2020年7月16日木曜日

2020.07.16 手元にある未使用ノートの在庫

● これで全部じゃない。半分くらいだ。
 多いのはダイスキンで,あとはCampusや測量野帳,無印ノート。なので,使わないで捨ててしまっても,金銭的な損害はさほどでもないんだけど,使わないで捨てるなんてヒトデナシがすることだよなぁ。
 ここに写っていないものの多くも大スキンだ。今は亡き(つまり,廃番になっている)B6ダイスキン。何十冊かある。

● ダイスキンといえば供給不安定な時期があって,店頭で見つけたら即買えと言われた。それが尾を引いてしまった感じもあってね,ダイソーの文具売場を覗いてダイスキンがあったら全部買って帰るってのをけっこう続けてしまったんですよね。
 100円だからね。10冊買っても1,000円だもんね。簡単に溜まってしまうわけですよね。
 1年前の今頃に中紙96枚の黒ダイスキンはすべて使いきったんだけども,それ意外にまだまだある。

● ほかにも,ちょこまかと買っていたツバメノートやチアックなどがある。生きてる間に使い切れればいい。
 ここで問題が2つある。1つは使いきれるかということだけど,あと1つは使ったあとのことだ。
 ぼくの書いたものなんか読む人もいないと思うし,読まれて困るようなことは書いていないとも思うんだけれど,残したまま死にたくないってこと。

● 処分するタイミングの問題だ。さすがに使用済みのノートもかなりの量になっている。読み返すことはあまりないので,すぐさま捨ててしまってもいいようなものだ。
 が,それができない。残してしまう。しかし,いつかは(生きてる間に)処分しなければならない。
 うまく間合いを測れるだろうか。処分しそびれて,残したまま死ぬことになりはしないだろうか。

● 人間のやることは,仕事も含めて,すべては遊びだと思う。何をやっても所詮は,良くも悪くも,遊びにすぎない。仕事も遊びなんだから四角四面に考えすぎない方がいい。
 ノートに何ごとかを書くのも,つまるところは遊びだ。やらなければやらないですむ。やらなくても困ることは起きないものだ。

● そこをきちんと踏まえて,真剣に遊ぶのがよろしいだろう。所詮は遊びとわかったうえで,ノートとペンを使った遊びを真剣に遊びたいものだ。
 それがなかなかできないわけだが,目指すべき境地はそこだ。

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