2013年11月26日火曜日

2013.11.26 ファストフード店でパソコンを広げる人たち

● 平日の昼,モスバーガーやロッテリアなんぞに行くと,ノートパソコンを広げている人がいる。ずっと以前から,田舎でも珍しくなくなっている。電車の中も同様。パソコンやタブレットの画面を見つめている人を見る。あたりまえの風景になった。

● でもね,そういう人たちの中に,仕事ができるオーラを発散している人って,ほとんどいないと思いません?
 パソコンで何をしているんだろうか。昼日中からネットでニュースを見て暇つぶし? そんなこともないと思うんですよねぇ。一応,仕事をしてるんでしょ。
 ビジネスマンにはパナソニックのレッツノートが人気だと聞くんだけど,たしかにこうしたところで見かけるパソコンにはレッツノートが多いような。

● それにしては,緊迫感が伝わってこない。出先でも仕事をしなければならないほどに忙しければ,いやでもそれが伝わってくるはずだと思うんだけど。
 彼ら彼女らから感じるのは,ボーッとしてるとか,のんびりしてるとか,そんな雰囲気なんですよねぇ。今やらなくてもいいことをやってるような感じ。遊んでますよオーラを出しているっていうか。遊んでてもべつにいいんだけど。

● 森博嗣さんは,そういう人はそういうスタイルが好きなのだろう,と書いておられる。
 スタイル以前に,メリハリとか集中とかを知った方がいいんじゃないかと感じたりもしますな。大きなお世話だね。っていうか,何様のつもりだ,オレ。


(追記 2014.02.01)

● でも,モスバーガーとかでノートとペンを出して,いろいろと落書きするのは,ぼくも好きなんですよ。何か楽しいんですよねぇ。つまらないことをシコシコ書いてるだけですけど。
 比べちゃいけないけど,プロのライターでもわざわざファミレスに出かけていって,そこで原稿を書く人がいるっていいますよね。わかる感じ。
 ギューギューに混んでちゃ困るんだけど,ほどよくお客さんが入っているところだと,頭が刺激されるんですかねぇ。

● ちなみに,ぼくは宇都宮駅構内のモスがお気に入り。モスって,紙コップじゃなくて陶器のカップにコーヒーを入れてくれるんで,そこがいいなぁ,と。

2013年9月1日日曜日

2013.09.01 ほぼ日手帳2014-手で書く手帳展。

渋谷ロフト6階

● 今日(9月1日)から10日まで,渋谷ロフトで標記の展覧会が開催されている。主催者は「ほぼ日刊イトイ新聞」。
 「松浦弥太郎さん(『暮しの手帖』編集長),西田善太さん(『BRUTUS』編集長)をお招きし,糸井重里と「手で書くこと」について語ります」というトークショーもあって,それが今日の14時からだった。
 で,行ってきた。松浦さんは,著書もいくつか読ませてもらってて,どんな人なのか直接見たいっていう,デバガメ的な興味もあって。

● 小さな展示だけれども,吉本隆明さんや横尾忠則さんをはじめ,まずよそでは見られないと思われる人のメモや手帳の実物が展示されている。
 まず,ほとんどのメモが鉛筆(かシャープペンシル)で書かれたものだったことが印象的。万年筆やボールペンで書かれたものももちろんあるんだけど。
 
● 梅棹忠夫さんのメモの中に,小鳥の鳴き声を五線譜に写しとったものがあった。文化人類学者って,こういうことまでできなきゃいけないのかと思った。
 っていうか,できない人も普通にいるに違いないけれども,梅棹さんの関心の広さっていうか,貪欲さというか,気のつき方加減っていうか,唖然とさせられる。
 浅葉克己さんの日記にも一驚。しかも,1年分をきちんと製本してある。阿久悠さんの日記もこういうものだったんだろうかなぁ。

