タダ同然じゃん,送料のみの負担でいいの,と言いたくなるものが結構ある。競り上がっていくこともなさそうな,入札≒落札 と思えるものね。
● 昔の鉛筆も使ってみたいから,片っ端から入札したくなる衝動にかられるのだが,そんなことをしたら置き場所にも困ることになる。
第一,すでにぼくの余命はそんなに長くはないはずなのだ。不治の病を抱えているとかじゃなくて,年齢から計算してね。残り一生分に必要な鉛筆の少なくとも20倍はすでに手元にある。
● モノ自体は安く手に入るとしても,同時に使用責任も背負い込むような気がしてね。上に述べた状況からして,その責任はとても果たせない。
という,生真面目で視野狭窄なところがあるもので,涎を流しつつ諦める。
よって,こういうものにアクセスしないように心がけようと,今,思ったところ。
● ところが,世の中には街の鉛筆研究家みたいな人がいてさ。ヤフオクやメルカリで昔の鉛筆を手に入れて,ダース箱の文言や図案の違いや変遷を見つけて愉しそうに語る人がいるわけですよ。
それを 𝕏 なんかで披露しているのを読むと,仲間に加わりたいなぁとか思うわけね。
● けれども,それはコレクターへの道に踏み入ることでもあるわけで。
結果的に要らないモノまでアレコレ買い込むのは仕方がないとしても(恒常的にやっちゃってる),意図してコレクションに走るのはなぁとも思う。アンビバレントなわけですよ。
● というのは大袈裟で,ぼくは基本,文具に使用価値以外の価値は認めない。文具のコレクションに走るのはイージーに過ぎると考えている。
その拠って来たる所以は,ぼくの貧乏性,育ちの悪さであろうと思うんだけれども,やはり,ヤフオクの出物をチェックするなんてことはあまりやらない方がよろしかろうと思う。
● 使い切れないモノまで所有してはいけない。所有は最小限度に留めること。
それを個人憲法の第1条に置きたい。断捨離というのは敗戦処理みたいなもので,断捨離を必要としない状態を維持することが肝の心であるはずなのだ。
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