● ダイスキンは百円なのだから当然なのだが,安い紙を使っている。百年の保存には耐えないだろう。そこに至るまでにパリパリになって粉々に散ってしまうだろう。
測量野帳やCampusノートの紙は,百年はもつだろうけれども。
● いや,ダイスキンだって百年はもつかもしれないけれども,現実問題としてそんなにもってもらう必要はない。
むしろ,自分が死んだあとにノートが残ってしまうようなことがあれば,できるだけ早い時期にパリパリになってゴミと化してくれた方がありがたい。
● 何を言いたいのかというと,ダイスキンは過不足なく実用性を満たしているということだ。
不足があっては話にならないが,だからといって過剰であるのも好ましくない。千年ももつ紙は要らないのだ。
● 物理的にも永遠はない。いずれ,地球は膨張する太陽に呑み込まれ,生命はすべて死に絶える。この世の終わりが来る。
そのときは,人間の思弁が作りだしたものは,何もかもが消滅する。生も死もあの世も神も輪廻転生も歴史も,真も善も美も,何もかもが。
● だから,永遠というのを思考や価値判断の基準に組み込まない方がいいと思う。永遠とか不変とかね。
長くもつもの,長く続くものほどいいものなのだと,安易に考えない方がいいんじゃないかな。
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