2019年6月29日土曜日

2019.06.29 小日向 京 『惚れぼれ文具 使ってハマったペンとノート』

書名 惚れぼれ文具 使ってハマったペンとノート
著者 小日向 京
発行所 枻出版社
発行年月日 2019.02.28
価格(税別) 1,500円

● 文具の薀蓄を披露する以前に,随筆として成立している。話材が文具というだけだ。串田孫一『文房具』(白日社)の衣鉢を継ぐのは,この人かもしれない。まずは小日向さんの文章を味わうべきだ。
 個々の文具への目のつけ所と,自分自身のある部分とを繫ぐ,その道のつけ方が見事だ。裕福で知的な雰囲気に満ちた家庭で育ったのだろう。ここまで解像度の高い感性と視点は,環境の助けがないとなかなか待ち得ないものだと,ぼくは思う。

● 解像度が高いとは感覚が細かいということ。驚くほどだ。ぼくのように何でもダイスキンに書き,ペンはPlaisir1本(手帳を含めれば2本),インクはプラチナのブルーブラックのみというのは,彼女にはあり得ないことだろう。
 その細かい感覚に素直になるために費やさなければならない時間,手間,お金は引き受けるしかないと思い決めている。

● 書くことそれ自体,文具を使うことそれ自体は目的ではなく,あくまで何事かをなすための手段に過ぎないと,ぼくなんぞは思ってしまう。ぼくだけではなく,大方の人はそうだろう。
 そういう前提があって『情報は1冊のノートにまとめなさい』も成立する。すべての「知的生産の技術」はその前提があって成立する。技術とは合理性の追求だからだ。
 ノートやペンにとらわれすぎるのは不可とされる。それは道具を使っているのではなく,道具に使われているのだと言われる。

● しかし,彼女ほどに解像度が高くなると,それは成立しなくなる。技術が感覚に応えてくれなければ,技術を捨てるしかない。それはそれで難儀なものだと想像するが,そこに“美しさ”を感じるのも事実だ。
 しかし,自分はそっち側には行けない。そっちに行くには育ちが悪すぎた。

● 以下にいくつか転載。

 場合によっては「文具は何を使っても同じ」という姿勢も,立派な文具選びと言えると思います。(p4)
 記述の用途につき一種類の筆記具があればこと足りるのだとわかっていても,さてその記述用途を迎えるときの自分はどのような気持ちの状態なのだろうか,記述環境はどうなのだろうか,季節はいつなのだろうか,などと考え始めるととても一種類の筆記具ではすまないように思えてくるのです。(p12)
 ゆっくり書くときと速く書くときに向く万年筆は,もしからしたら同じ1本かもしれません。ただ,長い文章を速く書くのに向く万年筆というものが明らかにあります。(p24)
 軸の太さが文字の取り回しに重要なことは,たとえば割り箸を1本手にして同じ動きをしてみるとよくわかります。(中略)太軸だとこんなに「運動量」が少なくて済むんだ・・・・・・と実感できることでしょう。(p25)
 パソコンのキー入力やスマートフォンのフリック入力などを繰り返していると,「ああどんな文字でも線でもいいから,何か手書きをしたい」と無性に思います。頭に思い浮かんだ文章をキー入力でダダダッと一気に打てたときや,フリック入力の予測変換がすべてうまくいったときに得られる爽快感は確かにあるものの,筆記具を手にして紙の凹凸を感じながら「変換」などなく文字を書き綴る心地よさは,他の方法の何ものにも代えられないと痛感するからです。(p36)
 近年では御当地インクの人気も相まって,若い世代の万年筆ユーザーが増えています。そしてコンピュータデバイスの件に立ち返ると,スマートフォンを中心に高年齢のユーザーが一気に増えました。これまで使うことのなかった道具でも,その魅力や必要性から世代を超えて歩み寄る。そんな探求のクロスオーバーは,この時代ならではの現象と言えます。(p38)
 ポケットに挿されている筆記具は,長年使い込まれているような古びたものも美しいし,百円ボーツペンだってかっこいい。そこからパッと手にして,筆記具がどこの何なのかも気にしていない,という様子で迅速に書き綴る--その姿は人の固定観念をすべて帳消しにすることでしょう。(p44)
 これらの鉛筆を,そのときの記述内容や紙,また天候によって使い分けています。使い分ける理由は,その筆記音です。(中略)黒鉛芯と紙によって,鉛筆は様々な音を奏でます。その音に,書くときの心情がぴったりと合うと,書くものの内容までもが色濃く仕上がると思うのです。(p73)
 そんなさまよい人たちは,「紙なんてどれを使っても同じでしょう」と言う人たちへ,うんうん,自分もそう思えた頃は良かった・・・・・・と,どこか懐かしそうに目を細めます。(p100)
 ザラザラしていて,これは万年筆にはとても向かないなと見るからにわかる紙へ太めの芯をした濃いめの鉛筆やボールペンでザッと線を引くと,何か自分が周囲のことなど構わず,自由に生きていける存在のような気がしてきて勇気づけられるものです。(p101)
 私はこれ(能率手帳ゴールド)をスケジュール管理に使っていません。なんともったいないと思われることでしょう。しかし用紙があまりに良いため,空欄を作るのが惜しいのです。(p112)
 余白とは,なんと魅惑あふれるスペースなのでしょう。古くは小学生の頃,授業に退屈して教科書やノートの余白に鉛筆で落書きをしたものです。するとこの教科書,意外に書き味のいい紙だなとか,どんどん落書きが発展していってこのぶんだと余白が足りないぞとか,様々な気づきがありました。(p116)
 良い紙は,まっさらなページに文字を書き込む躊躇よりも「早く書きたい!」という気にさせられて,あたかも紙のほうから文字を書くよう促してくる感覚を味わえます。(p121)
 書きやすい「道」が用意された紙面を好みの筆記具で駆けめぐる自由さは,他の用紙にはない疾走感をもたらします。その走り心地は,目的地へぐんと早く着く高速道路のよう。文章書きも目的地へ早く着くようで,原稿用紙の実力は今も健在です。(p125)
 はがきサイズは保管や検索がしやすく,「情報カードのサイズのひとつ」とも言えます。(p140)
 世の中には,文具を特に意識しなくても自分の力を発揮できる人たちがいます。(中略)一方自分の場合は,文具の力を借りてようやくマイナスからスタート地点に立てている心境で,文具は戦ううえでの大事な兵たちでもあります。だから数は多いほど心強い。戦う相手は,自分自身です。(p156)

