● 1階に書籍が並んでいて,地階が文具。あと,時計と眼鏡の売場がある。
という程度の認識だったけれども,2階と3階にも書籍,特に専門書や学術書が揃っているらしい。らしいというのは,ぼくは2階には上がったことがないからだ。
で,主にお邪魔するのは地階の文具売場。見るだけの通行人なんですけどね。
● 文具を買うならここ,と決めている人ってどのくらいいるんだろう。年配のお婆さまに多そうな気がするが,偏見でしょうか。若い人はこういう問題(?)とは無縁でしょう。
伊東屋と決めている人がいるかもしれない。そういう人は伊東屋にしか行かないだろう。昔からそうなんだよ,そういうものなんだよ,という感じでね。
年配者の中には丸善と決めている人も多そうだ。かつては伊東屋と丸善しかなかったのだ。つまり,筆記具といえば万年筆であり,それは上流階級の人たちが使うものだったから。上流の御用達が丸善だった。そういう記憶をリアルに残している人がまだいるだろう。
東急ハンズやロフトになると,浮動票をどうやって取りこむかという店作りになる。ならざるを得ない。お客の自店に対するロイヤリティーは高くない。顧客の平均年齢も丸善よりはだいぶ若くなるだろう。
● 文具もどんどん品質があがり,ニッチな用途を突いてくる商品が多くなった。そうなると,文具が実用品から嗜好品になってくる。嗜好品の特徴は好みの幅が狭くなることだ。というより,ピンポイントになってくる。
煙草が典型的にそうだ。今や絶滅危惧種になった両切りのピースを愛煙している人にとっては,煙草とはピースなのであり,それ以外は煙草ではないのだ。ピースの人にハイライトを贈ってもどうにもならない。舌打ちをして捨てるしかないからだ。
● 文具にもそういうことが起きているかもしれない。たとえばノートだ。書けるなら何でもいいという人は少なくなる。自分はトラベラーズノートに決めている,それ以外はゴミだ,という人もいるかもしれないし,逆にトラベラーズノート以外だったら何でもいいという人もいるかもしれない。ニッチ化,セグメント化が進行中のように思われる。
そうなってくると,メーカーや製品へのロイヤリティーがすべてになる。買うのはAmazonでいい。
● 一方で,安さが正義,あとは何でもいいよ,という人だって依然として残っている(ぼくはこれに属する)。文具メーカー? コクヨがあればいいんじゃね? という人。
そういう人にとっては,より一層,どこで買うかなんて問題にならない。
● という状況の中で,どの文具店も生き残りをかけて智慧を絞っているだろう。妙な言い方になるけれども,その絞った智慧の結果を見たくて文具店に行くという向きも出てくるだろう。ほほぅ,そういう答案を書いてみたのね,と。
といっても,丸善のしかも日本橋店にしたって,そんなに尖った店作りはできない。やればお客を失う可能性が高い。売れ筋というのは厳然とあるのであるからして。
● ともあれ。見ていこう。
万年筆売場。全部ではないけれども,ここにあるのは高級万年筆。丸善の存在価値の過半はここにあるのかもしれない。
偏見かもしれないけれども,丸善のお得意さんは保守派のエグゼクティブ。そういう人が使うのは,かつてはモンブランで,今ならペリカン,ウォーターマン,パーカーといったあたり。
アウロラやデルタといったイタリアブランドは,その存在を認知はされながらも,なかなか買ってはもらえないといったところではないか。
● プラチナのノック式万年筆キュリダスの試し書きができた。宇都宮でも,JOYFUL2と上野文具にはキュリダスが置かれているが,試し書きはできないっぽいのだ。ガラスケースに入っていたりするし。
さすが丸善では直に置いてある。M,F,EFとあって,買うならEFと決めている。そのEFでも充分に滑らかな書き味。ま,紙もいいんでしょうけどね。
が,今に至るも買っていないのは,退職した4月以降,手書きで文字を書くことが激減してしまったからだ。立ったまま書くという状況には遭遇しそうもない。つまり,ノック式万年筆を使う機会はないということだ。だからまず,以前のように“書く”という状況を作ることから始めなければならない。
● 今年はなかなか梅雨が明けない。8月になるのだろう。梅雨が明けたら,日はだいぶ詰まって短くなってましたってことになりそうだ。
加えて,梅雨明けのひと月後には来年の手帳が書店や文具店に並ぶことになる。夏になったと思ったら,かつては年末の習俗(?)だった手帳選びが始まってしまう。このゴチャゴチャ感。
● 選ぶといっても,ぼくは来年使う手帳はもう決めている。ずっとBindexの011を使ってきたけど,来年は031にする。見開き2週間のやつ。ダイソーのでもいいんだけども,時刻メモリはあった方が便利なのと,“年間計画表”がね,ダイソーのには付いていない。これ,けっこう重宝するのですよ。
3年間は031を使う。その後のことはそのときになってから考える。もし,生きていれば。
● その031(もちろん,今年のやつ)が売られているんですよねぇ。買う人がいるんだろうか。いや,いるからこそ置いているんだろうけどね。
他の文具店では1月始まりの手帳は5割引とか7割引,4月始まりの手帳は3割引にしているところが多い。しかし,この031は定価販売のようだ。丸善って,ひょっとして,世俗から超然としているんだろうか。
● フランクリン・プランナーの前でもしばらく佇んでしまった。まさにシステム手帳と呼びたくなるような,自己完結型の時間管理システム。時間管理というより,生活管理と言った方がいいんだろうか。
こうしたものに対しては,ぼくは懐疑的だった。システムに縛られる不自由さを感じてしまうせいもある。もっと緩やかで,もっと多彩でいいではないか。ゆらきのないカチッとしたシステムに合わせてしまうと,大事な何かが零れ落ちてしまうのではないか。
しかも,あまりに精緻だと,使いこなせないまま終わる公算も大きい。あるいは,システムの奴隷にさせられるかもしれない。
● というわけで,『人生は手帳で変わる』は読んだけれども,これを使ってみようと思ったことは一度もない。のだが,仕事をやめてみて,フランクリン・プランナーが気になり始めている。
フランクリン・プランナーが想定するのはバリバリのビジネスマンだろうから,ぼくはもう対象じゃないんだけれども,自分の24時間,365日をどうデザインするかは,自分の胸先三寸で決めることができる。上司や同僚や取引先の予定に縛られることはない。スケジュールの共有化なんぞという愚にもつかない標語によって干渉されることもない。
だったら,かえってフランクリン・プランナーの閉じた精緻なシステムと相性が良くなってるかもしれない。フランクリン・プランナーが示すところに素直にしたがって,自分のこれからを考えてみるのも悪くはないのではないか。
● NOLTYのハードカバーノート。何とも言えない質感。こういうものを誰が使っているんだろう。と,事大的に考えてしまうのが,ぼくのダメなところだ。
誰でもない普通の人が使っているはずだ。そう断言できるのは,能率手帳ゴールドを誰でもない普通の人が使っていることを知っているからだ。
それでいいのだよね。普通じゃない人にしか使ってもらえなかったら,その商品はあっという間に市場から姿を消してしまうもんね。市場にあるということはつまり,普通の人が使っているということですよ。人口の99.7%は普通の人だもん。
● というようなことが頭に浮かんでは消えていった。考えごとをしたくなったら丸善へ。丸善に来たら,考えごとに身を任せてみよ。
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