写真がピンボケていてわかりづらいだろうけど,手帳が入っているダンボールに書かれているのは,糸井重里ことセフティ・マッチ氏(逆か)の次のような言葉。
希望というのは,ほんとうに大事なものだから,絶対になくしちゃだめだよ。 指先のほんのひとつまみの塩が,料理の味をすっかり決めてしまうだろう? 希望は,その塩なんだよ。● 中身はこんな感じ。ほぼ日のサイトにあるのと同じ。あたりまえだけど。
これ,5年分埋まった暁には,絶大な価値を帯びたものになっているだろうね。文字どおりのプライスレス。
● 価値を大きくする要素のひとつが,書けるスペースに厳しい限定があることだ。これによってとある1日の5年分を一望することができる。究極の一覧性。一覧性を軽く見てはいけないよ。
スペースが限定されているということは,そこに何を書くか考えざるを得ないということだ。ダラダラ書くわけにはいかないのだから,いうなら知的緊張を強いられる。何を捨てるかという問題。
● その知的緊張という篩にかけられて残ったものが,365日×5年+1日(閏年)で1,826個も,このコンパクトなノートに堆積することになる。
それって,相当にすごいことだと思う。この5年手帳を使い切れた人は,それだけで人類の上位1割に入るんじゃないかと思うほどだ。
● もちろん,ほぼ日5年手帳じゃなくてもいいわけだ。能率協会や高橋や博文館からもっと安いものが出ている。ただ,旅行のときも持っていくとなると,これくらいコンパクトで軽い方がいいのではないか。取り回しも楽だろう。
Excelを上手く使えば,パソコンでもやれるだろう。しかし,ここは一覧性を重く見て,やっぱり紙でやりたいものだ(→ 一覧性にしか着目しないのはかなり皮相。5月末から「ほぼ日」に掲載された,糸井さんと古賀健史さんのこちらの対談を読んでください)。
● で,ぼく自身はこれを使わないというのは,ダラダラ書きたい派だからだ。知的緊張は避けたいと考える軟弱派なのだ。
ダラダラ書いたうえで5年手帳にエッセンスを残していくというやり方はあるんだろうけど,それもしないね。要約するなんて作業はしたくないってことじゃなくて,そうまでするほどには自分の人生に価値はないと思っているというか。
それって謙虚っていうんじゃなくて,投げやりなんだと思う。つまり,かなり良くない態度だと思うんだけどね。
● ともあれ。自分では使わないので,使っていただける人に差しあげた。ほぼ日手帳は買うことに意義がある。
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