● 2日から6日までの5日間,またダイスキンに何も書かない空白期間ができた。それ以前から何日か後になってから,思いだしながら書くなんてことが普通になっていたんだけど。
ともかく書いていれば,ペースは遅くともノートは埋まっていく。書かなければ途中で停まったままになる。
● 最後で使われて役目を終えたノートの佇まいには,何というのか,愛でたくなる風情がある。
自分が投影されたものに変わったからというのが第1の理由だけれども,それを外して考えても,モノとしての様が風情を醸す。
● 使い終えたノートを見返すことなどほとんどないことがわかっているのに,なかなか捨てられない。この佇まいに目をつむって,エイ,ヤッ,と捨ててしまえる人はそんなに多くはないのかもしれない。
それは百円で買えるダイスキンでも同じであって,クタッとなった使用済みのノートの風情は,そのノートの販売価格の高低に影響されない。
● ノートはモノとしても,使われることによって成長し,使い終えることによってノートとしての完成型になる。未使用の状態で文具店に並んでいるノートは,ノートとしてはまだ半人前だ。
できるだけ早く使い終えたいと思うのも,同じ理由によるのかも。飽きてしまう前に次のノートに移りたいというのもあるんだけれども,完成型を早く見たいから早く使い切りたいと思うのでもある。
0 件のコメント:
コメントを投稿