● 帰りの車中で,NHK-FMから流れてくる“三森すずことアニソン・パラダイス”を聞いていたら,三森すずこが「文通したい,手紙を書いてみたい」と言っていた。
今はメールなりチャットなりで文章のやりとりは即時にできるわけだけど,それがあたりまえになってみると,昔やっていたように便箋にペンで手紙を書き,封筒に入れてポストに投函することをしてみたくなるものなのか。
● 自分が中学生だった頃,文通というのは自分の世界を広げてくれるものだった。正確にいうと,そのように思えるものだった。まったく知らない人と手紙でいろんなことを語り合う。そういうことを自分もしてみたいと思った。
学研の中1コースなんて学年誌にペンパル募集というコーナーがあって,それを飽かず見ていたものだ。その人と文通している自分を想像して,ウットリしていたのだろう。
● しかし,それは文通というものに稀少性があったからでしょうね。今のSNSのようにそれがあたりまえになると,夢や幻想は萎んでいく。
メールだってSNSだって,その黎明期には自分の世界を変えてくれるかもしれないものに見えたではないか。それが普及して自分もあたりまえのように使うようになると,そんなものでは自分の世界は1㎜も動かないことがわかる。
● 大学時代には高校の友人と文通をしていた。当時はメールもネットもないから,それが遠隔をつなぐほとんど唯一の手段だった(電話を別にすれば)。
そういうことをしている人は多くはなかった。多くはなかったから,彼からの手紙の束が自分の財産のようにも思えた。
● 以上のことを重々承知したうえで,また手紙を書いてみたいものだという気持ちがぼくにもある。数年前,呉竹のLetter Pen を買ったのも,そんな気持ちが前提にあってのことだったろう。
で,それがわりと一般的になっているのかもしれない。というのは,文具店に行くと手紙関連,便箋だとか封筒だとか,の売場が拡張されているからだ。
かといって,便箋に何枚も書いて分厚くなった封筒を受け取るのはあまり嬉しくないかもね。そういうのはさすがに時代に合わなくなっているのではないだろうかね。長電話は今もあるのかもしれないけれども,長手紙っていうのはね。
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