2025年9月27日土曜日

2025.09.27 能率手帳ゴールドの怪

● 能率手帳ゴールドというのがあるじゃないですか。アレって大都市圏でしか売れないものだと思ってたんですよ。地方では売れない。
 ビシネス手帳そのものがそうで,人口比率以上に首都圏や大阪圏で売れるものだと思い込んでいたんですよ,ぼくはね。

● 栃木県を代表する文具店である宇都宮市の上野文具本店には,能率手帳ゴールドが1冊だけ売場にあったんですわ。従来は。
 その1冊がいつまでもある。売れて補充されてるんじゃないような気がする。

● ところが,今日行ってみたら5冊もあるんですよ。他に,小型版が6冊。
 通常版は1冊売れたのかもしれない。何の異変だ? 宇都宮の誰が能率手帳ゴールドを買うというのだ? 狐につままれたような気分になりましたよ。

● ただし,能率手帳ゴールドがエグゼクティブ御用達というのは過去の話で,今はその辺のアンチャンやオバチャンも平気で能率手帳ゴールドを使うらしい。
 アンチャンやオバチャンは,当然,宇都宮にもいるんでね。彼らの中に手を出す人がいるんですかね。7,000円超の小さい手帳にね。
 でも,なぜ今年になって?

● 𝕏 で文具界隈のポストを読むのは楽しいものだが,毎年,特にこの時期に深い疑問に沈むのが,手帳を複数使いしている人がいることだ。
 どうすればそんな器用なことができるのだ? 自分がやったら絶対に破綻する自信があるぜ。
 そういう複数使いの人が能率手帳ゴールドを買うんだろかなという気もしていてね。

2025.09.27 鉛筆はギリギリまで使わなくてもいい

● 鉛筆を削るときは,ハンドル式の鉛筆削り → 携帯用手回し鉛筆削り → 手削り の順番で削っていたのだが,真ん中を省略して,ハンドル式の鉛筆削りが使えなくなったら手削りすることにした。
 手削りするとこうしてしまう。書きづらいし,人様に推奨するつもりはないけどね(推奨されてもしたがう人はいないだろう)。

● この状態にすると鉛筆の筆記音を楽しめるよ。筆圧をかけないで書く練習も自動的にできるよ。
 いいこといっぱいあるよ。一度やってみなよ。大丈夫,これでも芯が折れることはないから。

● 特に筆記音を楽しみたいならぜひこの形に。Hi-uniのBでも芯をこの形にして芯先をキンキンに尖らせると,サリサリという筆記音を発する。黒鉛芯が紙と擦れることによって発する独特の筆記音。
 その筆記音をいいものだと受け取るか,煩いと感じるか。後者の人はあまりいないだろう。ぼくも筆記音は好ましいものと感じている。鉛筆を使う愉しみの1つに数えたくなる。

 万年筆にも筆記音はあるが(EFの場合ね。MやBではどうなのか知らない),鉛筆の方が確実に筆記音を奏でてくれる。奏でるという言い方がピッタリだ。なかなかいいものでしょうよ。


● 徒し事はさておき。じつのところ,鉛筆をバリバリ使う人なら,ハンドル式の鉛筆削りでは削れなくなったところで,次の鉛筆に乗り換えるだろう。鉛筆を削るために鉛筆を使っているわけじゃないのでね。
 削る楽しみもたしかにあるのかもしれんがね。使うと愛玩するの線引きには難しいところがあるが,ここはドライである方がいいかもしれんよ。

● ただし,鉛筆とドライの相性はあまりよくないかもしれない。正確に言うと,大人になっても鉛筆を使っているような人は,ドライであることを拝する性傾の人が多いような気がする。
 そのこと自体は良くもなければ悪くもない。ドライであることが良くもなければ悪くもないのと同じことだ。そこに価値の上下はない。

● ギリギリまで使うと,おっ,すげーな,と言ってもらえるかもしれない。特にそれを 𝕏 に上げると,“いいね” が付きやすい傾向があるような気がする。
 ギリギリまで使うことが善だと思っている人が多いんだろうかね。善だと思っているのに自分ではなかなかできない人が多いのかもしれない。

● けれども,そんなこたぁどーでもいーやね。そもそもの話,ギリギリまで使うことを善だと考えるのが,わりと低俗な思い込みかもしれんし。
 と言いながら,ぼくはギリギリまで使いますけどね。

2025年9月26日金曜日

2025.09.26 ホワイトボードカレンダー

● 「ほぼ日」の文具というと,手帳のほかにホワイトボードカレンダーがある。
 ところが,ほぼ日のアイディアをパクったものだろうか,ダイソーもホワイトボードカレンダーを販売している。しかも,330円。

● どちらが売れているかと言えば,たぶん圧倒的にダイソーの安い方だろう。「ほぼ日」を知らない人は相当いそうだが,ダイソーを知らない人はいない。「ほぼ日」よりダイソーに親近感を抱いている人がはるかに多いだろう。
 それに,安さは正義だ。安かろう悪かろうで,使いものにならないんじゃしょうがないが,ダイソーカレンダーはたぶん実用性に問題はないはずだ。
 で,ぼくも地元のダイソーで実物を見て,買ってみるかなと思ったわけだ。

● 毎日が日曜日ゆえに,自分以外の誰かに決められてしまう自分の予定はほとんどない。自分で決めたものだけだ。自分が決めた予定など,自分の都合でいくらでもなかったことにできるし,そもそも予定じたいがそんなに多くはない。
 したがって,予定管理は脳内メモリでやりくりできるが,手帳は使っている。手帳を使っているのだから,カレンダーに予定を書き込むのは二度手間というものだ。

● が,その二度手間をやっている。夫婦間で予定を見える化しておこうというわけだ。
 これもダイソーにあった「MONTHLY PLANNER」というホワイトボードの月間カレンダーに,外出を伴う予定を簡単に書いて,冷蔵庫のドアに吊り下げている。
 そんなことをしなくても口頭で伝えておけばいい話ではあるのだけれども,たった2人の間でもこうしておくと何かと便利ではある。まさか,デジタルで共有化するなんてのは,この局面では阿呆の極みですしね。

● ただし,問題がないわけではない。見づらいのだ。特に,曜日がパッと把握できないのが鬱陶しさに通じる。この鬱陶しさか嵩じると使わないことになるわけだが,今のところ,そこまでではない。
 が,カレンダーならこの問題は消滅するわけだ。で,ダイソーで330円のホワイトボードカレンダーを買おうかな,と。

● しかし。ホワイトボードの利点は頻繁に消して書き換えられることだ。それがないのであれば,ホワイトボードである必要はない。普通の紙でいい。
 で,わが家の場合だと紙で間に合いそうだ。「MONTHLY PLANNER」だから毎月書き換えているけれども,1年分の日付が印刷されたカレンダーならそんなことをする必要がない。
 ので,紙のカレンダーで良さそうだというのが,今のところの結論。

● というわけで,地元のダイソーでこのカレンダーを買ってきた。来年からこのカレンダーを冷蔵庫のドアに吊るして,予定を書いておく。
 ホワイトボードは出る幕を失ってしまう。

2025年9月25日木曜日

2025.09.25 すべての蹉跌はここから始まる

● ナカバヤシの ARTIST JOURNAL をメルカリで買ってみた。B6スリムとA6スリム。後者はモレスキンポケットと同じ判型。Made in Vietnam。
 共に中紙90枚。10枚折丁を9つ重ねている。

● ぼくはひたすら文字列を書くだけなので,ノートは横罫に限る(3㎜方眼も可)。
 これはA罫。左右ページの罫線位置のズレがちょっと気になる。

● 使用済みのノートは Seria の “仕切りボックス深型”(正規A6に対応している)に立てて保存している。ARTIST JOURNAL のB6スリムもギリギリ収納できる。それゆえに買ってみたのだが。

● B6スリムが4冊,A6スリムが3冊。しめて2,644円だった。
 これだけ取りだすと安いのだが,本当に安かったかどうかは使ってみないとわからない。モレスキンなんか,500円で買えても高いでしょ。モレスキンよりはマシだと予想しているが。

● こうして,ノートもどんどん溜まってしまう。すでに一生分を超えているように思う。
 すでに手元にあるものを消費することに集中せよ。ところが,それがなかなかできない。

