● 文房具は高級といっても価格的にはタカが知れている。ノートだったらせいぜい3千円でとまる。万年筆でも,限定品や蒔絵が入った工芸品を使おうとすれば別だけれども,モンブランの149でも15万円でどうにかなる(蒔絵入りでも10万円のものもある)。
● これが車だったらどうか。ポルシェだ,フェラーリだとなったらどうなる? っていうか,そういうのは最初から諦めるな。
オーディオだったら? 凝り始めたら青天井だ。それがわかっているから,ぼくは基本的には近寄らないことにしている。携帯音楽プレーヤー+イヤホンにとどめている。今はそれでどうにかなる時代だし。
● 文房具なら,やろうと思えば高級品の世界に遊ぶことができる。万年筆なら15万円,ボールペンやシャープペンなら3万円もあれば,高級品の世界の扉を開けることができるだろう。
複数持っても100万円ですむ。車1台分もあれば,高級品の世界の中で一生遊べるだろう。
● ただね,文房具だって昔は高かったのだ。誰でも使えるものではなかったのだ。日本だって昭和40年代まではその残滓があったのではないか。万年筆がステイタスになり得た時代。
昭和50年代に入っても,湯水のごとく使えるものではなかったと記憶している。文字どおりに誰でも使えるようになったのは,百円ショップという形態の流通店舗ができてから。ということは,平成10年頃からだ。
● ノートやペンなら,今は誰でも好きなだけ使うことができる。一部のお金持ちのものではなくなった。が,何でもそうだけれども,大衆化するとそのモノの輝きは消える。
使う人は使うけれども,使わない人の方が多い。使わない人は経済的な理由で使えないのではなく,自分のライフスタイルの中に文房具を使うというシーンがないだけなのだ。
● でも,ノートやメモ帳の使用量は増えているだろうな。ちょこっと使って捨てるという使い方が多くなっているように思う。安くて湯水のごとくに使えるから。
誰でも使えるようになったのはいいことに違いないんだけど,資源の浪費という問題も生んでいるのだろう。IT化の進展に伴う紙使用の増加に比べれば,取るに足らない問題ではあるだろうけど。
● でね,高級品の世界に遊ぶ人っていうのは,こういう浪費はしないのじゃないかと思うんだよね。高級品の世界に遊ぶっていうのも悪くはないかな。
ぼくは,目下のところ,高級品の世界で遊びたいとはまったく思っていないのだけど。
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