2020年7月29日水曜日

2020.07.29 黒板の次は鉛筆

● トナリエ宇都宮のダイソー。大した情報じゃありませんが,三菱鉛筆の9800が4本100円で売られているんですね。
 鉛筆って,絵を描く人であっても,ファーバーカステルやステッドラーの必要あります?
 ユニの必要すらなくて,昔からある9800で充分だったりしませんか。深緑の色も素敵じゃありませんか。

● ダイソーでは6Bの鉛筆も売っているんですよ。ダイソー印で出ていますが,製造は北星鉛筆です。それだけでリスペクトしちゃう。
 鉛筆,使ってみようかなぁ。使わないだろうなぁ。5年前に北星の「大人の鉛筆」に惹かれて買ってみたんだけど,結局,使うことのないまま今日に至ってる。

● 鉛筆は小学生の頃から使っているので,ノスタルジーを喚起するのだよね。年を取れば取るほど鉛筆回帰願望は高まるのかもしれない。
 人は子供に帰って死ぬ? 釣りは鮒に始まって鮒に終わるように,海外旅行はハワイに始まってハワイに終わるように,筆記具は鉛筆に始まって鉛筆に終わる?

● 鉛筆って消しゴムとセットだったから,鉛筆で書いた文字は消えるもの,消せるものと思っているけれども,じつは消しゴムで消しさえしなければ,鉛筆の文字はいつまでも残る。
 万年筆や水性インクで書いた紙に水滴がつけば,文字は滲んで読めなくなる。鉛筆で書いた文字ならば,そんなことではビクともしない。
 100年,200年のオーダーで考えれば,残る可能性が高いのは鉛筆文字ではないか。最強なのは墨を摺って筆で書いた文字ですかね。完全に乾いたあとならば。それに次ぐのは墨芯なのでは。

● 手帳にはずっとシャープペンを合わせてきた。それをやめたのは,書いた文字が紙に擦られて汚れてしまうからだった。が,片面にしか書かないカードのようなものなら,鉛筆で書くのはありかもしれない。
 だから,鉛筆を使いだすことがあるとすれば,カード(メモパッド,付箋)を使って何かを書くようになったときかなぁ。

● ダイソーに来たのは,鉛筆じゃなくて両面テープを買うためだった。ニチバンのナイスタックも置いてある。15mm幅で3m。対して,ダイソー印のは10m。
 買ったのは10mmのを半分にカットしてやつ。5mm幅のが2本。長さは12m。これで2年はもつ。
 結局,安さに負けてしまう。安さは正義なのだ。

2020.07.29 黒板が欲しくなった

● トナリエ宇都宮の落合書店の文具売場を見ていたら,オキナのプロジェクトペーパーの恐竜編(A7 5mm方眼 70枚)が特売(?)コーナーに並んでいた。100円で。100円なら買っとくかというわけで,10冊ほど買ってきた。
 でも,なぜこれが100円で売られていたから。何ですかね,もう生産を終了するんでしょうかねぇ。ぼくはロディアよりこちらがいい。方眼の罫がおとなしいのと,方眼が片面印刷であること。

● 以上は昨日のこと。今日も落合書店に行った。昨日残してきたのを全部拾っておくことにした。残っていたのは9冊。もっとあったような気がしたんだけど,いくつかは誰かが買っていったのだろうな。
 問題は,このメモパッドをどう使うか。こう使えばいいというシチュエーションが浮かんで来ない。使わないで終わるかもしれない。
 とりあえずは,ロディアNo.11のカバー(ケース?)に入れて持ち歩き,ふと思いついたことをササッとメモするのに使おうかというわけなのだが,そんなことを自分がするとは,正直,その自分が思っていない。

● メモパッドについては以上で終わり。
 落合書店の文具売場で気になったのが黒板だ。ダイソーにもあるんだったら,価格からしてダイソーで買うのだが,ブラックボードはダイソーにもあるけど,さすがに黒板は見たことがない(黒板シートはある)。
 自分で商売をやってる人くらいしか使いませんかねぇ。