● すべての蹉跌はここから始まる。使われるために出番を待っている千冊に近い(たぶん)ノートたちが家の中でムダにスペースを占拠している。
 住居内にカオスを増やす。東日本大震災並みの地震がまた来たら,けっこうな悪さをするに違いない。

● ノートや筆記具のコレクターになるほどの探究心や熱意は,ノートや筆記具な対して抱いていない。文具は実用品で,それを超えた興味を持つようなものではないと心得ている(つもり)。
 が,実際にやっていることは,量的なコレクションだ。何をやっているんだか。

2025.09.25 STAEDTLER の補助軸が逝く?

● STAEDTLER の補助軸が逝ったかもしれない。書いている最中に鉛筆が中にめり込むようになった。強く締めてもこの現象が起きる。短い鉛筆でも長めの鉛筆でも起きる。
 寿命か。よく働いてくれた。合掌。

● STAEDTLER 補助軸のグリップは汚れが目立つので,何度か中性洗剤で洗っている。もちろん,ひと晩乾かしてから装着している。
 これだけ暑い夏だったのだから,ひと晩で乾かなかったはずはないと思う。何が原因でめり込むようになってしまったのかはわからない。

● 逝ったかもしれない方を点検してみると,チャックのしなやかさが失せ始めたような感じ。原因はこれだったのかと思ってみたけれども,もちろん素人に診断がつくはずもない。
 グリップ部の内部のネジ山がどうにかなって,きつく締め付けてもちゃんとチャックを押さえられないようになっているのかとも考えてみるが,それもぼくにわかるはずもない。

● ともあれ,もう1本の STAEDTLER 補助軸で作業を続けたのだが,この新しい方のグリップを逝ったかもしれない方に差し替えてやると,めり込まなくなるんですよね。
 そうして,元に戻してみると・・・・・・あれ,めり込まなくなってるじゃないですか。まだ使えそうだな。

● そのまま使い続けてみたのだが,めり込み現象は消えた。逝ったと思ったのが生き返った。
 もちろん嬉しいのだけれども,何だか狐につままれたような気分ではある。

2025年9月24日水曜日

2025.09.24 Windows11へ移行

● ぼくのパソコンは,アップグレード基準を満たしていないので,こちらの動画を先生にした。
 問題なく移行できた。ただし,USBメモリへのダウンロードが完了するまでに「しばらく」ではなく1時間以上かかった。と言っても,パソコンの前に座っている必要はないから,別に問題はない。

● パソコンの使用頻度はめっきり減っている。CDをリッピングするのと文書スキャナをつなぐときにしか使わない。
 あとはスマホですませるようになった。かなり長めの文章もスマホで。以前はBTキーボードを接続していたのだが,今はフリック入力でやっている。どちら様も同じじゃないかと思う。
 ので,新しいパソコンを買うことは全く考えなかった。

● 街場に出ると,パソコンを持ち歩いているインバウンドの外国人がけっこういることに驚く。スマホではなくてパソコンで万事すませているようだ。
 日本観光中に仕事をしているわけではないだろう。パワーあるなぁと感心するのが半分。バカじゃねーのと思うのが半分。

● Windows11 にして,動きがモッサリしたとかはないです。むしろ,少し軽快になったような気がする。
 データは一応,退避しておいたが,一部はわざと残しておいた。これまた問題なく,そのまま残りましたよ。もちろん,アプリケーションソフトも。

2025年9月23日火曜日

2025.09.23 万物に霊魂が宿る

● ふと思い立って,青空文庫で夏目漱石「余と万年筆」を読んでみた。漱石君,万年筆に対してずいぶんなことをするもんだねぇ。
 もちろん,漱石はわかってやっている(やったことにしている)わけだが。

● ぼくは,鉛筆1本でも大事に扱えば,その分,鉛筆もこちらに応えてくれると考えてる派。原始的アニミズムというか,万物に霊魂が宿るというか,そういうことはありそうだぞ,と。
 死後の世界があるとか,霊魂不滅とか,輪廻転生とか,そういうことは人間が自分の都合に合わせて作りだしたデッチアゲだと思っているけどね。

● ただ,万物に霊魂が宿るというのはどうもあるんじゃないかな,と。というか,そう考えると腑に落ちることが色々ある。
 道具を大切に思っていると長持ちしてくれる。紛失したりすることも減る。ずっとこちらに寄り添ってくれる。

● それは,大切にしているとよく手入れをするからだと言われるかもしれないが,そういうことではない。ぼくは万年筆の手入れなんかしたことはない。鉛筆はもちろんほっぽりだしだ。
 ただ,最後まで使ってやろうと思ってはいる。長く使ってやろうと思っている。単純にケチだからかもしれない。

● しかし,動機は問われないようだ。ケチだからであってもかまわない。最後まで使ってやろうと思っているだけで,長持ちしてくれるような気がしている。
 だから,こまめに手入れはしなくても,目をかけてやることはした方がいいのじゃないかと思っている。目をかけてやるだけでいい。それだけで,モノに宿る霊魂が喜んで働いてくれる。 

● 文具はゾンザイに扱いやすいものだ。ゾンザイに扱うことがあってもかまわないのだ。そんなことで文具の霊魂が怒ることはない。ただし,その文具に気を向けることをやめない方がいい。
 万年筆ならどれがいい? 鉛筆ならどれがいい? というのは問題の半分で,あとの半分は手元にあるその万年筆なり鉛筆なりにどれだけ目をかけてやるかだ。それにやって,万年筆なり鉛筆なりの効能が違ってくるからだ。

● というようなことをわりと本気で思っているポンコツ野郎なんですよ,ぼくは。
 なので,買ったものを使わずにメルカリに出してしまうなんてことはしない方がいい。買ったのだから,そこは意地でも使ってやると覚悟を決める。このあたりが文具の霊魂を癒すんじゃないですかね。
 もっとも,かく申すぼくも在庫を溜めすぎて大半を処分しなきゃならないことになりそうなんだけどね。

● さらに申しあげると,メルカリに出すなと言ったわりには,文具の大半をじつはメルカリで買っている。
 それはメルカリに出された文具の鎮魂のためというと大げさにもほどがあるというものだけれども,だったらぼくが最後まで使って,君の霊を慰めてあげるよという気味がなくもないのだ。上述のとおり,それが裏目に出ちゃってる気配が濃厚ではあるんだけどね。

2025年9月21日日曜日

2025.09.21 また,クツワの「シンロケット鉛筆クリア」について

● 持出し用に北星9500 HB を3本,筆箱に入れている。そろそろ,次を用意しておくか。
 未使用状態の鉛筆にキャップを付けると筆箱に入らないわけだから,予め短くしておかないといけない。で,次は9606にするつもりで,スタンバイを完了した。

● 次の次はクラフツマンにしようと思っているので,目下,準備作業中。
 “ぷにゅグリップ” の代わりに “シンロケット鉛筆 クリア” を使うことにした。鉛筆の長さが半分になるまではこれで行ける。半分になったら普通の補助軸に切り替える。

● どういうわけか,鉛筆が短くなるとこの製品は使いものにならなくなる。おそらくだが,筒の内径がやや大きすぎるからだ。
 かといって,鉛筆の軸径はメーカーによって,同じメーカーでも製品によって,違うのだから,いずれの製品にも対応するには,これくらいの幅にしなければなるまい。

● これで全て賄おうとしないで,美味しいところだけいただくという発想で使えばいいものだと思う。
 “ぷにゅグリップ” の機能は補って余りある。こちらの方が良い。

● 国産鉛筆より細軸の Faber-Castell 9000番でも “シンロケット鉛筆 クリア” は問題なく使えた。鉛筆が充分に長ければ。
 ちなみに,Faber-Castell 9000 の3BよりクラフツマンのHBの方が濃いし軟らかい。これを3Bにしてるとは,ヤツらはどんだけお硬いのが好きなんだ?

