● ひょっとすると,ぼくがノートに何ごとかを書いているのは,ノートを消費したいからなのかもしれない。書いたものをどう活用しようかとか,生活や仕事にノートをどう活かそうかとか,そういうことではなくて,ノートを消費するという生活をしたいから,ノートを使っている。
ノートを使うことは,何かの手段ではなくて,まさにそれが目的という。
● その場合,バリバリとノートを消費している状態が,すなわち生活が充実していることになる。消費量が充実度のバロメーター。
だから何でもいいから書いて,ノートの残量を減らしたいという方向に行く。案外,そんなものではないだろうか。
で,これはノートや文具に限らず,趣味の特性なのではないか。つまり,ぼくの趣味はノートを使うこと。ま,悪い趣味ではないと思うけど。
● ノートなんてどれでも同じという人が大半だろうし(そもそも,ノートを使っているのは少数派だろう),実際そのとおりだとも思うけれども,ノートを使うことが趣味ということになると,そこにこだわらずにどこにこだわるのかという話になる。
といって,ライフやミドリ,ツバメの製品をぼくはまだ使ったことがないのだ。高いからな(ツバメはそうでもないが)。
トラベラーズノートも“紳士なノート”もLEUCHTTURMもロディアのハードカバーノートも使うことなく終わるだろう。それらを使ってみたいとはあまり思わないのだけれども,それでノートを使うことが趣味だと広言してはいけないな。
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