● おめあてのトークショー。相当な人出。立ち見客がぎっしり。ぼくもその中のひとり。
 ひょっとすると,ぼくが最年長だったかもしれない。最近,そういうことが多くなった。あれ,この中でオレ,最年長じゃないか,っていうのが。
 3人とも生(?)を見るのは初めて。生でしか伝わってこないものって,当然だけど,ありますね。

● 最後に松浦さんがおっしゃっていたことが印象的。
 「ほぼ日手帳」はこれをどう使うか考えさせてくれる。考える時間を与えてくれる。普通の手帳は,こう使えと手帳自身が指示してくるから,どう使うかは考えなくていい。
 買ってはみたものの使わないで終わってしまったとしても,その考える時間を与えてもらっただけでモトは取れている。こういう商品って少ないし,作ろうと思っても作れないものだ,というような話。

● ご自身が持ち歩いているというペンとメモ用紙を出して見せてくれた。短いシャープペン。芯は0.9ミリでB以上の濃さ。
 そうでないと,思考の速さでメモを取ることができない云々ということを西田さんが言ってたけれども,お三方にしても思考の速さでメモれるのは,よほど体調がいいときに限られるんじゃないかなぁ。

● トークの内容は後日「ほぼ日」で再現掲載されるんだから,それこそメモなんか取る必要はないと思うんだけど,何人かメモを取っている人がいた。大半は女性で,メモの媒体は当然ながら「ほぼ日手帳」。
 ライヴにメモは似合わないよなぁ。と思うものの,大きなお世話だろうな。それぞれの流儀があるもんな。手書きメモの重要性について,トークをしているわけだしな。

● 終了後はロフト地階の文具・手帳売場を覗く。
 腑に落ちないことがあった。文具雑誌が増えたし,普通の雑誌でも文具特集を組むことが頻繁になったと思うんだけど,ぼくの廻りに文具に凝っているらしき人はいない。田舎にいると,状況はかくのごとし。
 が,渋谷ロフトで納得。手帳にしても,田舎ではあまり見かけないモレスキンとかクオヴァディスとか,高級そうなのがあって,そういうところにも人が群がっているのだった。
 若い女性が目立つんだけど,男性も年配者もいる。なるほどこういうことかと思った。
 ビジネス書の9割は大都市圏で売れるって聞いたことがあるんだけど,文具や雑誌も同じことなのか。
 時々は東京に出て,東京の文具売場を覗いた方がいいのかもなぁ。

● 「ほぼ日手帳」は13年前に初めてお目見えしたときに,買うかどうかけっこう迷った末に見送った。以後,縁がないまま今日に至る。ことここに至っては,これからも買うことはないと思う。
 ちなみに,自分が使っているのは能率手帳をシステム手帳にした「Bindex」。能率手帳を含めると,かれこれ四半世紀は使い続けている。オヤジ手帳ですな。それとA6サイズの百円ノートの組合せ(ノートを使い始めたのは数ヶ月前から)。
 格別不満もないので,たぶんずっとこのスタイルで行くことになると思う。

● さきほどの松浦さんの話に異を唱えるわけではないけれど,能率手帳にだって遊びはある。それなりに遊べるもので,どう遊ぶかは使い手次第。
 システム手帳だとリングが邪魔ってことはありますけどね。逆に,このリングが重宝することもあってさ。

● ときどき,デジタルへの完全移行に惹かれることがある。Googleが提供してくれているサービスを使えば,たぶん可能だろう。スマートフォンがあたりまえになっているのも大きい。
 デジタル化に惹かれる理由の第一は,紙の手帳やノートを自分が死ぬ前に処分できればいいけれども,そっくり残してしまったら,ヨメが困るだろうってこと。捨てるに捨てられないし,とっておくには邪魔だし。
 彼女がぼくの手帳やノートをぼくを偲ぶよすがにするとは思えないので,遺族に余計な戸惑いを与えないよう,生前に処分しておくことは,かなり優先度の高い義務だと思っている。
 梅棹さんや浅葉さんのメモや手帳だったら,保存する価値があるだろうけど,ぼくのそれは要するにゴミに過ぎない。