2019年6月27日木曜日

2019.06.27 Chromebookをもう1台持っていたのを思いだした

● 来年1月にWin7のサポートが終了するので,パソコンはリプレイス。だいぶくたびれているからちょうどいいタイミング。
 メインマシンはやはりWinになる。Chromebookは遊撃手にはなるが,メインにはできない。安いWinのタブレットPCがあるので,それに外付けキーボードとUSBハブをつないでメインで使おうと思っていたんだけど,さすがに無理があるかなぁ。

● IBM時代のThinkPadもある(OSはxp)。これをスタンドアロンで使う手もあるな。スキャナをつないで。
 ネットに出るときはChromebookを使う。Chromebook(ASUS 100PA)のキーボードがまともならそれで問題はないのだが。テキスト入力はすべてThinkPadでやって,USBメモリを介してChromebookとつなぐか。原始的だが。

● いや待て。Chromebookはもう1台あったはずだ。ASUS 100PA のほかにAcerのC730Eも買ってたんだった。これ,2017年の12月に買ったのに,まだ梱包も解いていない。
 たしか日本語キーボードではなかったか。持ち歩くには適さないが家で使う分には100PAより使いやすいかも。よし,IBM時代のThinkPad+Acerで行こう。これで問題解決だ。

● って,そういうわけにはいかないよね。メインをWinにするのはなぜかというと,ひとつはスキャナをつないでアナログデータをデジタル化するため。もうひとつは,光学ドライブをつないでCDをリッピングするためだ。
 当然,iTunesが必要だし,楽曲データをネットから引っぱってくる必要がある。つまり,ネットにつながっている必要がある。テキスト入力ができればそれでいいというわけにはいかない。

● “安いWinのタブレットPC”をメインに据えるのにも不安はある。ストレージが32GBしかないことだ。スキャナをつなぐためのソフトやiTunesが入る隙間があるだろうか。
 それさえ入れられれば,あとはWinの付録のメモ帳とブラウザ(Chrome)だけで要は足りる。こういうのってmicroSDにインストールすることもできるのかね。って,できると思うので,まずはこれでやってみよう。

● あるものを使いたいんだよね。それって大損こくパターンなのかもしれないんだけどね。素直に今どきのWinPCを買ってしまった方が時間もストレスも軽減できるだろうなとは思うんだけど。
 ま,テキストエディタとブラウザしか使わないライトな使い方なら,それでもいいかなと思うわけですよ。

2019年6月20日木曜日

2019.06.20 やっとダイスキンを1冊使い終えた

● 昨日でやっとA6ダイスキンを1冊使い終えた。2ヶ月かかった。まったく書かない日がだいぶ増えている。
 のんびり書いている場合じゃないってわけなんだけど,そういうときこそ書いた方がいいんだよね。わかっていてもなかなかできない。

● で,今日から新しいダイスキンを使い始めているわけだけども,96枚のA6黒ダイスキンは在庫が残り1冊になった。その最後の1冊。
 ダイソーで見かける度に買いためておいた。すでに生産されていないものだから(現在は80枚になっている。黒以外は96枚を維持している),貴重っちゃ貴重?