● でも欲しい。庭先に持ち出して(わが家に庭はないんだけど),こいつを使って落書きをして遊びしたい。ホワイトボードより想が湧いて来そうな気がする。そういう気分にさせるところが味噌。単なるノスタルジーでしょうか。
 といって,ホワイトボードをこの黒板に置き換えるわけにもいかんでしょうなぁ。奥さんがイヤな顔をすると思う。チョークの粉問題は,ダストレスチョークで解消されているのだろうけど。

● こういうのもあります。紙の黒板。B4なら見開きでB3になるわけだから,たくさん書けますよ。買うならこっちかな。
 ダイソーでホワイトボードを1つ買い,もう1つ買いして,3つほど溜まったんだけど,最近(正確にいうと,隠居生活になった4月から)それぞれに使うようになっている。
 が,ホワイトボードにマーカーで書くのはツルツルして,何だか頼りないっていうか。そこがいいのだとも言えるのかもしれないんだけど,もっと書いているときに抵抗感が欲しいなと思うんですよね。

2020年7月26日日曜日

2020.07.26 銀座 LoFt

● 無印良品の店でもそうなのだが,LoFtでも文具しか見ないので,銀座LoFtに来たときも5階に直行する。
 エスカレーターで5階に着くと,そこは手帳売場になっている。たいていの手帳メーカーは9月に翌年度の手帳を出す。ので,今は端境期となる。書店では,手帳売場を撤去する時期だ。

● が,LoFtではそういうことではなく,この時期でも手帳を一等地に置いている。ここでは1年中,手帳が売れるんだろうか。あるいは別の理由があるのか。
 ほぼ日手帳を扱っているのが大きいんだろうか。ほぼ日を買おうとすれば,LoFtに来るしかない。そのほぼ日では手帳本体の他に,いくつものアクセサリー製品を提供している。ほぼ日を扱うことで,他社の製品もよく出ているという相乗効果があるんだろうかな。

● 店内を見る限り,LoFtは若者と女性に訴求したいと考えている(と推測される)。かといって,サラリーマンのオッサンを拒絶しているわけではない。
 NOLTYや高橋も扱っていたはずだ。そこはそれ,NOLTYや高橋でも女性を意識した商品をどんどん出しているわけだけど。

● よそではあまり見かけないノートがある。カステリミラノだ。イタリアの会社。モレスキンタイプのゴムバンド付きのハードカバーなんだけども,デザインだけでなく製造もイタリアでやってるよと謳っている。モレスキンと一緒にしないでね,ってわけね。
 花柄模様の印刷が小口にまで及ぶ徹底ぶり。へぇぇ。予め器がデコられている。したがって,内容も盛りやすいだろう。それゆえ,このノートもメインユーザーは女性になる。

● いまだにバレットジャーナルが寵児になったままのように見受けられるのだが,このノートも頁数が印刷されている。巻頭にインデックスのページが用意されている。ロイヒトトゥルム1917の向こうを張っている感じ。
 半可通な理解のままで申しあげるんだけど,バレットジャーナルって斬新なの? どこかに斬新な部分があるの? 作られたブーム(したがって,早晩消える)のように思えるんだけどねぇ。

● モレスキンの品揃えは,ここが最も充実しているのではないかと思う。
 モレスキンはイメージだけで売っていると思うのだが,それなのに広告をほどんどしない。広告しないのもイメージ管理戦略上にあるものなのか。
 ぼくはモレスキンに対してはアンチだ。だから,モレスキンなんて無視すればいい話なのだけど,そこがアンチの弱さであって,ついつい気にしてしまうのだ。

● しかし,売場の作り方は上手い。モレスキン社の社員が派遣されているんだろうかなぁ。
 今回は「プロコレクション」が目を惹いた。1枚の写真が置かれている。工房らしきところで立ち働いている男性が「プロコレクション」に何事かをメモしている写真だ。作業中に気づいたことがあったのだろう。
 という具合に,この写真が雄弁に語りかけてくるのだ。こういうところは上手いよなぁ,モレスキン。