● でも,そうはしないことも自分でわかっている。最低限,手帳は紙。
 デジタルにすると,結局,ブラックボックスに入れたようなもので,見直すことがない。それはつまり,捨てたのと同じこと。いずれは捨てなきゃいけないものだとしても,書くそばから捨てるわけにはいかないからね。

● 『ほぼ日手帳公式ガイドブック』は毎年買ってて,すべて持っている。読んでて楽しいからね,これ。この日も帰りに大宮で途中下車して,大宮にあるジュンク堂書店で2014年版を購入した。
 なんで東京で買ってしまわないんだよ,途中下車なんて余計なことをするんだよ,っていうツッコミはなしでお願いしたい。


(追記 2013.09.03)

 「ほぼ日手帳」は「ことここに至っては,これからも買うことはないと思う」と書いたんだけど,『ほぼ日手帳公式ガイドブック2014』を見てたら,岡本太郎の油絵「建設」をあしらったカバーがラインナップに加わっているではないか。
 これ,欲しい,かなり。価格は6,500円。

 「ほぼ日手帳」って,他の手帳に比べると高価っていうイメージがなくもないような気がするんだけど,本体価格は2,000円。1日1ページの手帳が2,000円というのは,むしろ安いといっていいだろう。

 ともあれ。「建設」カバー,欲しいぞ。どうする? オレ。
 長年連れ添った古女房を捨てられるのか。超保守主義者のオレ,どうするよ。

2013年5月11日土曜日

2013.05.11 10日間ほどパソコンなしの生活をしてみて

● 黄金週間の後半が始まる前夜の5月2日。ちょっとした悲劇がやってきた。パソコンが逝ってしまったのだ。誤って電源ケーブルを引き抜いてしまったことが原因。
 バッテリィ駆動に切り替わるだけだろってことなんですけど,そのバッテリィはとっくに機能不全になってた。パソコンを外に持ち出すなんて一切しないから,それで特に困ることもなくて。

● でも,そんなことじゃ壊れませんよね,普通。だが,しかし。再起動しなくなった。セーフモードでは立ちあがったんで,システム復旧ってのはやったんだけど,やはりダメ。そのうち,セーフモードでも立ちあがらなくなった。
 ハードディスクがおかしくなったんでしょうなぁ。電源ケーブルを引き抜く前から弱ってきてたんでしょ。兆しは特に感じてなかったんだけど。ジタバタしないで買い換えるしかないでしょ。

● と気楽に考えられるのは,ひとつには,自分謹製のデータの毀損がなかったこと(まったくなかったわけではないが,ま,たいしたことはない)。
 何度か痛い目に遭ってきたから,いかなぼくでもそれなりに学習はしている。バックアップは当然として,自分が作ったデータはパソコン本体のハードディスクには保存しないようにしていた。いまどきは32Gとか64GのSDカードがあるんだもんね。それを装着して,データはそちらに保存。
 本体のハードディスクにあったのはCDをリッピングした楽曲データが200Gほど。二重にバックアップをとってある。

● もうひとつは,ぼくが使ってるパソコンはあまり痛手を感じないような値段で購入したものだってことですね。
 ここ10年ほどはThink Padを使ってるんだけど,今回壊れたのは3年前に3万円で購入したもの。ヤフオクで買った中古品。
 X61っていう型落ちもいいところの製品ですな。CPUはCore2。OSはXP。ハードディスクは500Gに換装してあった。メモリは1Gだったかな。
 なので,壊れても経済的なダメージが少ない。で,今度もまた同じX61をヤフオクでゲット。今回は,3万円どころか,1万円台(17,099円)ですんだ。OSはWin7。メモリは2G。ハードディスクは120G。

