● 6日に上野駅構内の「ANGERS」で“ほぼ日手帳”のweeksMEGAを見て,自分がほぼ日手帳を使うとすれば,これになるなぁと思った。
手帳とメモ帳を分けて,メモはダイスキンに書いているのだが,なぜそうしているかといえば,メモの容量が無制限になるからだ。いくらでも書ける。
● が,どうもここのところ,メモを書くことが少なくなっている。分量が減っている。ひょっとすると,メモページが多いweeksのMEGAだったら,1年分のメモが収まるかもしれない。あの小さい手帳に1年分のメモがそっくり入るとなると,なかなかに壮観というか,クールというか。
ただし,その場合はかなり小さな字で書かなければならない。あの小さな方眼のマス目に1文字書くくらいじゃないと。
● それに命を賭けるくらいじゃないとね。憂鬱の鬱という漢字もマス目に収める。米粒に絵を描く人がいるんだから,それくらいできなくてどうする。
そうしてできあがった手帳は「男手帳」になる。男は絵じゃなくて文字に生きるのだ(?)。
● もちろん,実際にそれをするつもりはない。少なくとも,目下のところは。メモ用に買ったノートが,ダイスキンをはじめたくさんストックされている。
縁あってぼくのところに来たノートたちを,使わないまま捨てるなんてできるわけがない。使ってから捨てたい。使ったあとなら捨てても許してもらえるだろう。
● っていうか,あの世に持ってはいけないのだから,生前に捨てておかないといけない。家族に読まれては困ることも書いてあるかもしれないしね。
きっちり使って,死ぬまでには必ず捨てる。これ,できそうでできなそうだなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