2025.09.21  Hi-uni の価格について

● 9800が660円もするのに,Hi-uni が1,980円で買えるなんてあり得ないと思ってしまう。昭和原人はどうしても昔と比べてしまう。
 9800も昔の9800ではなく,品質改善を重ねてきてるんだろうけど,9800は Patented の頃の方が良かったんじゃないかとも思ったりして,気分はけっこう複雑だ。

● おそらくだけれども,鉛筆全体における書き味の差は当時も今もさほどに変わらないと思う。当時は粗悪な鉛筆が普通にあった分,多様性には富んでいたいたろうけど。
 それよりも uni,Hi-uni の価格自体が衝撃だった。価格だけのことはあるはずだと思ってしまう。お金が希少(社会が貧乏)だった分,価格に力があった。

● 9800は値上げするが Hi-uni は据え置くという価格戦略を取らざるを得ない状況になって,Hi-uni が相対的に安くなると,Hi-uni の輝きも消えてしまった。
 そんなものでしょ。現在の BLACKWING だってあの価格でなければ,今ほど騒がれない。価格って幻想だな,と。今さらですけどね。

● Hi-uni はすっかりコモディティ化してしまった。BLACKWING と Hi-uni の価格差に歯がゆい思いも抱く。BLACKWING が500円なら Hi-uni も同額でいいでしょ。何なら700円だっていい。
 でも,今さらでしょうねぇ。いったんコモディティ化してしまったものをもう一度動かすのは難しいだろうから。

2025年9月20日土曜日

2025.09.20 ㈱パイオニアの樹脂製補助軸

● 書いていて最も疲れない補助軸はこれになるかな,と。貫通式ならほぼこれ一択。
 ということは貫通させなくてもこれを使えばいい,と。これくらい太い方がぼくには合う。
 アルミや真鍮製のように締め付けないことが肝。締め付けすぎると軸が割れる。
 でも,ちょっと待ってくださいよ,お爺ちゃん。

● ちょうどいい太さのこの樹脂製補助軸,派手な絵柄やキャラクターをあしらっているのも楽しいのだが,もっと大人しいのはないのか。
 絵も文字も入っていない完全スケルトンがあると嬉しいのだが。

● 最もそれに近いのは,これかもしれない。ステッドラーのやつ。ただし,問題が2つある。
 第1。これでもなお,ステッドラーのロゴが邪魔。

● 第2。これは製品として供給されていない。非売品だ。たぶん,他の製品を買ってくれた人への景品として使われているのだと思う。
 ゆえに,入手経路が限られるし,その経路も安定していない。現時点でメルカリに出ているが,450円。同等品がかつてダイソーで販売されていたことからすると,胸が悪くなるほど高い。

● 製造しているのは池袋にある㈱パイオニアなのだが,ここは100%,B2B の取引で,同社がエンドユーザーに製品を供給することはない。販売元に製品を卸す。
 ということは,完全スケルトンの製品などあるはずがない。不二家,コカコーラ,日清食品などの食品メーカー,ディズニーやサンリオ,アニメのプロモーターなどが大口顧客になっているようなのだが,自社製品の宣伝に使うわけですからねぇ。

● 一番いいのはダイソーで売ってたやつなんだが,ダイソーが復活させる気配はない。たぶん頻繁に軸割れが起きたんだろう。苦情が多かったんじゃないかと推測する。
 普通の補助軸のように締めつけちゃダメなんだけども,その点の告知が不十分だったのかね。

● 結局,結論はというと,透明軸を求めるのはないものねだりということ。透明軸は諦めよ。
 これも透明軸に近いんだけれども,近いだけであって,透明軸とは言えない。こういうものは100でなければ0だから。
 ま,しょうがない。ペコちゃんやスヌーピーや名探偵コナンと仲良くするしかないということだね。

2025.09.19 クツワの「シンロケット鉛筆クリア」は補助軸として使えるか

● 補助軸の欠点を強いて言えば,鉛筆の意匠を隠してしまうことだ。特に,貫通式の補助軸の場合。
 ので,透明軸の補助軸がないかと探すことになるのだが,その候補のひとつがクツワの「シンロケット鉛筆クリア」だ。グリップ部分を除けば完全なスケルトンだから,鉛筆の意匠を楽しむ楽しみを失わずにすむ。

● 貫通式補助軸としてはほぼほぼ使えると思う。が,鉛筆が短くなってホルダーに収納できるようになると,だんだん怪しくなってくる。
 本来の補助軸が必要になる短さになると,もはや全く使えないシロモノに成り果てる。製品名にもなっている,メーカーが想定した使い方(短くなった鉛筆を数本入れて順繰りに使っていく)をするには,たぶん向かない。

● 短くなるとガタガタ言いだすのだ。グリップがガタつくのではない。そこは指で押さえているわけだから。
 内部にスッポリと収まってしまう長さになると,鉛筆の頭が筒の内部にコツコツとあたることがあるのだ。どうしてそういうことが起こってしまうのかはわからないが,それがガタガタするという印象に変換される。
 普通の補助軸を必要とするほどに短くなった鉛筆の場合は,まともに握れなくなる。

● ただし,鉛筆がハーフサイズになるまでは,特に貫通してる間は,鉛筆の意匠が外から見える,軸に太さを付加するための補助軸として使用に耐える。もちろん,貫通式補助軸としては,BLACKWING にも対応する。
 結局,「シンロケット鉛筆」は補助軸ではなく,「ぷにゅグリップ」の代わりになるものですかね。

● 貫通式ではない普通の補助軸で鉛筆の意匠を隠さないのは,ぼくが知る限り,ミミックのドロップスしかないが,普通の補助軸にそれを求めるのは,そもそもが筋違いのような気がする。

2025年9月17日水曜日

2025.09.17 2Bはお好き?

 ● はるかな昔。鉛筆しか使っていなかった小学生の頃。HBは少々硬いな,“かきかた鉛筆” のBを常用したいな,と思っていた。
 老境に至って再び鉛筆を使うようになった。HBも悪くないと思うんだけども,自分には2Bくらいが適当かもしれない。

● 小学生の頃は,一方で,Hや2Hなど薄くて硬いものも面白がって使っていた記憶があるのだが,今はHBどまり。例外として,北星だけはFもありかなと思っている。
 そのあたりも好みだ。好みは動くものだから,数年後には2Bなんかとんでもない,HBがちょうどいい,となっている可能性もゼロではない。

● が,この齢になると好みが動くこともそんなにはないだろうと考えるのが,まぁまぁ穏当というものだろう。2B派を全うすることになる可能性が高い。
 少々寂しくもあるんだけれども,加齢の然らしめるところ。変化の可能性と予想さらる変動幅は,若い人ほど大きくはない。

● ところで。2Bになると,高級品と普及品の差はHBよりも少ないような気がする。いや,違いは厳然とあるんだけれども,気にするほどではない。
 というか,硬度に関係なく,鉛筆は三菱9800,トンボ8900,北星9500でいいんじゃないかと思いますわ。それらを淡々と使っていく寡黙な人というのが理想ですわね。

● BLACKWING を使ってます,Hi-uni を使ってます,パーフェクトペンシルを使ってます・・・・・・アホか,黙って使ってろ。あんたが何を使ってようが,誰も興味なんかねーよ。

● ではあるんだけれども,SNS とはそうしたどうでもいい騒音を垂れ流すためにあるんだよな。SNS なんかに手を染めてる時点で,二流以下は確定なんだな。
 ぼく? もちろん,やっておりますよ。FB は2年で手放したけれども,𝕏 は Twitter の頃から継続している。10年になる。どうでもいいことを言いっ放しにしている。このブログも同じでありますな。

2025年9月15日月曜日

2025.09.15 ミミックのドロップスに新色が出る

● 右の写真はミミックのエボナイト(ショート)とドロップス(ノーマル)。
 ミミック,買ったら使いまくるかと思ってたんだが,意外にそうでもなかった。特別な補助軸ではない。クツワやステッドラーと同じ並びになっている。

● ドロップスにブルーベリーが復活し,新色(グレープ)も出る。買うとすればブルーベリーか。
 ショートにするかノーマルにするか。ショートの方が扱いやすいのは確かだが,ぼくの手にはノーマルがシックリ来る。

● けど,そんなに使うわけではない。だったら見送るか。すでに手元にあるものを使わなくちゃ。
 ドロップスはシトロンだけでいいか。あんまり調子こくなよ,俺よ。

● ショートはエボナイトしかない。ドロップス(シトロン)のノーマルはすでにある。とすれば,次に買うドロップス(ブルーベリー)はショートにしておくか。
 たぶん,トータルでもショートの方が売れるんじゃないかと思う。