● ダイスキンはいいノートだと思うので,ずっと使い続けてきた。これが百円で買えるのに2千円を出してモレスキンを買う人の気持ちはほんとに理解不能だ。百均だからってバカにするなよ。モレスキンより品質はいいんだぞ。
 これ以上,ダイスキンの在庫を増やすつもりはないんだけど,96枚ダイスキンは黄色が2冊,オレンジが1冊ある。まず,黄色から使ってみようと思う。

● ダイスキンは無印の落書帳よりも安い。無印の方は万年筆を使うと必ず裏に抜けると思われるのだが(落書きを万年筆でする人もあまりいないと思うが),ダイスキンならそれもない(プラチナインクの場合)。
 気軽に使えて役に立つやつ,それがダイスキン。

2019年6月13日木曜日

2019.06.13 小野 忠 『文房具改造マニュアル』

書名 文房具改造マニュアル
著者 小野 忠
発行所 枻出版社
発行年月日 2018.11.20
価格(税別) 1,600円

● モンブランのボールペンに国産リフィルを装着してみたり,トラディオ・プラマンに万年筆インクを入れてみたり。その他,様々な改造の紹介。
 器用というか好奇心旺盛というか。こういう人は,人生をしっかり生きているなぁという印象になる。ぼくがそれをしないのは不器用だからだけではないと思う。

● 以下にいくつか転載。

 「作る」過程を分解すると,4つのステップになる。 ① 「何を」作るかを明確にする。 ② 「どうやって」作るかを考える。 ③ 材料を手配する。 ④ 作る。 これを見た大抵の人は,主眼は④「作る」ことに置かれていると考えるだろう。でも,違う。一番楽しいのは,実は①と②。「考える」過程が楽しいのだ。ここに着目して欲しい。(中略)それは「レゴ」にも例えられる。プラモデルは作り方が決まっていて「作る」ステップしか楽しめない。でも,レゴは「何を作ろう」「どうやって作ろう」と考えるところから始まる。(p64)
 「もったいない」は,あくまでも人間の感情の話。いつまでもピカピカのまま所有していたい,集めて手元においておきたい--。これらは,持ち主のエゴであって,使われてナンボの道具たちの本位ではないと私は思う。(p106)
 「使うこと」そのものを「目的」で終わらせない。道具を使うことは,何かを生み出す,あくまで「手段」であるはず。使うことで作品を生む,物語を生む,ビジネスを生む,感動を生む,歴史を生むからこそ,文房具は人を惹きつけるに違いない。(p107)

2019年6月4日火曜日

2019.06.04 ダイスキンに書くのが停滞気味

● 使用中のダイスキン。使いはじめは4月21日。最近はひと月かからないで1冊を使えていたんだけど,今回はまだ使い終えていない。
 なぜかというと,書かなくなったからだ。黄金週間中はまったく書かず。それ以外でもダイスキンを開く回数は減っている。

● かくてはならじとは思わない。無理に書くこともあるまいと思う。軟弱になっている。
 っていうか,ダイスキンに何を書いてきたかというと,つまるところ日記的なものだった。そういうものはTwitterに載せておけばいい。Twitterなら写真も一緒に残しておけるのだから,日記や日誌には紙のノートよりも向いている(ただし,Tweetも最近減り気味)。

● ではダイスキンに何を書けばいいのか。少し考えている。すぐに思いつくのはTwitterには載せられないことを書く。手書きだと書きながら頭を整理できるから,整理する必要があることを書く。
 そこまではすぐに思いつくのだけど,そこから先に行けない。そこで止まってしまう。

● 要は,そこのところであまりアレコレ考えない方がいいのだろう。結果的に何を書くことになろうとも,無差別に書く方がいいのだ。
 進歩がない。進歩などなくても無差別がよい。となると,ダイスキンを開く回数を増やそうというところに行き着くわけだが,無理にそうしなくてもいいとも思っているわけだ。

● 手帳も今年でやめようかと思うことがあるようになった。やめてどうするかというと,Googleカレンダーに行く。Googleカレンダーにはスケジュール欄しかないんだけども,スケジュール毎にメモできるスペースが用意されているらしい。これをうまく使えれば。
 紙の手帳もそのように使っているんだけども,予定ではなくログをGoogleカレンダーに残すのだ。ぼく,予定なんてそんなにないので。
 “貼る”も手帳の役割だったけども,これはダイスキンに移せばいい。

● 自分の個人情報をぜんぶGoogleに預けてしまおう。そうすれば,Googleアシスタントのアシスト機能が向上するのではないかと思うし。
 が,それをやってしまうと,手帳のみならずダイスキンに書いていることまでGoogleカレンダーに書くことになりそうだ。Twitterも要らなくなるか。Googleカレンダーの中からピックアップしてTweetすることになるかも。

● といっても,それも面倒そうで。少なくとも,スマホでそこまでやる気になるか。Googleアシスタントなんて使ったこともないしね。何だか,そういうものにちょっと期待しすぎかね。
 っていうかさ,そんなことするわけないと自分でも思っていてね。ちょっと言ってみただけっていうかさ。

● 結局,日常がきつくなるとダイスキンには向かわなくなるんだよね。逆にいうと,平穏なときに書いている。ゆるい時期に書いたものなのだから,読み返したところで面白いはずがないわけでね。
 読み返して面白くないものなら,わざわざ書くこともあるまいと思う。やめてしまおうか。