を出すには,ペンを止めてはいけない。ペンを止めないためには考えてはいけない。
 書くことの内容をいちいち評価づけてはいけない。感情移入してもいけない。自分の頭の中にあるものを他人事のように捉えてないといけない。
 頭の中をスッと見ていなければいけない。力まないでスッと。そうして,頭の中にあるものをひたすら吐き出すことに集中する必要がある。

● たぶん,慣れや慣れによって得られるコツのようなものもあるんじゃないかと思う。だからまずはやってみろ,となるのだろうけれども,A4で3ページですよ。
 これさぁ,アルファベットで書いて3ページなら,かな漢字混じり文の日本語の場合は半分の1ページ半でいいことにしませんか。

● 英語の LOVE は愛ですよ。FAMILY は家族ですよ。4文字を1文字,6文字を2文字で表記するんですよ。アルファベット1文字は1バイト,日本語の1文字は2バイトでしょうよ。𝕏 の文字数制限でも,日本語は140字だけど英語は280字でしょうよ。しかも,アルファベットは横長に引っ張ろうとすればいくらでも引っ張れる。
 日本語で書くのにA4・3ページをそのままにしておくのは,配慮にかけるんじゃありませんか。

● A4で1ページ半でも,A6だと6ページになる。毎朝,A6に6ページも書けるか。こうした量勝負に,日本人の多くはシラケてしまうんじゃないのかなぁ。意味と効用は理解するけれども,と。
 紀貫之の『土佐日記』以来,日記は短いもので,感情は露にするのではなく,抑えめ,控えめに表現してこそ,読み手に強く伝わる,と日本人は思ってる。

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