● ん? 何だ,買う気なのか。止めとけ。これ以上増やすな。
 すでに8本あるんだぞ。テンピョウやパシフィックはほぼほぼ使っていない。

● ちなみに,ミミックをあまり使わない理由なんだけど,結局,鉛筆に高級感を持たせること,万年筆に擬態させることに,あまり気が行かないからだと思う。
 鉛筆は鉛筆でいいのであって,鉛筆以外の筆記具に似せる必要はない。現在の鉛筆は技術の粋を集めたものであろうが,安価で安直に取り回せるのが身上だ。ミミックはその足を引っ張るところがある。たとえば,キャップの抜き差しが面倒に感じたりする。
 もっと言ってしまえば,鉛筆を万年筆に似せようなどという心映えには,どこかに下品の気が混じる。

● にもかかわらず,ドロップスの新色に気が行くのは,ミミックの質感が素晴らしいからだ。その質感は細部に行き渡っていて,キャップの抜き差しが面倒だと言ったけれども,抜き差しの感触に至るまで考え抜かれている。
 でも,あまり使わない。このあたりの綱引きなんだな。ぼくのような下賤の者は鉛筆の安直さに傾く傾向があるということだろう。

2025.09.15 いくつかの鉛筆

● メルカリで購入したもの。トンボに水色のゴム付き鉛筆があったのか,と思ってね。
 はい,ご賢察のとおり。これはノベルティなんでした。総務庁統計局の。たぶん,昭和の末か平成の初期。
 下の2本は三菱。同じところのノベルティ。

● 元になった鉛筆は,当然にして2558。HBでもしっとりと黒く,書きやすい。しかし,すでに6,7ダースは持っている。
 それだけ持っていても,まだ本格的には使っていないんだけれども,2558は知る人ぞ知る存在ではある。特に2558のBは,一度使ってみてくださいよとお勧めしたくなる逸品であると個人的には思っている。
 知る人ぞ知ると言うのは不適当と思えるほどに,2558はポピュラーではあるからね。筆の流れというやつね。一応,念のために断っておくね。

● 売上げや利益においては,三菱とトンボでは大差があるが,トンボ以外の製品は使わないという鋭角的なファンがいるのがトンボの特徴だ。鉛筆に関してもトンボしか使わないという人が,それなりの数いるんじゃないかと思う。
 そういう人たちが第一に指を屈するのが,2558ではないかと密かに思っている。

● 三菱の eco にもゴム付きがあったんですか。Made From Recycled paper ですよ。だから何なんだ,と思わないでもないけど。
 かえって環境負荷を高めていないか。リサイクルだのリユースだの,リが付くものは眉にツバを付けて見ろ。“エコっぽいもの” は胡散臭い。

● この鉛筆がそうだとまで言うつもりはないけれども。
 少なくとも,再生紙を使って,木と同程度の硬さを確保し,鉛筆削りで削れるようにしてあるのは,大したものではありますよ。

● 不揃いの芯たち。この風情は好きだ。鉛筆の魅力の1つはこれだ,と思うほどだ。
 ぼくも小学生の頃は芯をこんなふうにしてたと思う。今は頻繁に削り揃えてしまう。

● ただし,こういうことは言えるのじゃないかと思う。頻繁に削り揃えることができるのはハンドル式の鉛筆削りがあるからだ。カールのエンゼル5を使っているが,他に2つある。
 小学生の頃に芯の多様性を現出させていたのは,鉛筆削りがないのが理由だった。親は忙しくて子供の鉛筆にまでは目が届かなかった。

● なぜ鉛筆削りがなかったのかといえば,田舎のこととて売ってる店がなかったためでもあるが(何せ,文具を商ってる店は小学生の隣にある萬屋だけだったのだ),貧乏で鉛筆削りなど買えなかったからだ。今でいう携帯用のは買ったのだけど。
 あの頃,芯の多様性を現出させていた主たる理由は貧困にあった。歯で木軸の先端を噛み切って芯を出した記憶もある。

● ちょっと古めのトンボ8900。鉛筆は古きがゆえに貴からず。現行品を使えばいいと個人的には思う。
 時間的空間的に古きを辿って,第2のキャロライン・ウィーヴァーになってもつまらん。現行品には鉛筆数百年の歴史がすべて詰まっている。あとはこちらの想像力の問題だ。

2025年9月14日日曜日

2025.09.14 都内の文具店巡り

● まず,ANGERS Ecute上野店。ANGERS でも来年の手帳が一等地を占めている。
 高橋や能率はない。開運ダイアリーだの夢が叶う手帳だのという,愚者ビジネス媒介物もない。ロディア,ほぼ日 weeks,ミドリなど。そのうち,ANGERS 手帳も並ぶのだろう。

● 東京駅地下のトラベラーズ・ファクトリー。外人ばっか。スタンプコーナーに行列ができていた。並んでいるのは外人女子。人気は世界的。
 「TRAVELLER'S TIMES」の今年号が出ていたのでもらってきた。20周年になる。これを読むとトラベラーズノートを使いたくなる。使わないけど。

● 万引きが増えてるのかと思わせる措置がなされていた。これだけ外人が増えれば中にはいるかね。ドギつくやるヤツが。
 日本人の中にもいるんだろうけどね。

● 丸善丸の内本店。PENフェス イベントってのをやっていて,“すずめや” とか “ステッチリーフ” とか,いろんなところが出張している。
 完全なる祝祭空間。北関東の田んぼの村の住人は人酔いしそうだ。

● 銀座 LoFt。やはり,ほぼ日手帳になりますかね。5年手帳のカバーもありましたよ。
 ほぼ日手帳って,興味がない人は全く目もくれないというところがあるんですかね。売場にはあまり人がいない。が,立ち寄る人はたいてい何かを買っていくみたいな。ぼくは買わないんだけど。

● 無印銀座。6Fで「Paper Trail 展-すべてのものは未来のためのプロトタイプ」を開催中。サラッと見て,4Fの文具売場。
 無印製品は毎日使っている。手帳用の六角ゲル。今は廃番になってるやつだが。ノートもわりと使ったし,在庫を抱えてもいる。
 プラチナ Preppy も,純正より無印のポリカーボネート万年筆がいい。樹脂の強度が違う。インクが外から見えないから,多色展開する人には向かないけどね。

● ムジラーにはわりと親近感を覚える。いいセンスしてるねぇ,とか思っちゃう。
 おまえに思われたくねーよ,って言われるだろうけどさ。

● ここも外人が多い。どこもかしこも外人だらけ。比較的,外人比率が少ないのは丸善。
 来てもらって,買ってもらわないと困るし,かと言って,これじゃ近寄らない日本人が多いかもしれない。痛し痒しのところがある。が,基本は肯定して対応しなきゃしょうがないんだろうねぇ。

2025年9月13日土曜日

2025.09.13 トンボの “福岡県硬筆書写用鉛筆”

● 今もあるのかどうかは知らないのだが,“福岡県硬筆書写用鉛筆” というのをを使ってみている。1ダースほど並行使用。
 本格的に使うのはしばらく後になる予定だが。

● 製造はトンボ。BBとあるので2Bなのだろうが,うち1本だけHBかFなんじゃないかと感じるのが混じっている。
 児童が硬筆書写に使うのに,こういうことがあっては拙いだろう。少々,義憤にかられている。

● ひょっとすると芯質に若干のムラがあるのかと思って,しばらく使い続けてみたのだが,依然としてHBのままだ。
 どういうわけでこういうことが生じるのかは,推測できない。

● この鉛筆,芯も通常のより太いんだよね(たぶん,3.15㎜)。専用芯じゃないかと思うんですよ。 
 どういうわけで発生するのか。この芯で他の硬度の鉛筆も製造していたんだろうか。

● いや,1本だけじゃなかった。他にもあった。HBとして受け取れば悪い鉛筆ではないと思うんだけども,表示がBBだからね。BBでこれはないでしょ。
 しかも,なるほどBBだなというのの中に混在しているわけでね。

2025.09.13 鉛筆は持ち歩くには不向きな筆記具なんだが

● 鉛筆って,鉛筆だけではすまない。キャップ,補助軸,ぷにゅグリップ(これは不要な人が多いだろうけど),鉛筆削り,なんかが必要になる。なかなか手間がかかる。
 外に持ち出すには向かない筆記具だ。万年筆やボールペンならそれ1本で完結するんだけどね。