2020.07.26 タッチアンドフロー日本橋高島屋S.C.店

● 高島屋の新館5階に行くと,ますズターバックスが目に入る。広くゆったりとした座席の配置だ。コロナ対策でそうしているのではなく,そんな対策など必要としないほどに,普段からゆったりと配しているとぼくは見たが。
 なので,さすがは日本橋,さすがは高島屋的な,セレブっぽい風情を醸しているわけですよ。

● ところが,ググッと近づいてみるとね,お客さんは普通のアンチャンやネーチャンでね。
 パソコンの画面を見せて,なにやら商談中の人もいましたが,一番多いのはスマホを眺めてボーッとしている人。良くも悪くも普通の人たちだ。
 遠景と近景はだいぶ違いますねぇ。何やらホッとしたっていうかさ。

● さて,このフロアに「TOUCH & FLOW」が入っているっていう情報を得ておりまして。情報源はどこかの雑誌の文具特集だったと記憶しているんだけども,この記憶はわれながらあてにならない。
 「TOUCH & FLOW」とはいかなるショップかというと,「デザインフィルが手掛ける大人向けな文房具店」ということ。デザインフィルといえばトラベラーズファクトリーも手がけている。東京駅にあるトラベラーズファクトリーには何度か足を運んだ(といって,ぼくはトラベラーズノートのユーザーではないのだが)。そのトラベラーズファクトリーとどう違うのか。

● トラベラーズファクトリーは丸太小屋的な感じ。対して,「TOUCH & FLOW」は小洒落た小さな別荘といったところか。
 トラベラーズファクトリーはトラベラーズノートがメイン。「TOUCH & FLOW」でも店内のいいところにトラベラーズノートが並べられているが,それが売場の過半を占めることはない。

● 「TOUCH & FLOW」のオリジナル(と思われる)商品もある。“TODAY”という商品名のダイアリー。単一ではなく,いくつかのフォーマットがある。手帳的なのと日記的なのと。
 しかし,トラベラーズノートのダイアリーとも競合するわけだ。PLOTTERもライバルになるわけだろう。この分野はレッドオーシャンなのかもしれないねぇ。

● 「TRAVELER'S TIMES」もあったので,1部もらってきた。フリーのPR紙といってはいけない。フリーだし,PRも含まれているんだけれども,読むに値する記事が満載なのだ。
 で,読み始めたんだけど,あれ,これすでに読んだな。2019年8月に出ている。待てよ,ということはもうこのPR紙の発行はやめてしまったのか。
 と思ったのは,ぼくの早とちりで,「TRAVELER'S TIMES」は年に一度の発行なのだった。もうすぐ最新号が出るのだろう。

● 藤沢にも店がある。その湘南店は蔦屋の湘南T-SITEに入居しているらしい。なるほど,デザインフィルと蔦屋は目指す方向が同じかもしれない。
 同じだから競合するのかとも思うのだが,蔦屋は自社でノートや文具は作っていなかったか。

2020.07.26 丸善 日本橋店

● 1階に書籍が並んでいて,地階が文具。あと,時計と眼鏡の売場がある。
 という程度の認識だったけれども,2階と3階にも書籍,特に専門書や学術書が揃っているらしい。らしいというのは,ぼくは2階には上がったことがないからだ。
 で,主にお邪魔するのは地階の文具売場。見るだけの通行人なんですけどね。

● 文具を買うならここ,と決めている人ってどのくらいいるんだろう。年配のお婆さまに多そうな気がするが,偏見でしょうか。若い人はこういう問題(?)とは無縁でしょう。
 伊東屋と決めている人がいるかもしれない。そういう人は伊東屋にしか行かないだろう。昔からそうなんだよ,そういうものなんだよ,という感じでね。
 年配者の中には丸善と決めている人も多そうだ。かつては伊東屋と丸善しかなかったのだ。つまり,筆記具といえば万年筆であり,それは上流階級の人たちが使うものだったから。上流の御用達が丸善だった。そういう記憶をリアルに残している人がまだいるだろう。
 東急ハンズやロフトになると,浮動票をどうやって取りこむかという店作りになる。ならざるを得ない。お客の自店に対するロイヤリティーは高くない。顧客の平均年齢も丸善よりはだいぶ若くなるだろう。

