2023年1月6日金曜日

2023.01.06 使わないとわかっているのに鉛筆を買い集めてしまうわけ

● 宇都宮は福田屋(竹林の方)に。3階に入っている上野文具に測量野帳があった。地方で測量野帳を常備している文具店ってそんなにない。東京に行くと,たいていのところには置いてある印象なんだけどね。
 宇都宮ではベルモールの落合書店(の文具売場)にはあるけれども,それくらいのものじゃないか。落合書店でもトナリエ店にはないし,上野文具も本店にはあったかどうか。ジョイフル2にもなかったんじゃないかなぁ。
 ここ福田屋の2階には LoFt が入っている。LoFt には以前はあった。が,最近は見かけなくなった。

● ともかく,福田屋に入っている上野文具にはあったよ,と。ただし,全部でこれだけ。価格は値引きされて,税込183円になってた。
 LEVEL BOOK も3冊あったので,お買い上げ。売れた後の補充はしなさそうな感じがする。測量野帳って地方では売れないんだろうか。

● たしかに,野帳のヘビーユーザーはカウネットで買うだろうから,文具店では買わないかもなぁ。カウネットだと150円程度で買えるのに,文具店だと264円だからねぇ。が,それは東京でも地方でも同じこと。
 測量野帳は特定の人がたくさん使っている(ような気がする)。Campusノートはユーザー層が広いのに対して,測量野帳はユーザー層は限られているけど,その限られたユーザーが大量に使うというイメージ。野帳以外のノートを使うなんて考えられないという人たち,という。
 結局,野帳ユーザーは地方にはあまりいないんだろうか。

● LEVEL BOOK 3冊のほかに,鉛筆を3本買った。トンボの2558と三菱の9852。それと,クツワのPUMA鉛筆。これはどこぞのメーカーのOEMでしょうな。
 問題は測量野帳ではなく,その鉛筆の方だ。鉛筆は使っていない。にもかかわらず,主にはメルカリやヤフオクで鉛筆をずいぶん買い集めてしまった。使いもしない鉛筆をなぜ買ってしまうのか。

● “買う” という行為をしたいからというのは間違いなくあるんだけれども,それを別にすれば,第一には安いからだ。安いから気軽にポチれる。5千円も1万円もしたんじゃそうはいかない。
 といっても,使わないのだ。今後使うことがあるとしても,とうてい使い切れない量になっているのだ。それでも買い続けている。

● 第二の理由はノスタルジアか。鉛筆を使っていた頃の子供時代へのノスタルジア。ぼくは鉛筆や定規,分度器,コンパス(円を描くための)といった文具が好きな子供で,好きの度合いが常軌を逸していたわけではないけれども,その頃へのノスタルジアを鉛筆はほど良く刺激する。
 だから,昭和時代の古い鉛筆に手を出すことが多い。使われないできた鉛筆は自分より長命というか,自分が生まれる以前に製造だれていたりする。
 そういう古い鉛筆を見ていると,同志愛というか,同じ時代を生きてきた親近感というか,大げさに言うともの言わぬペットを飼っているような気持ちになることがある。辛い渡世だったよなぁと語りかけたい気分になる。

● 使う以外の用途がそうした鉛筆にはある。だから,いくら古くても絵柄の入った鉛筆はダメだ。絵柄は同志愛を遮断する。その絵柄の鉛筆を使っていたのなら,もちろん別だけど。
 普通の鉛筆,メーカーの正規品であることが望ましい。印刷された文字がかすれていたり,塗装にヒビが入っていたりすると,いかにもの味がある。そういう鉛筆であることが望ましい。

● 第三に,鉛筆の持つたたずまいだ。プリミティブな筆記具という形。文具店に並んでいる状態,つまり,削られていない未使用の状態もいいのだけれど,芯を削り出された鉛筆ははっきり美しいと思う。
 何かを産みだす,何かを創造する道具だと強烈にアピールしてくる。道具が何かを産みだすわけではなくて,使う人の才能が産むわけだが,これを使えば自分も何かを作れるのではないかと錯覚させる形。

● なので,子供の頃の自分もそうした道具を持ちたいと思ったのだったろう。その尾鰭が大人になるまで,なってからもずっと続いているのだと思う。
 実際には使わないとわかっているのに,ついつい鉛筆を買い集めてしまう理由は,ザッと以上のようなことかと思う。なのだとしても,これ以上は買わないようにしたいものだ。しかし,その自信がないというところが困ったところなのだ。

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