2022年1月2日日曜日

2022.01.02 手帳は1冊主義

● Twitterで手帳の使い方を見ると,複数冊を使っている人がけっこういるようなのだ。まぁ,そういう人がたくさんツイートするのかもしれないけど。
 ぼくは生まれてこの方,手帳はずっと1冊主義だった。1冊にしなければ手帳にならないと思っていた。

● たとえば,仕事とプライベートで手帳を別にするとダブルブッキングが発生しがちだといったことよりも,同時に複数の手帳を扱わなければいけないとなると,機動性が落ちるのではないか,と。
 これはどの手帳に書くのかという迷いが,使う都度,発生しそうだ。かつ,複数の手帳を持ち歩かなければいけないことになる。自ずと,手帳に書くことが億劫になるのではないか。

● ぼくが1冊で足りたのは,高度な使い方をしていなかったからかもしれない。少ない予定を書いておくのと,ログを残しておくくらいのことだったから。
 基本的に自分のことしか書いていない。家族の予定を書いたことがあったろうか。自分との関連がある限りにおいて書くことがなかったとは言えないけれども,その程度にとどまっていた。

● 家庭の主婦の中には,自分でも仕事をし,夫や子どもの予定まで把握するという超人的な技を発揮している人もいるかもしれない。というか,たくさんいるだろう。
 しかし,そういう人こそ,複数の手帳を使ってしまっては,所期の目的を達成することは難しくなるのではないか。使い方が複雑になるほど,書きこむ内容・項目が増えるほど,1冊に収める工夫をしないと収拾がつかなくなりそうな気がする。

● たくさん書くから1冊では足りないというのであれば,大判の手帳にするか,システム手帳を使えばいいではないか。ジブン手帳が典型的にそうだと思うのだが,複数冊を一緒にしたような手帳もある。フランクリン・プランナーはその先駆かもしれない。
 いや,これらはスケジューラーとメモ帳をひとつにしたもので,スケジューラーが2つあるわけではないから,やはり1冊の手帳だね。
 でも,ジブン手帳くらいのスペースがあれば,複数人の予定を書いておけるだろう。忙しい主婦に支持される手帳のように思える。

● 結局,手帳を複数冊使っていられるのは暇だからじゃないかなぁ。暇であることの特典なんじゃないかなぁ。
 そこまで言っては言い過ぎかもしれない。複数冊の手帳を使っている人は,手帳を使うことが好きなのだろう。手帳に書くことが好きなのだろう。手帳が趣味なのだろう。であれば,好きにすればいい。

● 手帳を使うことの効果というのはあると思うが(だからこそ,自分も手帳を使っているのだし,多くの人が使っているのだ),使い方の差異が効果にどれほど影響するかといえば,ほとんどないのではないかとも思う。
 綴じ手帳かシステム手帳か。マンスリーかウィークリーか。大型か小型か。それらは効果を左右する要因にはあまりならないかもしれない。

● 手帳の効果を決めるのは,どんな手帳を使っているか,どんな書き方をしているかではなく,その人が置かれた環境,切羽詰まり具合ではないか。同じ手帳を使い,同じような書き方をしていても,使い手が置かれた環境によってその効果は大きく異なるものでしょ。
 したがって,あまり手帳じたいにこだわっても仕方がない。手帳の書き方,使い方といった方法論を問題にしても,あまり意味がないような気がする。
 貰いものの手帳を自己流で使っていたって,何の問題もないだろう,たぶん。

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