● そこを何とかしようという工夫が,主に補助軸側から提案されているが,それで1本の鉛筆を外に持ち出そうとする人はほとんどいないと思う。
 鉛筆は1本で使うものじゃなく,集団にして使う方がいいからだ。外では特に。ので,鉛筆を持ち出すには筆箱が必須。

● ということは,鉛筆は即応性に欠けるということだ。パッと取り出してサッと書くというのができにくい。少なくとも,ノック式のボールペンのようなわけには行かない。
 それをしようとすれば,鉛筆を裸でポケットに入れておくしかないわけだ。

● 寝転がって書く人は少数だろうし,エベレストの頂上や南極や宇宙空間で書く人はほぼ皆無だろうから,そうしたところでも問題なく書けるという鉛筆の特性は,ほとんどの人にとってはどうでもいいことだ。
 そのうえで,それでも鉛筆を使いたいと思わせる,鉛筆の誘引力の源は何なのか。

● 数は少ないだろうけど,鉛筆を単体で持ち歩いて,とにかく鉛筆で書きたいという人はいるはずだ。
 だからこそ,クリップ付きの補助軸も登場するのだろうけれども,そんなことまでして鉛筆を使いたいと,鉛筆の何が思わせるんだろうか。

2025年9月12日金曜日

2025.09.12 同じスマホを丸3年使っている

● 現在のスマホを使い始めて丸3年が過ぎた。自己最長記録になる。
 自然にそうなりますけどね。買い換えを促すような新製品は出なくなったからね。新しいのが出ても,これでいいかぁとなりがちですよ。

● まして,ぼくなんか,大した使い方をしてるわけじゃないからさ。一番リソースを喰うのはゲームらしいんだけども,ぼくは大昔からある「上海」をずーっとやり続けているだけなんでね。あんまりリソースを使うゲームじゃないでしょ。
 ただし,「上海」に使った時間をトータルするととんでもない時間になる。1年では収まらないと思いますよ。

● 他には,𝕏 にあててる時間が長い。同じ投稿を何度も見ちゃってる。FB は2年でやめた。正直,少し捏ねくりすぎた。Instagram には手を出さず。
 NHK-FM の音楽番組を聴くのにも使っている。スマホからBTスピーカに飛ばすのが最も簡便。
 ちなみに,Amazon Prime はスマホではなく,タブレットで観ている。Amazon の Fire 10。Amazon Prime 専用ですね。他に使いようがないからね。

● 他に使っているアプリは Google Keep。ロディア No.11 や “すぐログ” やジョッターの類をいくつも買っては眠らせている。自分は外でサッとメモすることができないタイプなのだと思っていたんだけだも,そうじゃない。テキストメモはスマホで録っているのだった。
 このブログも,テキストは Keep でフリック入力するようになった。

● 結果,パソコンの使用頻度は激下がり。ので,Win11 へのアップグレードもまだしていない。
 パソコンを使うのは文書スキャナを使うときと,CDをリッピングするときだけになった。10のままでもかまわねーんじゃねーか。

● YouTube もよく見ている。将棋の対局中継とか解説チャンネルが多いけれども,いろんなものを雑多に。
 テレビよりよっぽどいいと思う。ただ,SNS と同じで,油断するとスルスルと時間が過ぎてしまっている。

● あとは,メルカリくらいか。他に入れてるアプリは,万歩計,電卓,乗換案内,スキャナアプリ(MS-Lens)くらい。それぞれ,便利に使っている。
 一番使うのはカメラですけどね。これはアプリじゃないから。
 昔はね,いろんなアプリを入れて,睡眠のデータを録るなんてこともやっていたけど,今はずいぶん絞れている(つもり)。

● 使用しているスマホは Android。ソニーの Xperia10 Ⅲ。Ⅳが出てから買ったからね。それを丸3年使ってるわけですよ。
 Xperia でいうと,1 は別の惑星に住む人たちが使うものだと思っているので,ぼくには関係のないもの。
 10 はⅦまで出ているのかな。次に買うのはⅤにしようと思ってるんですよ。スピーカがステレオになっている。それ以外の変化はあんまね,どうでもいいかな,と。

● さて。地元のダイソーで MicroSD カードを購入した。安心と信頼の Made in Taiwan。64GBの MicroSD カードが770円とはこれ如何。数年前までの価格は何だったんだよ。
 ひとつはスマホに装着。本体メモリで賄っているけど,使い始めて丸3年が過ぎたわけでね。データのバックアップを考えないといけない。
 クラウド保存が増えているから,バックアップの重要性はだいぶ低下してますけどね。その分,利用しているクラウドサービスが終了なんてことになると,慌てふためくことになる。

● MicroSD は意外に製品寿命が短いので,大容量のを買って常用の記憶媒体にしていると,とんだ泣きを見ることがある。
 2年使ったら交換するのが吉ですな。周到な人は1年で交換してるかも。

2025.09.12 Seria にて

● 宇都宮某所のSeria。2㎜芯のシャープペンが替芯付きで110円。自動で芯が出て,芯折れ防止機能があるシャープペンも110円。
 もちろん,Made in China であって,チャチい感じがする。しかし,値段相応かというと,お値段以上であろうことは,これまでの経験から推測できる。

● 「大人の鉛筆」なのか,おまえは,と言いたくなるものもあるし,「Dr.GRIP」なのか,おまえは,と言いたくなるものもある。
 すでに市場に受け入れられている製販のイミテーション,ありていに言えばパクリと思われる製品が多い。パクるのだから,開発費は先行メーカーが不安してくれているようなものだ。
 自身は負担しなくてすむ。同じものを中国で作ればいいだけだから,110円で販売できる。困ったものだよ。

大人の鉛筆?
● しかも,百円ショップの販売力はハンパなく強い。薄利でやっていける。さらに,現在の中国の製造能力はなかなかどうして大したものだ。
 こだわりがなければ百均で充分だよね,という声が聞こえて来そうなのだが,こだわりの有無にかかわらず百均で充分なんだよね,実際のところは。
 文具はすべて百均でOKだ。百均製品で実用性は完全に満たせる。実用性以外に何が必要なのか。
 
Dr.GRIP?
● 誰だって,安い方がいいに決まっている。効用がたいして違わなければ,安い方を買う。
 それを押し留めているのは,自分が買おうとしているのが百均製品だということ,それ自体でしょう。自分は百均製品を使うような人間ではない(ありたくない)という,ほとんど根拠のない思い込みというか願望というか。

● そういうつまらない縛りから自由になっている人は女性に多い気がする。男も女性なみに解放されると,文具業界のかなりの部分は崩壊の危機に瀕するかもしれんよ。
 女性は百均製品も使うけど高額品も買う。男の場合は,百均でいいとなると,百均製品しか使わなくなる危うさがあるんだな。

2025年9月11日木曜日

2025.09.11 Campus は見てきた

● ファミマ版を使い終えたので,次は先代(第4代)の Campus を使っていく。2000〜2011年の Campus の表紙はこれだった。
 2022年3月にメルカリで購入した。9冊で500円。安い買物をした。中紙の枚数,罫線とも現行と同じ。

● いや,ひとつだけ現行品との違いがあった。ページのヘッダーに日付け記入用の「 ・ ・ 」が打たれていない。あった方がいいかない方がいいか,意見が分かれるところだろう。
 ぼくが書くのは日記的雑記なので,あった方が便利だが,なくても困らない。日付けを入れない人にとっても,あっても邪魔にはなるまい。その程度には印字が薄いから。印刷を薄くすれば問題は解決されるということか

● 今年中には使い切れないと思う。使い終えるのは来年の1月になる。

● ところで。Campus ノートは年に1億冊売れてるって本当か。ため息しか出ないレベルだな。
 仮に年間30冊の A6 Campus を使うとしても,1億冊の1千万分の3に過ぎない。0.00003%。

● その8割はB5サイズ。ぼくはA6しか使わないのだが,これは納得。
 メルカリの出物にもサイズが表記されてないことが多いのは,B5に決まってるでしょってことだからか。

● その1億冊がそれぞれどんなふうに使われているのか。ぼくなど思いも及ばない使われ方がたくさんあるんだろう。
 1億冊のかなりの部分が学校の勉強用に使われているのだろうが,何千万人もの Campus ユーザーが,それぞれの人生や生活の悲喜劇,憂鬱や喜びを,それらの多くは独りよがりに違いないとしても,Campus に書き散らしているだろう。いや,勉強用のノートにもそれらは現れるだろう。
 Campus を主役にした映画を作れそうだ。『吾輩は Campus である』という小説だって。

2025年9月10日水曜日

2025.09.10 鉛筆に代えてシャープペンや芯ホルダーを持ち歩く?