● これで充分なんですよね。ぼくがパソコンでやりたいこと,現にやっていることって,この1万円台のパソコンですべてできてしまう。
 最もパソコンに負荷をかける作業はDVDの再生ですかね。そんなもんですよ。あとは,CDをリッピングする,音楽を聴く,テキストを入力する,書類をスキャンする,写真を見る,ネットに接続する。そんなことは1万円台のパソコンでやれる。自分に15万円ものパソコンを買い与えるのは,豚に真珠を贈るのに等しい。
 ちなみに,Office(WordとExcelのみ)は2000を今でも使っている。セキュリティの問題があるなんて言われるけれども,本当なのかね。個人使用のOfficeでセキュリティが具体的に問題になる局面があるのかね。機能的には2000でまったく問題はないんだけどね。

● これについては,森博嗣さんが,『森博嗣のTOOLBOX』(日経BP社)で次のようにお書きになっている。
 僕は,人がテクノロジィに憧れる気持ちこそが,テクノロジィの最終的な目標だと考えている。だから,もし,みんなが合理的に考えるようになって,冷静に自分の使用範囲のものだけを選ぶようになったら,技術はもう終盤だと思えるのだ。(p60)
 ポルシェに乗っていたからできた,カローラではできなかった,という事態に出会う確率は大変低い。それなのに,10倍ものお金と交換しても,この商品に需要が成立するのは何故だろうか? デジタル製品が,乗り越えなければならない壁がそこにある。とっくに技術者は気づいているだろう。ユーザがまだ気づいていないだけだ。(p61)
 この本の出版は2005年だ。それから8年経ったけれども,パソコンのポルシェはまだ登場していないように思える。

● ソフトについては,森さんも次のように語っている。
 ユーザはあるところで満足し,自分のツールを決めてしまった方が有益なのである。どんどんバージョンアップする必要なんてない。使い慣れたものの方が安定しているし,失敗がない。パソコンのアプリだって同じ。余程の不便を感じないかぎり,僕はバージョンアップをしない。不安定さと無駄な消費時間を買っているようなものだからだ。(p104)
 多くの方がそうしてらっしゃるでしょうね。いまどき,律儀にバージョンアップにつきあってる人はいないのじゃないか。Officeも2000のままって人,ぼく以外にもたくさんいるでしょうし。
 もっとも,ぼくの場合はケチ根性が前面に出ているわけだけど。

● ともあれ,10日間ほどパソコンなしの生活を余儀なくされた。1万円台だろうと何だろうと,パソコンが使えないのはとんでもなく不便。不便なんてもんじゃなくて,理由がないのにイライラしてくるような感じがありましたね。
 パソコンとネットはあってあたりまえになってて,あたりまえだからその有難さを普段は忘れてますな。

● ぼくはDVDプレーヤーもCDプレーヤーも持ってなくて,すべてパソコン頼みだし,手書きで長めの文章を書くなんて拷問に近いと感じるようになってるし(そもそも,ノートとか持ってないし),パソコンがないと手も足も出なくなるってところがあった。
 であれば,安いパソコンしか買わないことだし,1台だけじゃなくて予備にもう1台持っとけよ,って言われますな。いや,ほんとそうで,スマートフォンがなかったらヤフオクで次のパソコンを手当てすることもできなかったわけですからね。
 なので,同時にもう1台,ヤフオクで入手しておいた。こちらは,さらに古いX40という機種。CPUはじつにPentiumMプロセッサ。OSはXP。メモリは1.5G。60GのSSD(換装)。13,000円で落札。

● パソコンのない間,ネットはスマホでつながるしかなかったんだけど,あたりまえながら,スマホではパソコンの代わりにはなりません。効率が悪くてどうにもならない。
 どうしてもってときにしかネットに行かなくなる。銀行振込もスマホじゃやりたくないでしょ。ブログの更新なんかあり得ない。

● 第一,スマホで文章は作れない。
 REUDOのBluetooth接続の外付けキーボードも試してみたんだけど,使いものにならなかった。しばしば断線する。その後は接続しなくなることも頻出。忘れた頃にまたつながったりするんだけど,これではどうにもならない。
 もっとも,ぼくが持っているキーボードはRBK‐2100BTという古めのやつだから,今どきの新しいのを使えば,そんな目には遭わないように改善されているのかもしれない(断線の原因がスマホ側にあるのか,キーボード側にあるのかもわからない)。

