全くこだわらず,ありあわせのものを使っているのに,かっこよく見える境地をめざすべきでしょう。針の穴を通すコントロールで,“こだわらないけどかっこいい” を演出すべし。
これはね,難しいですよ。服を選ぶ前に自分の身体・体型を何とかしろ,と言うのと同じだからね。
● 凡百の人間が型を整えてみたって,凡百にしか見えないでしょ。ペリカンのスーベレーンでレザー表紙のモレスキンラージを使ってみたところで,凡百にしか見えませんよ。君に使われたんじゃそのペンもかわいそうだね,と思われるのがいいところ。
自分の水準を上げないといけない。いや,水準を上げるという言い方は正確じゃないな。文具を使っているところが絵としてシックリ来るようになればいい。そのために必要なのは時間だけかな。ただし,時間をかけること自体,なかなかできることじゃありませんよ。
ぼくは使い分けない。デキる大人じゃなくてもいいから,使い分けない。使い分けを考えた時点で敗北だと思っている。というかさ,使い分けるのって面倒じゃないですか。
● 児童生徒が教科ごとにノートを用意するのはいい。それは予め機械的に分けられているものだから,それぞれに対応するノートを用意するのは,面倒がないし,効率もいい。
けれども,学校を卒えて社会人になれば,「予め機械的に分けられているもの」なんてなくなるでしょ。であれば,1冊で全方位に対応するのが最も効率がいいんじゃないですかね。
● ノートならルーズリーフにして,あとから分類できるようにするのは,まぁ構わないと思う。けれども,できるなら,「あとから分類」はいったん頭から追い出した方がいいのじゃないか。
SNSを見ていくと,手帳も複数使い分けている人がいる。人様のやり方に口を出してはいけないのだが,それでよく混乱しないなと思う。また,そのやり方では返って取りこぼすものが増えるのではないかという気もする。
● 大人は使い分けない方がいいのじゃないか。1冊の手帳と1冊のノートと1本のペンですべてに対応するというのが,最も簡便で最も効率のいいやり方だと思っている。
ただし,今のところは,だ。明日もそう思っているかどうかはわからない。
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