2022年1月7日金曜日

2022.01.07 トラディオ・プラマンは手紙を書くのに向いているのだが・・・・・・

● プラマンの線や色は手紙に向いていると思う。この手紙(葉書を含めて)というのを書かなくなって久しい。メールやLINEで即時送達が可能なのだから,早くても翌日にしか届かない手紙で何事かを伝える必要はなくなった。
 手紙が残るとすれば(残っているのだが),文化として残るということだろう。好事家の趣味として残る。

● が,文具店に行くと,便箋や封筒,レターセットなど,手紙関連の売場が拡張される傾向にあるようだ。好事家が増えているんだろうか。
 メーカーにとっては美味しい分野のはずだ。文具に限らず,贈答モノは利幅が大きい。典型的には冠婚葬祭に用いられる花を考えればいい。

● 自分ひとりなら質素なものでいい,最低限の実用性を満たすものでいい,と考える人でも(ぼくはそうなのだが),相手に渡るものまで実用性を満たすなら安いものでいいと達観できる人は少ないだろう。ミエが入り込む。
 自分で使うノートなら百均で充分だと考える人でも,相手に渡る便箋まで百均でいいと割り切れるかどうか。百円ショップではなく文具店に買いに行くのではないか。ミエは高くつくものだ。

● が,ミエを度外視しては文化など成立しないものだろう(しなくてもいいじゃないかと思わなくもないのだが)。ミエを張りたいがゆえなのか,“和がハイソ” 的な流れに乗ってのゆえなのか,女性の間で手紙文化が復調しているのではないかと感じる。
 伝達手段として手紙を採用するとは考えづらいから,手紙を書くという行為をしたいから手紙を書く,ということなのだろう。書いた手紙を誰に出すかは,じつは二の次三の次の問題で,手紙を書くことが自己目的化しているのだと思う。

● 手紙を書くとなると,筆ペンとか呉竹のレターペンとか,今まで使うことがなかったペンも使える。それも手紙復権の理由の1つかもしれない。
 そういうこともあるのかなと思っている。自分がそうだからだ。今のままだと Plaisir 1本ですんでしまうが,もっと用途を開拓すればいろんなペンを使うことができるぞ,と思っているからだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