● 文具もどんどん品質があがり,ニッチな用途を突いてくる商品が多くなった。そうなると,文具が実用品から嗜好品になってくる。嗜好品の特徴は好みの幅が狭くなることだ。というより,ピンポイントになってくる。
 煙草が典型的にそうだ。今や絶滅危惧種になった両切りのピースを愛煙している人にとっては,煙草とはピースなのであり,それ以外は煙草ではないのだ。ピースの人にハイライトを贈ってもどうにもならない。舌打ちをして捨てるしかないからだ。

● 文具にもそういうことが起きているかもしれない。たとえばノートだ。書けるなら何でもいいという人は少なくなる。自分はトラベラーズノートに決めている,それ以外はゴミだ,という人もいるかもしれないし,逆にトラベラーズノート以外だったら何でもいいという人もいるかもしれない。ニッチ化,セグメント化が進行中のように思われる。
 そうなってくると,メーカーや製品へのロイヤリティーがすべてになる。買うのはAmazonでいい。

● 一方で,安さが正義,あとは何でもいいよ,という人だって依然として残っている(ぼくはこれに属する)。文具メーカー? コクヨがあればいいんじゃね? という人。
 そういう人にとっては,より一層,どこで買うかなんて問題にならない。

● という状況の中で,どの文具店も生き残りをかけて智慧を絞っているだろう。妙な言い方になるけれども,その絞った智慧の結果を見たくて文具店に行くという向きも出てくるだろう。ほほぅ,そういう答案を書いてみたのね,と。
 といっても,丸善のしかも日本橋店にしたって,そんなに尖った店作りはできない。やればお客を失う可能性が高い。売れ筋というのは厳然とあるのであるからして。

● ともあれ。見ていこう。
 万年筆売場。全部ではないけれども,ここにあるのは高級万年筆。丸善の存在価値の過半はここにあるのかもしれない。
 偏見かもしれないけれども,丸善のお得意さんは保守派のエグゼクティブ。そういう人が使うのは,かつてはモンブランで,今ならペリカン,ウォーターマン,パーカーといったあたり。
 アウロラやデルタといったイタリアブランドは,その存在を認知はされながらも,なかなか買ってはもらえないといったところではないか。

● プラチナのノック式万年筆キュリダスの試し書きができた。宇都宮でも,JOYFUL2と上野文具にはキュリダスが置かれているが,試し書きはできないっぽいのだ。ガラスケースに入っていたりするし。
 さすが丸善では直に置いてある。M,F,EFとあって,買うならEFと決めている。そのEFでも充分に滑らかな書き味。ま,紙もいいんでしょうけどね。
 が,今に至るも買っていないのは,退職した4月以降,手書きで文字を書くことが激減してしまったからだ。立ったまま書くという状況には遭遇しそうもない。つまり,ノック式万年筆を使う機会はないということだ。だからまず,以前のように“書く”という状況を作ることから始めなければならない。

● 今年はなかなか梅雨が明けない。8月になるのだろう。梅雨が明けたら,日はだいぶ詰まって短くなってましたってことになりそうだ。
 加えて,梅雨明けのひと月後には来年の手帳が書店や文具店に並ぶことになる。夏になったと思ったら,かつては年末の習俗(?)だった手帳選びが始まってしまう。このゴチャゴチャ感。

● 選ぶといっても,ぼくは来年使う手帳はもう決めている。ずっとBindexの011を使ってきたけど,来年は031にする。見開き2週間のやつ。ダイソーのでもいいんだけども,時刻メモリはあった方が便利なのと,“年間計画表”がね,ダイソーのには付いていない。これ,けっこう重宝するのですよ。
 3年間は031を使う。その後のことはそのときになってから考える。もし,生きていれば。

