2018年11月21日水曜日

2018.11.21 罫線について

● チアックを買い占めることができなくてよかったと思う理由のひとつは,それが方眼だったことだ。方眼ノートも何冊か手元にあるんだけど,使わないで残ってしまっている。
 ノートには文章しか書かないわけなので,圧倒的に横罫が使いやすいのだ。

● 横罫が最もあるふれている。ありふれたものに対する批判は必ず生まれる。思考が罫線に縛られて直線的になりがちだ,広がりを欠くようになる,とかね。
 で,今は方眼礼賛が流行中。方眼に縛られるということはないのかい? 方眼を使うと思考に広がりが生まれるかい?
 自分は方眼が好きだとか,ダイスキンに方眼があればとか,方眼の流行中にそんなことを言っているのは,私はバカですと言っているようなものだ,と感じたりもするんだよね(→おまえに言われたくねーわ)。

● 思考を縛るという話に戻ると,もしそういうことがあるとするなら,その悪さをするのは罫線の有無や種別ではなくて,線の印刷の濃さだと思う。
 ロディアの方眼線で方眼のマス目に囚われないで文字を書ける人なら,横罫か方眼かにこだわる必要はそもそもないのではないか。罫線を無視できる人だからだ。
 総じて神経質になりすぎているのではないか。ダイスキンの罫線は濃い方に属するが,昔のノートはもっと濃かったような気がする。

● 今のノートはどれも罫線は薄くなっている。色も目立たないグレーっぽいのが多くなった。昔は青が多かったように記憶する。
 そうなると,罫線を気にしても仕方がないわけだが,ぼくはやはり横罫がいいな,と。同様に方眼がいいという人がいてもいいわけだ。

● が,それにしたって方眼が幅を利かせすぎているのではないかと思ってしまうんですよ。方眼を使うとできる人に見えるとか思ってない?
 心頭滅却して,できる人に見せようとする欲を消した方がいいよ。どうせ見えないんだから。

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