● 筆箱に鉛筆をいれて持ち歩いているけど,シャープペンや芯ホルダーにしてしまえば、鉛筆削りを持たなくていいんだぞ,と(芯研器は要るけど,ずっと小型だ)。
 このことは何度も考えましたよ。筆箱の中身を少なくできる。したがって,筆箱を小さなものにできる。

● KENT(内田洋行?)のホルダーはグリップが細い。北星「大人の鉛筆」くらいはあって欲しい。じゃ,「大人の鉛筆」を連れ出すか。
 って,やっぱり鉛筆になるんですけどね。

● 鉛筆は補助軸を装着した状態の方がカッコいい。一人前になった証だ。できればこの状態で持ち出したい。
 が,これも脳内の遊び。そんなことするはずがない。これをやると,逆に容量が大きくなりすぎる。深さのある大きな筆箱を用意しなければならなくなる。

● 結局,鉛筆に代えてシャープペンや芯ホルダーを持ち出すことはないし,補助軸は必要に応じて1本だけ筆箱に入れるという,変わり映えのしない結論になる。

● なぜシャープペンや芯ホルダーではダメなのか。ダメな理由なんて何もないんだけどね。あまり意味のないこだわりを持っちゃってるのかも。
 出先でも鉛筆を使いたいということなんだけど,鉛筆でなければけない理由は,自分でもよくわかりません。

● 鉛筆は外に持ち出そうとするとけっこう厄介な筆記具なのだ。小学生は,その厄介なものを毎日持ち出しているのだな。
 大きな筆箱をランドセルに入れて。意味のない苦行だと思っている小学生は多いことだろう。

2025.09.10 ほぼ日手帳の売場にて

● ほぼ日手帳。魅力的なプロダクツですねぇ。よくぞここまで。
 手帳カバーは3つ持ってるし,方眼ノートや横罫ノート,テンプレート,下敷,クリアファイルは買った。が,手帳本体を自分のために買ったことはない。

● 1日1頁の手帳は,事実上,ほぼ日が先鞭を付けたものたと思うが(トモエリバーの知名度も高めた),最近は1日2頁手帳なんてのもあるんですね。
 ミドリが出している。文庫本サイズで1日2頁の筆記スペース。5,170円。

● でも,買いません。スケジュール欄は当然,有限であるべきだけれども,1日のメモ欄は有限であってはならない。必要に応じていくらでも増やせなくては困る。
 したがって,スケジュールとメモは分けるべし,メモには単体のノートを用意すべし,というのが,ぼくの基本方針。こうしておけば,メモスペースは事実上無限大になる。
 手帳には中途半端なメモページが付いているが,これは本当に余計なもの。といっても,どうしてもできてしまうものでしょうけどね。

● ほぼ日手帳を自分のために買ったことはないんだけれども,もし買うとすれば5年手帳かなぁ。
 ただ,続く気がしない。以前,無印の「上質紙 1日1ページ ノート」を使って,6年連用日記(1ページ18行だから,3行ずつ区切って6年分)を試みたことがあるんだけれども,3年目で完全挫折した。

● こういうのに “挫折” という大げさな表現を当てることが妥当かどうかは別にして,なぜ挫折したかといえば,自分にとってのメリットが何もなかったからだ。
 同じことを繰り返して書くことになるんですよ。そんなの面倒なだけだから,書かないで溜め込むことになる。後でまとめて書くことになる。毎日書いている日記的雑記を綴ったノートや手帳を参照しながら,数ヶ月前の6年連用日記を書くことになるわけですよ。バカでしょ,そんなことやってるヤツは。

● 無印の安いノートでやろうとしたからだよ,数千円のほぼ日5年手帳を使えば続くよ,やってみなよ,って,それはもっとバカだよな。
 結局,買うには至りませんね。魅力的なプロダクツであることは認めつつ,自分では使わない。

2025年9月8日月曜日

2025.09.08 鉛筆の芯を折ってしまった

● 短くなった鉛筆はこういうふうにする。これで絵を描くのではなくて,字を書くのだが,折れやしないかとヒヤヒヤしながら書くのが愉しい(?)。
 実際には,書いているときに折れることはまずない。が,先端を尖らせているときに折ることはしばしばある。それを防ぐために芯研器を買ったわけね。

● それでも芯を折ってしまいました。削るときに根元の部分をわずかでも削り取ってしまうと,格段に折れやすくなります。
 芯がヤワなのではありません。物理法則の必然です。

● 2㎝ほど芯をムダにしました。この遊び(?)の代償ですね。
 ちなみに,折れた芯を芯ホルダーで使うなどという発想は,ぼくにはありません。などと虚勢を張っていないで,使えばいいんでしょうけどね。

● なぜ芯が折れるのかというと,最後に芯を最大限に出すために,軸の削り面を水平にしようとするからだ。
 つまり,芯に対して直角になるやうに削るので,時々,芯じたいをいくらか削り取ってしまう。いくらかでも削り取ったらアウトということね。

● 良質な芯ほどこうなりやすいと体験的には思うんだけども,このあたりは定かではない。
 要は,不器用な人ほど丁寧に削らなければならないところ,その丁寧さを欠くということね。

● ギリギリまで使って,1本の鉛筆を使い切った快感を味わいたいのでこんなことをしているのだが,ハンドル式の鉛筆削りで削れなくなったところで,ゲームオーバーとしてもいいかもしれない。
 その後は携帯用の鉛筆削りを使って,それも使えない短さになってたら手削りしているわけだが,バカなことをしているなぁと思わないでもない。


(追記 2025.09.23)

● またやらかした。今回は芯ホルダーで使ってみた。折れた芯をギリギリまで使うことができる。
 芯ホルダーのホールド力は補助軸より優秀だな。比べるものじゃないけれど。

● ただし,これは鉛筆を使っているという範疇からは外れる。あたりまえっちゃあたりまえなんだけど。
 鉛筆=芯,ではない。芯は鉛筆の一部に過ぎない。鉛筆の一部を移植しても鉛筆にはならない。

● 鉛筆の全部を装着する補助軸と芯だけを芯ホルダーに移植するのは,完全なる別物。
 やっぱり自分は鉛筆を使いたいのだ。そのためには,芯を長く出して云々というのをやめるこったな。

2025.09.08 測量野帳を30冊,購入

● メルカリで測量野帳(レギュラーの SKETCH BOOK)を購入。30冊で3,500円。問題は,そういうことよりも,本当に使うんだろうな,俺よ,ということ。野帳30冊だと10ヶ月分くらいだが,その10ヶ月が吉と出るか凶と出るか。。だいぶ安い。
 が,出品者様はけっこう放置していたようで,それなりに傷んでいた。表紙に汚れが付着あるいは浮き出てしまっている。

● あんまり酷いところは禰󠄀豆子シールで見えない化。ま,それでも1冊117円は安いです。
 文具店で買うと,276円でしたっけ。コロナが収束してから,複数回にわたって値上げされた。原材料費が上がっているんだから,致し方のないことではあるんだけれども。

● 問題は,そういうことよりも,本当に使うんだろうな,俺よ,ということ。
 野帳30冊だと10ヶ月分くらいだが,その10ヶ月が吉と出るか凶と出るか。

● 野帳もどんどん増えて,数えたことはないけれども,在庫が700冊にはなるんじゃなかろうか。もっとあるかもしれない。
 使い切れるのかどうか,危惧しなくちゃいけない状態になっている。

● 測量野帳はノベルティにも使いやすいらしく,数え切れない数の限定野帳が出ている。表紙に何らかの箔押しを加えたやつ。
 ロルバーンも数多の表紙を出すが,主にはメーカー自身がやっている。測量野帳の場合は,メーカーの与り知らないところで山猫的にやられているのが多いっぽい。

● そうした限定柄ではなく,レギュラー野帳を使っていくのがスマートでカッコいい。限定柄のコレクション(あるいは,コレクションに準ずる行為)に走るのはどうにもこうにもバカっぽい。平々凡々な感じがする。
 なので,この30冊を淡々と使っていきたいものだが,上記の700冊のほとんどは限定柄だ。