● その031(もちろん,今年のやつ)が売られているんですよねぇ。買う人がいるんだろうか。いや,いるからこそ置いているんだろうけどね。
 他の文具店では1月始まりの手帳は5割引とか7割引,4月始まりの手帳は3割引にしているところが多い。しかし,この031は定価販売のようだ。丸善って,ひょっとして,世俗から超然としているんだろうか。

● フランクリン・プランナーの前でもしばらく佇んでしまった。まさにシステム手帳と呼びたくなるような,自己完結型の時間管理システム。時間管理というより,生活管理と言った方がいいんだろうか。
 こうしたものに対しては,ぼくは懐疑的だった。システムに縛られる不自由さを感じてしまうせいもある。もっと緩やかで,もっと多彩でいいではないか。ゆらきのないカチッとしたシステムに合わせてしまうと,大事な何かが零れ落ちてしまうのではないか。
 しかも,あまりに精緻だと,使いこなせないまま終わる公算も大きい。あるいは,システムの奴隷にさせられるかもしれない。

● というわけで,『人生は手帳で変わる』は読んだけれども,これを使ってみようと思ったことは一度もない。のだが,仕事をやめてみて,フランクリン・プランナーが気になり始めている。
 フランクリン・プランナーが想定するのはバリバリのビジネスマンだろうから,ぼくはもう対象じゃないんだけれども,自分の24時間,365日をどうデザインするかは,自分の胸先三寸で決めることができる。上司や同僚や取引先の予定に縛られることはない。スケジュールの共有化なんぞという愚にもつかない標語によって干渉されることもない。
 だったら,かえってフランクリン・プランナーの閉じた精緻なシステムと相性が良くなってるかもしれない。フランクリン・プランナーが示すところに素直にしたがって,自分のこれからを考えてみるのも悪くはないのではないか。

● NOLTYのハードカバーノート。何とも言えない質感。こういうものを誰が使っているんだろう。と,事大的に考えてしまうのが,ぼくのダメなところだ。
 誰でもない普通の人が使っているはずだ。そう断言できるのは,能率手帳ゴールドを誰でもない普通の人が使っていることを知っているからだ。
 それでいいのだよね。普通じゃない人にしか使ってもらえなかったら,その商品はあっという間に市場から姿を消してしまうもんね。市場にあるということはつまり,普通の人が使っているということですよ。人口の99.7%は普通の人だもん。

● というようなことが頭に浮かんでは消えていった。考えごとをしたくなったら丸善へ。丸善に来たら,考えごとに身を任せてみよ。

2020年7月25日土曜日

2020.07.25 銀座 伊東屋

● ロビー的な1階は別として,2階が“SHARE”と題されたフロア。便箋やバースデーカードが置かれている。一番いい場所にねぇ。今はこういうものが売れている?
 ぼくが思春期にあったのは半世紀前。リアルを超えて誰かとつながるには“ペンパル”になるしかなかった。“文通”ですね。当時は中1コース(学研)とか中2時代(旺文社)という月刊の学年雑誌があって,ぼくは愚かにも中1から高3まで,毎月欠かさずに買っていたんだけど,そうした雑誌にもペンパル募集のコーナーがあった。

● 実際,ヘビーに文通をしていた時期がある。大学の後半の2年間だ。相手は高校時代の同性の友人。一番安かったコクヨの「書翰箋」を使っていたね。
 ペンは何を使っていたのか憶えていないが,ボールペンではなかったはずだ。当時のことゆえ,ボールペンといえば粘度の高い油性ボールペンしかなかったはずだが,ボールペンを使った記憶はない。万年筆は持っていなかったはずだ。さて,何を使って書いていたのか。

● 彼とは社会人になってからも2年くらい,文通を続けていた。中身的にはこっちの2年間の方が濃かったかもしれない。
 しかし,同郷にいて会うこともできるようになり,互いに仕事を持つようになると,手紙を書くことが億劫になり,自然に途絶えてしまった。
 結婚してからは会うこともなくなった。60歳になってから,ぼくは年賀状も出さないことにしたので,彼とも賀状のやり取りもなくなった。

