2018年11月6日火曜日

2018.11.06 使い倒された道具が帯びる,なにか魅力的なもの

● ブング・ジャム『筆箱採集帳 増補・新装版』(廣済堂出版)の中に,高畑正幸文具王の次のような言葉がある。
 大切に使われるべくして生まれたものが使い込まれて風格を持つケースは,紳士の道具にはよく見られることだが,ごく普通の日用品が酷使され続けた結果,持つに至った説得力にもまた,前者とは異なる魅力がある。無関心な信頼の集積が,層を成す漆のように深みを持ち,いつしか魂を持ち始める。(p79)
 高級品ではない普通の道具を使い倒して,その使い倒された道具が帯びる,なにか魅力的なもの。

● そういうものが自分の筆箱の中にはないものか。万年筆(プラチナのプレジール)にそろそろその気配を感じるくらいかなぁ。
 手帳に合わせているハイテックCコレトは長く使っていて,製品名の印字も完全に消えているんだけども,塗装が剥げるとかの痛みがあまりないので,風格を感じるところには至っていない。
 ディズニーランドで買ったスティッチの定規もメモリは読めないくらいになっているんだけども,プラスチックだからか,風格云々という趣はない。

● システム手帳のカバーも長く使って年季が入った感はあるけれども,たんに汚れているだけかも。
 今どきの文具で風格を出せるものは,あまりないかもしれないね。

● それでも長く使っていれば,使い手の気持ちが道具に籠もるものだと思いたい。実際にそういうことはないんだろうけれども,あると思った方が愛着も湧くというものだ。
 だから,安物でいいから大事に長く使いたいと思うのだ。文具に現れた自分の風格(?)を見たいものだ。主には高級文具が持つ,文具それ自体の風格ではなくて。

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