2025年9月23日火曜日

2025.09.23 万物に霊魂が宿る

● ふと思い立って,青空文庫で夏目漱石「余と万年筆」を読んでみた。漱石君,万年筆に対してずいぶんなことをするもんだねぇ。
 もちろん,漱石はわかってやっている(やったことにしている)わけだが。

● ぼくは,鉛筆1本でも大事に扱えば,その分,鉛筆もこちらに応えてくれると考えてる派。原始的アニミズムというか,万物に霊魂が宿るというか,そういうことはありそうだぞ,と。
 死後の世界があるとか,霊魂不滅とか,輪廻転生とか,そういうことは人間が自分の都合に合わせて作りだしたデッチアゲだと思っているけどね。

● ただ,万物に霊魂が宿るというのはどうもあるんじゃないかな,と。というか,そう考えると腑に落ちることが色々ある。
 道具を大切に思っていると長持ちしてくれる。紛失したりすることも減る。ずっとこちらに寄り添ってくれる。

● それは,大切にしているとよく手入れをするからだと言われるかもしれないが,そういうことではない。ぼくは万年筆の手入れなんかしたことはない。鉛筆はもちろんほっぽりだしだ。
 ただ,最後まで使ってやろうと思ってはいる。長く使ってやろうと思っている。単純にケチだからかもしれない。

● しかし,動機は問われないようだ。ケチだからであってもかまわない。最後まで使ってやろうと思っているだけで,長持ちしてくれるような気がしている。
 だから,こまめに手入れはしなくても,目をかけてやることはした方がいいのじゃないかと思っている。目をかけてやるだけでいい。それだけで,モノに宿る霊魂が喜んで働いてくれる。 

● 文具はゾンザイに扱いやすいものだ。ゾンザイに扱うことがあってもかまわないのだ。そんなことで文具の霊魂が怒ることはない。ただし,その文具に気を向けることをやめない方がいい。
 万年筆ならどれがいい? 鉛筆ならどれがいい? というのは問題の半分で,あとの半分は手元にあるその万年筆なり鉛筆なりにどれだけ目をかけてやるかだ。それにやって,万年筆なり鉛筆なりの効能が違ってくるからだ。

● というようなことをわりと本気で思っているポンコツ野郎なんですよ,ぼくは。
 なので,買ったものを使わずにメルカリに出してしまうなんてことはしない方がいい。買ったのだから,そこは意地でも使ってやると覚悟を決める。このあたりが文具の霊魂を癒すんじゃないですかね。
 もっとも,かく申すぼくも在庫を溜めすぎて大半を処分しなきゃならないことになりそうなんだけどね。

● さらに申しあげると,メルカリに出すなと言ったわりには,文具の大半をじつはメルカリで買っている。
 それはメルカリに出された文具の鎮魂のためというと大げさにもほどがあるというものだけれども,だったらぼくが最後まで使って,君の霊を慰めてあげるよという気味がなくもないのだ。上述のとおり,それが裏目に出ちゃってる気配が濃厚ではあるんだけどね。

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