● 96枚のオレンジダイスキンを使い終えた。10月9日からだから,38日間。百円でこれだけの便益を享受できるのだから,ダイソーは偉大なり。
Seriaや他の百円ショップからも同じ判型のハードカバーノートが出ているけれども,ダイスキンを超えるものはない。特に中紙が96枚(モレスキンと同等)あるのはダイスキンだけだ。
最近はダイスキンでもいくつかのダイソー内ブランドが鼎立しているけれども,元からある旧型ダイスキンにやはり手が伸びる。
● ノートは贅沢に使うのが,使い方のひとつのコツというか,最も重要なコツだと思うのだが,百円なんだから後顧の憂いなくそれを行うことができる。
ダイスキンは横罫しかないのがなぁ,方眼や無地があれば,という声があるようだけれども,ぼく的には横罫ひとつで充分。
思考が罫線に縛られるなどと,訳のわからないことを言う人もいるんだけどね。縛られなければいいだけだ。罫線に縛られてしまうようでは,そもそもが大した思考のできる人じゃないのだ。
● 使途も自在だ。ダイスキンに限らずすべてのノートがそうなのだが,何に使ってもどう使ってもかまわない。
トラベラーズノートは“旅するように毎日を過ごす”人のために,その旅を書き留めておくためのノートとして提供されている。メーカーのコンセプトはそうなっている。
しかし,それがトラベラーズノートである必要はない。ダイスキンで同じことができないかといえば,全然できなくはない。ダイスキンをトラベラーズノートにして,旅するように毎日を過ごしてはどうか。
● 使っている道具の価格で,その人の生活の質が決まるわけではない。当然のことだ。
ペンにしたって,ジェットストリームやSARASAが百円もしないのだ。その百円もしないジェットストリームを超える品質のペンなんてありますか。
ノートもダイスキンで充分だ。ダイスキンを堂々と押し出して,自分の旅を旅すればいいではないか。
● むしろ,高価なノートやペンを持つ人は,持ち物で自分に付加価値を付けようとしているようにも見える。自分の価値に自信を持っている人は,持ち物には必要以上にこだわらないものではないか。
神の前には万人が平等だ。自分の価値に自信を持つのに根拠など要らない。逆だ。根拠なく自分の価値を認めることができるかどうか,それがその人の人生のQOLを決める最大要因なのだ。自信は持った者勝ちなのだ。
そうして,ブランドに踊らされることなく,メーカーのマーケティングに左右されることなく,悠々とおのが道を歩いて行きたいものだ。
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