● 小型手帳の代表が能率手帳だと思っているんだけど,野口晴巳『能率手帳の流儀』(日本能率協会マネジメントセンター 2007年)によると,能率手帳も出た当時は大きいと思われたらしい(能率手帳が店頭販売されるようになったのは1958年のこと)。
もっと小さいのが普通だったとなると,ほんとに予定をちょこっと書いておくくらいのことしかしてなかったんでしょうね。
● 以後,手帳は大型化の一途を辿ってきたと言いたいんだけど,画期になったのは1980年代後半からのシステム手帳ブームでしょう。
あの大きさと分厚さ。革バインダーのものものしさ。これは手帳じゃないだろと思いましたよ。
● 今は綴じ手帳でもA6とかB6がたくさんありますもんね。スケジュールも細かく書きこめるようになった。バーチカルタイプとかさ。
最近は1日1ページタイプも珍しくない。手帳というより日記帳。
● 大きくなり,分厚くなり,書くスペースが増えた。何でなんだろうね。
何でなんだろうねって,必要があるからそうなってきたわけですよね。たくさん書かざるを得なくなってきたんでしょ。それだけ入り組んだ仕事が多くなってきた。
サービス産業がメインストリームになったからですよね。農業でも工場でもサービス産業化が進行してますもんね。
● 脳のキャパを超えた段取りや根回しが必要になった。たくさん書ける手帳を使わざるを得なくなった。
これって,イコール,ストレスの増加ですよね。手帳の大きさはストレスの大きさの象徴のような気がするな。
● 昔は楽だったんだろうな。ノンビリしてたんだろうな。
そりゃ車を持てる人なんかいなかったから,最寄駅まで数キロか十数キロを自転車に乗らなくちゃいけなかったし,洗濯も手でやり,ご飯も薪で炊いていたんだから,時間がないのは今と同じだったろうけど,体を使っていれば使った効果が眼前に見えるんだからね。
そもそもが効果なんてあるのかないのかわからないものに対して,手帳を使って段取りを考え,効率化を追求するのよりは,健康的かもな。
● 仕事のかなりの部分がさ,仕事を増やすための仕事になってないかなぁと思うこと,あるもんね。
過度な厳密さを求めてみたりさ。そのために会議や打合せをやっちゃったり。同業他社の動向を気にしすぎてみたり。人は人でいいじゃん。
ブレーンストーミングの真似事なんか,何だよ,あれ。そういうものまで手帳でスケジュール化しないといけないんだもんなぁ。
● でもね,そういうのを楽しめるヤツっているんだよな。嬉々としてやるやつ。迷惑だよなぁ。
大きな手帳を使うことをステータスだとまで思ってる人はまさかいないと思うんだけど,ひょっとしたらいわゆる管理職の中にはいるか。A5とかB5の卓上型の手帳に,部下の予定まで書きこんで,それが自分の仕事だと思っている馬鹿。
● 人間は楽をしたい生きものだってことに異論はないんだけど,時間の空白を埋めないではいられない生きものでもあるんだな。
空白のままにして,その空白を空白のままに楽しめれば,もっと楽になれるんだと思うんだけど,難しいよね,これ。
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