● 早いときには1ヶ月,たいていは50日前後で1冊を使い切っていたA6ダイスキン。3月末で仕事を辞めて,4月から隠居生活に入ったら,とたんに書かなくなった。
6月に書いたのは1日だけ。6月5日に2ページを使っている。
● どうしてこんなに書かなくなったか。
ひとつは,手書きからTwitterに移行しているからだ。昨年4月から今年3月までの月平均のツイート数は265.5なのに対して,4月から3ヶ月の月平均は354になっている。4月になってから,100近く増えている。
誰かに何かを伝えたいと思って,Twitterを使っているのではない。伝えたいことなどありゃしない。日記代わりというか備忘録としてTwitterを使っている。
● なぜそんなことをしているかといえば,iPhoneのSiriやAndroidのGoogleアシスタントがさらに賢くなって,将来は自分の話相手になってくれるんじゃないかと思っているからだ。
老いぼれて誰にも相手にされなくなったとき,スマホが(ぼくはAndroidユーザーなので,Googleアシスタントが)たった1人の話し相手になる状態になるかもしれない。そのときに,自分の事跡をすべてTwitterに上げておけば,Googleアシスタントはそれによってぼくがどんな人間かを了解したうえで,ぼくの話し相手になってくれるんじゃないかと思っているのだ。
● というわけで,Twitterを日記代わりにしている。とはいえ,Twitterに上げるわけにはいかないことだって,当然ある。
3月までのサラリーマン時代には職場や仕事に絡むことは一切上げていないはずだ。それらに絡んで,自分以外の人間を登場させてもいない。
その状況は3月までも今も,まったく同じだ。仕事絡みはそもそも存在しなくなったけれど。
● にもかかわらず,ツイート数が月に100も増えているのは,われながら解せないところがあるのだけど,つまらなさ指数が高まったツイートをしているに違いない。それがノートに書く量を減らしているのだろうと,とりあえずは推測している。
つまり,つまらないことしか書いていなかったってことね。それがTwitterに移行しましたよ,と。
● もうひとつ。小さいノートに何事かを書きつけるようになったのは,感情や思いを吐きだしてスッキリしたかったからだ。実際にそうした使い方をすることはそんなに多くはなかったけれども,完全引退して仕事から離れてみると,吐きだしてスッキリしなければならないような局面に出くわすこともなくなった。
それが書かなくなった二番目の理由だろうか。となると,3月までのようにたくさん書くという状態に復帰することは,どうやらなさそうだと見ていいだろうか。
● プラチナのノック式万年筆“キュリダス”をまだ買っていないのも,こういう理由による。これだけ書かなくなると,7千円といえども万年筆に支出するのは,少し以上にもったいない。まず,使うことがあるとは考えにくいからだ。
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