2025年9月6日土曜日

2025.09.06 鉛筆の在庫を見て憂鬱になる

● 自分が抱えている鉛筆の在庫は200年分くらいかと漠然と思っていたのだが,ぼくの鉛筆消費量は月1本まで行かないかもしれない。1ダースで1年分には確実になる。
 100ダースで100年分。待てよ,200年分どころじゃないな。

● そんなのを考え出すと,猛烈に憂鬱になる。皆さんはありませんか,そういうこと。
 早い話が,これだけ(右の写真)でも一生分を超えてますよ。爺の残り寿命なんてそんなにないんだから。
 実際にはこの10倍ある。死にたくなってきたわ。

● 鉛筆の大量の在庫を眺めて,こういうことも感じた。
 鉛筆は使えば減る。そこに鉛筆の儚さという情緒を感じる人もいると思うが,その鉛筆も1,000本の塊になると凶暴性を帯びる。凶暴性と言うと言いすぎかもしれないが,鉛筆は永遠で儚いのは人間の方だ,と感じさせる。
 必要量を大きく超える塊に鉛筆をしてしまうのは,精神衛生に甚だよろしからず。鉛筆には使用価値しかないのかという判断は留保するけれども,賢者とは筆記具を必要以上に抱えたりしない人を指す言葉かもしれないぞ。

● 使い終えた鉛筆はインスタントコーヒーの空き瓶に溜めていこうと思っているのだが,まだ底の大部分が見える。瓶がいっぱいになるかと思ったら,大間違い。
 とても無理だ。使い終えた鉛筆はとても小さくさるのだ(消しゴム付き鉛筆だと,消しゴムの部分だけ長くなるから,けっこう溜まった感が出るかもしれないが)。

● とにかく,鉛筆1本を使い切るのは大変だ。万年筆のカートリッジインク1本分とは訳が違う。
 その分,使い切れたときの達成感は大きいのだが,その達成感をしばしば味わうのは難しい。

● 世の中には1週間で1本の鉛筆を使い切る猛者もいるらしいのだが,B罫ノートに文字列を埋めていくだけだと,1週間に1本など夢のまた夢。1日中書き続けても,たぶん無理だろう。
 猛者たちはどういう使い方をしているのか。大いなる疑問だ。鉛筆画を描く以外に,1週間で鉛筆1本を消費できる方法は思いつかない。勉強熱心な高校生でも,1週間に1本は無理なはず。

● 週に1本使えるのであれば,年に50本。10年で500本の鉛筆を使えることになる。
 大変な光明なのだが,そういうわけには行かない。

2025.09.06 さくらさくえんぴつ

● サンスターの “さくらさくえんぴつ”。1本433円は,津軽塗りが施されているといった特殊なものを除くと,国内で一番高い鉛筆ですかね。
 買う人,いるんですか? って,いるんでしょうねぇ。

● あまり勉強できない受験生が験担ぎに買うのかとまず思ってみたんだけれども,そうではなくて,幼稚園や保育園の卒園祝いとか小学校の入学祝いに使われることが多いんですかね。
 高校の合格祝いには向かないかもしれない。少なくとも男子に対しては無理筋っぽい。彼の気持ちはシャープペンに行っちゃってる。

● 自分用に買う人はあまりいないような気がする。メーカーも贈答用として購入してもらうことを念頭においているのは間違いない。
 財布の紐を緩めてもらうには,自分用ではなくて贈答用にするに限ると最初から思っている。そういう包装になっている。

● 昭和のみぎりは,中学校の入学祝いは万年筆,高校の入学祝いは腕時計というのが一般的だったが,現在では廃れているだろう。そうした一般基準は成立しにくくなった。
 今の子供たちは,iPhone を新調してもらった方がずっとありがたいと思うだろう。

● もっとずっと低年齢の子供たちが対象だとしても,鉛筆が贈答用に使われるようになったのが,逆に新しい。
 Hi-uni や MONO100 がそうした用途に使われたことがあったのかもしれないし,今でも BLACKWING が贈答用に購入されることがあるのかもしれないけれども。

● と,ウダウダ言っているだけでは始まらないので,じつは買っておいた。実際に使ってみたのだが,芯が減らず,なかなかいい鉛筆だ。
 たとえば Hi-uni や北星クラフツマンに比べると,筆記抵抗がやや大きい気がするが,これを抵抗と言ってしまっていいのかどうかはわからない。芯はオリエンタル産業のものだと思うが,価格差を考慮すればクラフツマンを選択することになる。

● 価格差を考慮しなくてもクラフツマンか。削りカスも桜の花びらのようになるらしいのだが,軸に頂が5か所あり,その頂に筋を入れている。花びらのように見せるための芸が細かい。
 そういう遊びが好きな人にはいいのだろうが,ぼくはそういう風流に遠い位置にいるので,あまり響いて来ない。当然,ハンドル式の鉛筆削りを使っては,花びらもクソもあったものではない。

● 削りカスも桜の花びらのようになるというどうでもいいことを除いて,単純に鉛筆として見れば,433円の価値はない。
 ノーマルユニよりはいいんじゃないか。しかし,Hi-uni やクラフツマンには劣ると思う。Hi-uni が165円なのだから,もし自分が使うつもりなのであれば,黙って Hi-uni を買っておけと言いたい。
 気持ちザラつき(抵抗)があった方がいいし,筆記音も楽しみたいという人にはいいかもしれない。ぼく一個はそのために433円を払う気にはならないが。

● 繰り返しになるが,メーカーも贈答用に買ってもらうことを想定しているだろう。贈答用なら財布の紐を緩めてくれるだろうという前提での値付けかと思う。
 ニッチ商品の典型的なもので,したがってそんなには売れていないだろう。メーカーもそれで良しと割り切っていると思う。

2025年9月5日金曜日

2025.09.05 三菱鉛筆の Palette vs クツワの BABY-K

● 持出し用の筆箱にトンボ8900の缶ペンケースを採用できた理由の1つは,鉛筆削りを三菱鉛筆の Palette からクツワの BABY-K に変えたこと。
 当初は BABY-K の削り味が好きになれなくて,ここはどうしたって Palette じゃなきゃと思ってたんですけどね。こういうものはすべからく慣れなんだな。

● とは言うものの。すぐに慣れるわけではない。
 携帯用の鉛筆削りは Palette がいいなぁ。葛藤(?)は続くよ。

● しかし,ま,何度も使っていると使い方のコツのようなものが見えてくる。クツワ BABY-K の使い方のコツは,ひと回ししかしないこと。ふた回ししてしまうと,芯がムダに削り取られる。必ずひと回しでやめておくこと。
 いったん BABY-K を使い始めたら,可能な限り,他の鉛筆削り器を使用しないこと。

● BABY-K で削ると,露出する芯先が短くなる。勢い,芯先が丸まるのが早くなる。
 丸まった芯で書くと筆記抵抗が大きくなるかというと,そうでもない。むしろ,半硬度くらい硬くしてもOKになるな。と言っても,芯は適度に尖らせてお使いなさい。

● 薄型であることを追求するなら,鉛筆削り器ではなくて,鉛筆削り用のナイフがいい。が,これは採用できない。
 削りカスをどうするのか問題が残ってしまうからだ。ポケットティッシュを携行するとしても,戸外だとティッシュでくるむ間もあればこそ,風で吹き飛ばされてしまうこともあるだろう。
 それを防がなければならない。削りカスを溜めておけるタイプの削り器でなければならない。

2025年9月4日木曜日

2028.09.04 人はなぜ高額商品を買うのか

● 手帳は去年から Bindex をやめて,百均手帳に移行した。それでまったく不都合を感じていないので,来年も百均手帳を継続するつもりで,すでに手帳本体も購入し,スタンバイ作業(パンチで穴を開け,ビニールパッチで補強する)も完了した。
 バインダーもお茶の水の丸善で買った,赤いビニール製のものをメインにしている。外出の際に持ち出すのはそれだ。
 保存用バインダーも百均で売っているものを使っている。ケチなものだから,安さ優先。

● けれども,文具店には革製の高級なのが置いてあり,それを買う人がいる。
 いや,自分自身が以前はそういうものに惹かれていた。今となっては,どういうわけでそうだったのか忘れそうになる。

