● ぼくはずっと横罫のノートを愛用。ときどき,方眼も使ってみるけど,使い方は横罫を使っているときと同じ。若い頃は無地を好んでいたが,やはり横に文章を書くだけだった。
つまりは,罫線に添って律儀に書くタイプなのだ。
● 梅棹忠夫『知的生産の技術』に紹介されているエピソードを,今,思いだした。昭和天皇は罫線なんか無視して,大きな字で署名されたそうだ。
梅棹さんは,帝王の文字とはこういうものかと感じ入った,と書いていたのではなかったか。
● ぼくはそれができないのだ。小市民的な使い方というんだろうかなぁ。予め決められたルールやデフォルトの縛りをあまり疑わずに,それに従うタイプなのだ。
小心者でジャンプできない。独創や発見には向かないタイプだ。そういうことがノートの使い方からも窺われる。
● ノートくらいで何を大げさなと言われるか。そうではない。大事は小事に現れるのだ。わかっていても直せない。それが器量だからだろう。
要するに,自分の書き方が現状のままでいいと思っているわけではない。ないのだけれども,それに代わる書き方も思いつかない。
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