● その彼と先日,偶然に出くわした。ひょっとすると,手紙のやり取りが復活するかなと思った。ちなみに,彼は視覚障害があって,パソコンやスマホの画面とは相性が悪い。
 ま,復活なんてことはあるまいが,もしそうなったらどれを使うかなと考えながら商品を見ていった。相手に届くものだから,ダイソーで売っているのはさすがにちょっとね。
 しかし,ここにあるのはいずれも良すぎる。お値段もけっこうする。うぅぅむ,これらはハレの機会に使うもののように思う。普段にはないような特別な連絡やお礼を書くのに,1枚か2枚を使う。
 彼とぼくの手紙のやり取りは,ケの領域に属するものだった。けっこうな便箋を消費した。だとすると,ダイソー便箋でいいかもしれないな。

画像はネットから拝借
● 3階は高級筆記具。ファーバーカステルの「パーフェクトペンシル 伯爵コレクション」の実物を初めて見た。ガラス越しに。
 4万円の鉛筆ね。正確には「消しゴム付きの鉛筆と鉛筆削りを内蔵したキャップがセットになったもの」で,書く,消す,削るが全部できるから「パーフェクト」ペンシルだという。何だか小馬鹿にされたような気分にさせる。
 文具雑誌などで写真は何度も見ていたけれども,なるほどこれが実物か。写真とそっくりじゃないか。

● もちろん,買わない。ってか,買えるはずがない。第一,鉛筆は使わなくなった。これからも使うことはないと断言はできないが,しかし,おそらくないだろう。
 第二に,600円のKIDSパーフェクトペンシルでパーフェクトな機能を満たすことができる。文具に求めるのは十全な機能のみであって,それ以外はどうでもよい。装飾性とか,ステイタスシンボルとしての象徴性とか,そういうのは徹頭徹尾どうでもいい。

● 持ち物で自分に付加価値を付けようとするのは,あるいは持ち物で自分に付加価値が付くと思ってしまうのは,恥ずかしいことではないか。その方向にだけは行ってはいけないのじゃないか。
 うん,そう決めてしまおう。そうしよう。お金がないから買えないんじゃないってね。考え方の問題なんだよって。

● 伊東屋では「伊東屋」の他に,小型店舗の「itoya topdrawer」,高級筆記具を取り扱う「カランダッシュ」の屋号でも店舗を展開している。ウィキペディア情報で知った。
 「カランダッシュ」は6月に外側から見かけた。自分が入ってはいけないところだと思って通り過ぎた。でも,言われてみれば伊東屋っぽかった気がする。

● 本店改装に伴って,高級感とゆったり感が格段に増した分,取り扱いアイテムが減った。以前の方がよかったと思うお方は,別館のK.Itoya(本館=G.Itoya の裏手)に行くべし。
 っていうか,いきなり別館に向かう通がけっこう多いのではないかと愚察する。文具は文具をして語らしめよ,故意の演出は不要である,と考える人が。

2020.07.25 誠品生活日本橋でノートを買う

● 台湾にはまだ行ったことがない。ひとつだけ言い訳をさせてもらうと,台湾便にはなかなかマイルの割当が出ないのだ。
 わが家では奥さんがJALカードでせっせと買物をして,マイルを溜めているんだけども,台湾便にはそのマイルが使えるチケットが出ない。それだけ人気があるということでしょう。

● 日本国内で台湾に接することのできるスポットがないわけではない。たとえば,小籠包の「京鼎樓」が恵比寿にある。が,正直に申しあげると,お台場をはじめ店舗が増えてみると,どうも味が面白くない結果になっているように感じる。
 食は風土のものでもあって,台湾のものは台湾で食べてみないと始まらない。そういうところがあるんでしょうねぇ。

● 食以外では,誠品書店が日本に進出していることは知っていた。
 ウィキペディアによれば,台湾の大型書店チェーンであって,書店を中心としたショッピングセンターも展開しており,店舗によっては24時間営業を行なっている,とある。何だか,モーレツ企業のようにも思われる。

