● 6日には上野駅構内のANGERSで,トラベラーズノートの前から動けなくなった。これ,いいなぁ,と。
トラベラーズノートを使っている自分をイメージするわけだ。そのイメージがなかなか悪くない。自分の都合のいいようにイメージするからね。
● けれども,目下使用中のダイスキンでもまったく同じことができるし,現にやっている。ダイスキンでもトラベラーズノートでも,できることは同じ。
なのになぜトラベラーズノートに惹かれるのか。商品が醸す気分とか雰囲気だ。つまり,虚飾だ。虚飾なるものだ。
その虚飾を作りだすために,メーカーは必死の努力を傾けているのだと思う。
● ぼくはもう虚飾に走る年齢でもないと思うので,このままダイスキンを使い続けるだろう。それは間違いないのだけれど,ひょっとして,死の床に着くときに,トラベラーズノートをつかっておけばよかったと思うんだろうか。何で安いダイスキンに甘んじてしまったんだよ,なんて思うだろうか。
● ある商品から別の商品に乗換えさせる原動力になるものは,虚飾にある。それがその商品の魅力でもある。
人もまた同じ,だろうか。
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