● スマホでネットにつながって,行った先のサイトからテキストをコピー&ペーストするのは,できればやりたくない作業だった。なかなか上手くいかないでしょ,これ。
 でも,今回,この作業を繰り返すことになって,けっこう慣れてきた感じ。

● 結局,スマホは閲覧は何とかできても,入力は何ともならないことを,体験で痛感。ツィッターにスマホを使っている人は多いんだと思うけど,ぼくはダメ。ごく短い文章もスマホで打つ気にはなれない(だからというんじゃないけど,ツィッターはやってない)。
 スマホでノマド・ワークなんてタイトルの本がいくつか出てるようだけど,あり得ないね。スマホでできる仕事ってどんな仕事だ? 結局,業界の宣伝なんだろうな,ああいうものは。

● テキスト入力は,やはりヤフオクで落とした,NECのモバイルギアを引っぱりだして行うことになった。それなりに役に立ってくれたけれども,やはりパソコンに比べればキーピッチが狭くて打ちずらいし,ATOKも大昔のものだからあまり賢くない。
 入力速度はガクンと落ちるし,タイプミスは格段に増える。ワープロとしてもパソコンの代わりにはならない。緊急避難的に使うもの以上ではない。これも当然だけど。

● ただ,モバイルギアってハードディスクがない分,壊れないねぇ。ワープロ専用機として危急の備えにはなった。
 じつはぼく,モバイルギアは4台持ってるんですよ(バカか)。うち,2台は乾電池で駆動するやつ。今となってはポメラの方にアドバンテージがあるにしても,製品寿命の長さは驚異的だな(テキスト打ち以外には使えませんよ,もちろん)。

● タブレットはどうか。ぼくは持っていないので試しようがない。あれを自分が使っているシーンをイメージできないでいる。
 のだが,某演奏会でぼくの隣に座った女性(オバサンだった)が休憩時間にタブレットを取りだして,画面の下半分に表示されるソフトキーボードを巧みに打って,パパッと文章を作っているところを目撃した。
 彼女にできてぼくにできないことはないかなと思ったんだけど,2分や3分ならいざ知らず,10分以上あれをやれるか。

● ともかく,パソコンのない暮らしを余儀なくされて,パソコンがないとQOLが明らかに低カすることを発見。っていうか,わかりきっていたことなんだけど,実際に味わってみると痛いほどに実感できた。
 CDのリッピングもできなければ,それをスマホに転送することもできない。毎日溜まる書類をスキャンすることもできない(したがって,書類を捨てられない)。銀行振込は(スマホで)できなくはないけどイライラする。DVDも見られない。ブログの更新も滞る。ごく少数ながら読んでくださる方もいるわけで,更新すべきはさっさと更新したいんだけどね。
 なんだか,生活そのものが便秘状態になったような感じ。どんどん入ってくるのに,処理して出すことができないんだから。

● 大げさにいうと,黄金週間の後半がスカスカになってしまった。パソコンがないために,予定していたことのいくつかができなくなった。やらずにすんだはずのことをやらなければならなくなった。
 そこから玉突き現象が起こる。頭の中で考えていたスケジュールはボロボロ。

● 結論。(今のところ)パソコンは唯一無二のもの。代替品はない。
 ネットは生活必需品。ついこの間までネットなんかなかったのにね。もうそこには戻れない。否も応もない。
 テレビは見なけりゃ見ないでいられる。たぶんに習慣のものだ。けれども,ネットはよく言われることだけれども,生活のインフラになってて,使わなけりゃ使わないでいられるというわけにはいかないんでした。

