使い勝手のいいものを使っていくのは当然で,今のところ,使い勝手を決める要素は軽さとグリップの太さだと思っている。そこから出てくるのは,この「鉛筆屋のシャープペン」とコクヨの「鉛筆シャープ」(ただし,Seria版。Campus Junior Pencil の判形)になる。
前者は2本,後者は10本くらいある(0.7㎜は2本)。なかなか壊れてくれないだろうから,これだけあればもう買い足す必要はない。
● シャープペンといい補助軸といい,使いやすいと思うのはプリミティブで安価な製品だ。高額品には手を出さないから,つまり安価なのしか使わないから,そうなるのであろうけれども(唯一,ミミックに触手を伸ばしてしまった)。
安価なもので充分なのに,安価じゃないものがなぜ出回るのか。需用があるからだ。買う人がいるからだ。日本だけのことではない。欧州でも中国でも同じこと。
● ここがねぇ,人間の不思議なところ。洋服や鞄になるといっそう顕著なわけだが,高級な質感だのデザイン性だのという,よく考えると訳がわからないものになぜ惹かれるのか。
他者と差別化したい,他者より優位に立ちたい,かつそれを他者に知らしめたい,という欲求ゆえ?
● 着心地が良くて快適だから,というのはたぶん嘘だと思うんだよ。着心地だけを取り出せば,もっといいものがもっと安いものの中にもあるんじゃないか。
長く使えるから結局はお得だ,というのも信じがたい。長く使っている人をあまり知らないからだ。
● おそらく,エスタブリッシュメントという幻想を勝手に作って(作らされて),そこに近づこうとしているのだろうか。貧乏人が貴族ごっこをしても仕方がないのにね。
そもそも貴族なんてものになぜ憧れる? “貴族” という言葉を使っている時点で,どうしようもないものが人間にはビルトインされているんだろうな。
● 自分の現状に対して,虐げられているとか,不当に低位に留められているとか,自分の本然に照らして正当な扱いを受けていないとか,自分はここに留まるような人間ではないと思ってしまうとか,そういう癖が埋め込まれているんだろう。
で,現状に反抗しようとして,つまらんことでバタバタする。そういうことなのかねぇ。
● “ここ” が相応しい人間なんだけどね,ほとんどの場合。
そうして,その “ここ” は “貴族” なんぞよりよっぽどカンファタブルなはず。今は令和の御代で,中世ヨーロッパじゃないんだからね。
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