● ともあれ,その誠品がコレド室町テラスの2階に店を構えている。2019年9月27日のオープンらしい。今日,初めて,行く機会を得た。
 日本橋でも主力商品は書籍。洋書もあるが,普通に日本の本を商っている。かなりの充実ぶりだ。

● まず,売場面積が広い。もちろん,神保町の三省堂や大手町の丸善のようなわけにはいかないのだが,ゆっくり見ていれば2時間は過ごせそうだ。
 並べ方も独特。分類というか括り方が,普通の日本の書店とは微妙に違うような。文学の隣に自己啓発本とか,そうした分野の隣合わせ方(?)にも特徴があるかも。

● 書棚の配置についていえば,まず圧迫感がない。高さを抑えているからだ。
 この点は国内のたいていの書店も同じなのだが,店によってはけっこうな高さの書架を備えて,それが独特の味わいになっているところもある。大手町の丸善がそうだと思う。いかにも日本を代表するビジネス街の書店という趣を作っている。
 日本橋の誠品は高さを抑えることによって,仰々しくないアカデミックな雰囲気を訴求しているようだ。

● 段差をうまく作っているとも感じた。お客の視野を遠くまで確保するためだろうか。
 この段差もまた,雰囲気を作るのに与っていると感じる。

● 雑誌の揃え方にも特徴がある。他の書店ではみかけない雑誌を見ることができる。特に,建築やデザインなどクリエイティブ系で。
 雑誌だけを見ると決めて来るのも,一案だろう。もっとも,そういうのは何度も来れる場合にしか成り立たない。しょっちゅうこの場所に来れる人が,そういう贅沢を味わえる。

 銀座の蔦屋書店と比べたくなるが,蔦屋書店ほどの偏りはない。正統派の書店の範疇にある。
 中国茶のカフェがあったり,普通のカフェもあったりするけれども,採算は取れているんだろうか。この場所でこの広さでは,テナント料も相当な額になるんだろうから。

● 文具や台湾雑貨も扱う。雑貨は台湾色が濃い。台湾フリークにははずせないスポットになっているだろう。
 文具の多くは他の文具店でも扱っているものだ。たとえば,トラベラーズノートであり,モレスキンであり,ロイヒトトゥルムであり,LIFEである。意匠は日本にないものがあるけど。

● が,日本にはないものもある。万年筆やインクなどだ。その中からノートを1冊,購入した。「讀書寫字」というのが製品名だろうか。
 ハードカバー(ゴムバンドはなし)でモレスキンよりやや大きい。っていうか,正規のA6サイズですかね。ぼくが買ったのはB罫だけれども,無地もあった。おそらく方眼もあるのだろう。中紙は104枚。けっこう厚めの紙。4点糸綴じ。台湾で製造しており,価格は1,348円(税込)。

● ノートの在庫はたくさん抱えているので,使うのはいつになるかわからないけれども,その日を楽しみに待つことにする。

2020年7月23日木曜日

2020.07.23 SARASAのビンテージカラー

● 東京ソラマチの LoFt を覗いた。毎度々々覗くだけで何も買わないのでは申しわけないという気持ちもあって,ほぼ日のテンプレート(アクティビティ)を購入した。
 手帳やノートに絵を描いてみたい。でも,絵心はない。それを開発するための努力もしたくない。テンプレートがあれば,絵は無理でもイラストというかアイコンは描ける。まずはそこから入ってみますかね,と。


● といいうのは,まぁ,取ってつけた理屈であって,何か買わなきゃいけないとなったときに,たまたまほぼ日手帳の売場のところにいたというか,ほぼ日製品の中から何か選ぼうと思っていたというか,要はそういうことなんでした。
 下敷きはBindexで使える。今のところ,バインダーから外して,ダイソーで買ったホワイトボードの上に置いて書いているんだけど,それよりはこちらを使った方がスマートかなぁ,っていうね。
 けれども,これまた自分を説得するための言い訳探しにすぎません。下敷きなんか使わないことはわかっているんですよ。