● そのパソコンが中古でよければ1万円台で手に入る。それで実用になる。とんでもなくコストパフォーマンスの良い器具になった。
 昔を知る者にとっては隔世の感どころか,これまでパソコンと周辺機器に投じてきた金額を計算して,どんより暗い気持ちになったりしますな。今から見れば玩具のような機械と数十万円を引き換えてたんだもんなぁ。
 あの膨大な金額。夢を見れた(実現はできなかったけど)代償と割り切るしかないものでしょうね。


* 5月6日に,宇都宮のインターネットカフェに行って,このブログの更新だけはしてきた。こういうとき,ヨメのパソコンを借りるっていうのは,ぼくの発想にはない。パソコンの使用貸借ってのは,夫婦間でもありえないでしょ。

 で,それがネットカフェ初体験だったんです。ネットカフェって,寝ぐらを持たない人の居場所っていうイメージができちゃってるかもね。実際,時間帯によってはそのイメージどおりの実態があるのかもしれないけど,楽しいとこでしたねぇ,ネットカフェ。
 3時間で1,000円。それでパソコンは使えるし,コーヒーもコーラも好きなだけ飲めるし,ふかふかの椅子で昼寝もできるし,大量のマンガ本も選び放題。「ワンピース」の全巻読みなんてのもできちゃうかも。
 お腹がすけば,別料金で食事もとれる。食べものを持ちこんでも,たぶん,咎められることはないだろう。

 スタッフの接客もいい。もちろんマニュアル以上のものではないんだけど,3時間もいて1,000円しか払わないんだから,マニュアル以上を求めちゃいけないよねぇ。
 夏場の避暑地としてネットカフェはありかも。ぼく,ここで丸一日,過ごすことができそうだ。いや,マジで。

 ひと頃(だいぶ前だ),自宅と会社のほかに,一人になれる場所を確保しようって記事が,ビジネス誌を賑わせたことがあったっけ。わざわざ部屋を借りなくても,ネットカフェが代用になりそうな気がする。冷暖房完備で諸手続き無用。
 知らない人には,「カフェ」という言葉が誤解を与えそうだ。簡易個室が使えるのだから,どう使うかは使う側の創意工夫を発揮できる余地が大きいと感じた。

* 11日に新しい(中古だけど)パソコンが届き,ネットに接続できた。とりあえず,Google ChromeとiTunesとGOM Playerをインストール。これでとりあえず便秘症状の7割は解消できる。
 音楽再生やDVD再生には,もっといいソフトがあるんだろうけど,慣れているし,いろんなソフトを比べてみようっていう向上心もないし。
 あとはいくつかのソフトをCD-ROMからインストールしなければならないんだけど(けっこう面倒なんだよなぁ,これ),それはおいおい。

 Macintoshは別として,Think Padは昔から憧れだった。「560」の印象は鮮烈だったな。薄型ノートですな。その前に,DEC(のちに,Compaqが吸収合併)の「Digital HiNote Ultra」があったけど。どうも薄型に惹かれていたらしい。
 けど,ちょっと手がでなかった。ショップでカタログをもらってきて,ながめてはため息をついていた。そのカタログ,今でも持っている。

 弁当箱と呼ばれてた「535」も惹かれる形だった。いかにも道具って感じの無骨なデザインで。堅牢さをデザインで表現すればこうなります,って感じで。Think Padってデザイン的には,あの頃がピークだったかなぁ。それとも,今,現物を見たら古くさいと感じるのか。
 XやTシリーズはそのデザインをとどめているところが魅力。もちろん,黒一色に赤のトラックポイントもいいし,キーボードの秀逸さは言うまでもないんだけど。

 昔は型落ちしたパソコンなんてタダでも要らないって感じだったんだけど,今はスペックの向上にほとんど関心がなくなっている。
 今回落札したX40は2004年,X61は2007年に発売されたもの。そのあたりで,スペック向上の限界効用がほとんどゼロに近い水準に達したと見ていいんでしょう。
 パソコンの新たな用途(自分にとっての,ってことですけど)が開発されるのでなければ,現在のパソコンは過剰スペック。「過剰」に対してお金を払う気にはなれないでいる。