ぼくが思春期にあったのは半世紀前。リアルを超えて誰かとつながるには“ペンパル”になるしかなかった。“文通”ですね。当時は中1コース(学研)とか中2時代(旺文社)という月刊の学年雑誌があって,ぼくは愚かにも中1から高3まで,毎月欠かさずに買っていたんだけど,そうした雑誌にもペンパル募集のコーナーがあった。
● 実際,ヘビーに文通をしていた時期がある。大学の後半の2年間だ。相手は高校時代の同性の友人。一番安かったコクヨの「書翰箋」を使っていたね。
ペンは何を使っていたのか憶えていないが,ボールペンではなかったはずだ。当時のことゆえ,ボールペンといえば粘度の高い油性ボールペンしかなかったはずだが,ボールペンを使った記憶はない。万年筆は持っていなかったはずだ。さて,何を使って書いていたのか。
● 彼とは社会人になってからも2年くらい,文通を続けていた。中身的にはこっちの2年間の方が濃かったかもしれない。
しかし,同郷にいて会うこともできるようになり,互いに仕事を持つようになると,手紙を書くことが億劫になり,自然に途絶えてしまった。
結婚してからは会うこともなくなった。60歳になってから,ぼくは年賀状も出さないことにしたので,彼とも賀状のやり取りもなくなった。
● その彼と先日,偶然に出くわした。ひょっとすると,手紙のやり取りが復活するかなと思った。ちなみに,彼は視覚障害があって,パソコンやスマホの画面とは相性が悪い。
ま,復活なんてことはあるまいが,もしそうなったらどれを使うかなと考えながら商品を見ていった。相手に届くものだから,ダイソーで売っているのはさすがにちょっとね。
しかし,ここにあるのはいずれも良すぎる。お値段もけっこうする。うぅぅむ,これらはハレの機会に使うもののように思う。普段にはないような特別な連絡やお礼を書くのに,1枚か2枚を使う。
彼とぼくの手紙のやり取りは,ケの領域に属するものだった。けっこうな便箋を消費した。だとすると,ダイソー便箋でいいかもしれないな。
画像はネットから拝借 |
4万円の鉛筆ね。正確には「消しゴム付きの鉛筆と鉛筆削りを内蔵したキャップがセットになったもの」で,書く,消す,削るが全部できるから「パーフェクト」ペンシルだという。何だか小馬鹿にされたような気分にさせる。
文具雑誌などで写真は何度も見ていたけれども,なるほどこれが実物か。写真とそっくりじゃないか。
● もちろん,買わない。ってか,買えるはずがない。第一,鉛筆は使わなくなった。これからも使うことはないと断言はできないが,しかし,おそらくないだろう。
第二に,600円のKIDSパーフェクトペンシルでパーフェクトな機能を満たすことができる。文具に求めるのは十全な機能のみであって,それ以外はどうでもよい。装飾性とか,ステイタスシンボルとしての象徴性とか,そういうのは徹頭徹尾どうでもいい。
● 持ち物で自分に付加価値を付けようとするのは,あるいは持ち物で自分に付加価値が付くと思ってしまうのは,恥ずかしいことではないか。その方向にだけは行ってはいけないのじゃないか。
うん,そう決めてしまおう。そうしよう。お金がないから買えないんじゃないってね。考え方の問題なんだよって。
● 伊東屋では「伊東屋」の他に,小型店舗の「itoya topdrawer」,高級筆記具を取り扱う「カランダッシュ」の屋号でも店舗を展開している。ウィキペディア情報で知った。
「カランダッシュ」は6月に外側から見かけた。自分が入ってはいけないところだと思って通り過ぎた。でも,言われてみれば伊東屋っぽかった気がする。
● 本店改装に伴って,高級感とゆったり感が格段に増した分,取り扱いアイテムが減った。以前の方がよかったと思うお方は,別館のK.Itoya(本館=G.Itoya の裏手)に行くべし。
っていうか,いきなり別館に向かう通がけっこう多いのではないかと愚察する。文具は文具をして語らしめよ,故意の演出は不要である,と考える人が。
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