● 機能的には百均で満たせるものに,なぜその何百倍もの資金を投じるのか。
 それを使うことに満足を覚えるからだろう。では,機能は同じなのになぜ満足を覚えるのか。

● 肌触りだとか,色合いだとか,デザインだとか,理由はいくつか考えられる。それを過小評価すべきではないと思うのだが,それらを使うことによってステイタスを得られる(ような気がする),自分の所属する階層が上がるような気がする。そういうことかもしれない。
 そのことを確認する手段は,それを他者に見せて,他者からの反応を確認することによって行うしかないはずだが,その他者には自分も含まれる。
 自分ともう1人の自分という他者との相互作用の中で,その確認過程が進行する。

● 人の行動は快不快の原則(快を求め,不快を避ける)で理解できると思っているのだが,快や不快は行う行為じたいに内在することも当然あるけれども,その行為が介在することによって生じる他者との関係性において立ち現れてくることが多いと思う。
 他者には自分も含まれるので,リアルの他者がいなくても,自分だけで快の増進過程は成立する。リアルの他者からの反応があれば,もっと迅速に進む。結局,そういうことかと考えてみる。

● 自分は定年退職という強制される措置によって社会や世間から切り離され,そのことを喜んでいる。他者との相互作用から自由になれたかとが嬉しくて仕方がない。というか,他者の反応に興味がなくなっている。
 いわゆる高級品に興味がなくなったのは,それが理由であろうかと思う。

● ただし,自分がそういう境遇だからといって,それが成長後の到達点のように考えるのは間違いだ。成長とは関係ない。
 境遇が変わったことによる単なる変化だ。そこに善悪や正誤はない。

● ぼくも自己中心主義から脱し切れず,自己を相対化するのが弱いところがある。これは今後の努力目標になる。
 他者の眼を意識して,そこに快の源を求め,高級・高額商品を使いたがる輩を下に見たがるところがあるが,それは甚だよろしからず,ということ。

● たとえば,デザインフィルのプロッターのA5サイズの薄型バインダーを見て,これいいなぁと今でも思う。トラベラーズノートのバインダー版の趣がある。
 現在使用中のビニールバインダーに代えようかとまではもはや思わないけれども,これをメインのバインダーにするのも悪くないなとは思う。

● リング部が剥がれやすいとネットで見たことがある。一枚皮がよれてしまわないかと気にもなる。
 そこがいいのだと言う人もいると思うのだが,結果的にぼくはパス。だけども,カッコいいとは思う。少なくとも,タダでやると言われれば受け取るもんね。くれる人はいないと思うけど。

2025.09.04 ビジネス手帳雑感

● ラゾーナ川崎の丸善にはまだビジネス手帳のコーナーはできていない。LoFt にはあるけど。
 ほぼ日手帳 weeks やキャンパスダイアリー,ジブン手帳の来年のやつはある。写真のようなおバカ手帳もある(この種のおバカ手帳は昔からあるし,これからもあり続ける。なぜなら,人間はおバカな生き物だからだ。ただし,そんなには売れていないと思う)。
 が,高橋書店や能率協会のは並んでいない。

● 丸の内本店にはあるんでしょうね。地域差はあるんでしょ(当然,宇都宮の書店にもまだない)。
 しかし,去年までは速攻で並んだような記憶があるんだが。ほぼ日手帳が出る前にビジネス手帳の売場が出来あがっていたような気がする。記憶違いだろうか。

● ビジネス手帳を売る気はあまりなさげにも映る。いずれ並ぶんだろうけれども,そんなに慌てないよ,ということか。
 できれば扱いたくないんだがなぁと思ってるんじゃないかと勘ぐってしまう。手帳をピックアップしてレジに持って行くところを目撃したことがない,というのもその勘ぐりの理由になっている。

● ビジネス手帳というのは,人口比以上に都市部(特に首都圏,大阪圏といった大都市圏)で売れるものだと思っているのだが,高橋でも能率でも,各県別の実売数を公表してくれないものか。
 ネットを探せば落ちている? たぶん,このデータはなさげだな。実売数じたいのデータもないんじゃないかと思うんだが。

● どれだけ印刷して,どれだけ売れて,どれだけ返却されて裁断処分にしているのか。
 裁断処分している割合がシャレにならない率に達しているんじゃないかと,疑ったりもしているわけですよ。結局,その分も含めて,購入者がコストを負担しているわけだから。

2025年9月3日水曜日

2025.09.03 弱者に明日はない?

● 伊東屋では鉛筆は全て画材売場にあり,Standard Products では硬度別のクラフツマンは初回入荷分しか販売しない。12硬度セットと色鉛筆は常時販売。
 “書く” より “描く” にシフト。気持ちはわからんでもない。

● 今日は鉛筆を置いていない文具売場に遭遇した。画材は豊富にある。
 こういう売場を作ってみたくなるのも,わからんでもない。けれども,鉛筆を置いていない文具売場があるのは,けっこう来るものがある。ここまでになっているのか,というね。

● 川崎の地下街アザレアにある Standard Products にはクラフツマンのFだけはけっこう残っていた。が,そのFも残りわずかになっていた。
 クラフツマンの硬度ごとの補充をしない理由は解しかねる。12硬度を均等に使うことなどあり得まい。特定硬度の補充は許さない,補充するなら12硬度全部まとめてやってくれ,というのは販売業としては頭が高すぎると感じる。

● ところが,Standard Products に限らず,このやり方を採用しているところはけっこうあるようだ。最初からセット販売しかしないやつ。むしろ,その方が多いのか。
 三菱鉛筆やステッドラーは個別に売るのが原則で,セットも販売しますよという行き方のように見えるんだけれども,これは強者だからできることなのかね。

● 描く世界でも三菱鉛筆やステッドラーが採用されることが多いのは,個別硬度の補充がしやすいのも大きな理由だと思うのだが,それが強者だからこそできるのだとすると,強者は半永久的に強者であり続けることになりそうだ。
 セット販売しかできない弱者に明日はない。

2025.09.02 バカの看板を背負って外に出るようなもの

● これ(右の写真)はコクヨの広告。主には,“大人キャンパス” の拡販を狙ったもの。
 文具にこだわる大人はかっこいい,って本当か。ウスミットモナイじゃなくて,かっこいいのか。そうなのか。

● これはなかなか難しいところがありますよね。“こだわる” を前面に出してるヤツって,ウスミットモナイどころじゃないでしょ。
 こだわりはバカの証明だ,と言ってやりたくなった経験を持たない人は少ないんじゃないか。

● 自分は文具にこだわる人間だという表明は,もししたいのあっても,SNS に留めておけ,リアルではするな,というのが最低限でしょ。
 SNS はそのためにあると言っても過言ではない。リアルでバカのレッテルを貼られないためのバッファとして SNS は存在する。

● “こだわり” が高級,高額に傾くのも問題だ。おまえは持ち物によって自分に付加価値を付けるしか能がない人間なのか,と思われるのがオチだ。
 たしかにそうするしかない人間だよな,おまえは,と蔑みを買う結果になる。

● パーフェクトペンシルを外に持ち出そうとするヤツに特にそれを感じる。バカの看板を背負って外に出るようなものではないか。
 自慢は SNS 内に留めておけ。可能なら,SNS でもするな。ぼくが言っても,説得力はないと思うけどね。

● こだわりを捨てるのは容易じゃない。放っておけば何がしかの分野で何がしかのこだわりを持ってしまうのが,人間というものだ。
 美容院にこだわる,化粧品にこだわる,食事にこだわる(ヴィーガンとかさ),タクシー会社にこだわる,コロナ時にマスクにこだわる・・・・・・ことごとくバカの臭いがするが,それは致し方のないものだろう。こだわらないというこだわりもあるわけでね。

● ただし,“こだわらない” より “こだわる” が上位だと考えるのは,愚鈍という以外の言い方がない。こだわりは放っておいても,雑草のように生えて来る。こだわらないためには意思と知の力が必要だ。
 こだわりは基本的に恥ずかしいものだ。持ってしまうのは仕方がないのだが,それを口外するのは服を着ないで外を歩くのと同程度には恥ずかしいものだと心得るべきだ。

● というわけで,結論。こだわりは隠すべし。
 本当は伝えたいのだろうが,隠しても伝わるから大丈夫。