● それと,こちらも。噂に聞くユニボール one のブルーブラック0.5mm。ゲルのブルーブラックはシグノ,SARASA,あわせて10本程度はある。ほとんど完成形だろうと思うんだが,oneはどこが違うのか。
 帰ったら試してみよう。


● ゼブラの SARASA は多色展開。SARASA に限らず,ゲルインクボールペンは各メーカーがいろんな色を出している。シグノしかり,ハイッテクCしかり。が,SARASA の色展開は頭ひとつ抜け出ている感じ。
 現在のインク沼を作っているのは,万年筆用インク,ゲルインクボールペン,マーカーの3種。水性インクは色を作りやすいのだろう。
 それぞれのシリーズで全色揃えている人はたくさんいると思う。色彩感覚が優れる女性たちがこの多色展開を牽引している。そういう認識でよろしいか。


● SARASA で特に惹かれるのはビンテージカラーというやつ。2016年9月にダークブルー,ブルーグレー,レッドブラック,グリーンブラック,ブラウングレーの5色が出て,2019年2月にキャメルイエロー,カシスブラック,ボルドーパープル,ダークグレー,セピアブラックの5色が追加されて,全部で10色となった。字幅は0.5mmのみ。
 ダークブルーってね,ブルーブラックとの違いはあるのか。PLATINUM と PILOT のブルーブラックインクの違い程度ですか。とか言いたくなったんだけども,ダークブルーは通常版のブルーブラックと同じ色らしい。


● グリーンブラックは前に買って持っている。だが,全色揃えようという発想はない。文字しか書かないんだから,ブルーブラック1色ですむ。黒では重すぎるし,青は目を刺してくる。ブルーブラックが無難。グリーンブラックやブラウンブラックでもいいけれど。
 が,どうも気になって,ダークブルー,レッドブラック,ボルドーパープルを買ってみた。使うかどうかは別の話になるが,とにかく買ってみた。


● SARASA の50色以上の色のそれぞれを,他と区別して別の色と認識できる,色感覚の解像度の高さには感服しますよ。今の若い人たちは,おしなべて解像度が高いんでしょうねぇ。
 いや,認識するだけならぼくにもできるかもしれないんだけど,それぞれの色に用途を与えることができない。ということはつまり,認識できないに限りなく近い。

2020年7月22日水曜日

2020.07.22 Twitterの使用を縮小する?

● LINEのKeepメモを少し試してみた。で,これがあるんだったら,Twitterやめちゃってもいいかなと思えてきた。
 つまり,誰かに何かを伝えたくてTwitterやってるわけじゃないから。つながりたいとか,お役に立てそうな情報を提供したいとか,そういう発想じゃなくて,ログを残すのに使える(っていうか,メッチャ便利)と思ったのがTwitterを始めた動機だし,そのようにしか使ってこなかったので。
 で,その使い方ならKeepメモでそっくり代替できるわけだ。テキストも写真もリンクも保存できるんだから。
 Keepメモじゃなくても,カレンダーアプリ(たとえば,Lifebear)でもいいだろうけどね。

● Twitterにログを上げておくことの将来的なメリットとして,年を取って寝たきりになった,あるいは特別養護老人ホームに入所したときに,Googleアシスタント(スマホはAndroidを使っているので)が自分の唯一の話し相手,心を許せる友になる可能性があると思ったことがある。
 いや,冗談ではない。配偶者より自分の方が長生きするなどとは考えたくもないし,実際にそういうことはないと思うのだけども,何が起こるかわからないのが人生だ。

● GoogleアシスタントもSiriも今のままではいないだろう。もっと賢くなって話し相手になれるほどに進歩するはずだ。おそらく,ぼくが生きている間にそうなるだろう。
 ならば,Googleアシスタントにぼくという人間について学習してもらわなければならない。学習してもらう以上,そのための素材をGoogleアシスタントに与えなければならない。

● それが,Twitterに詳細なログを残すことだった。1日に10個のツイートを残せば,1年で3,650個,10年で36,500個のツイートがTwitter上に残る。それは自分についてのビッグデータだ。
 そのデータをGoogleアシスタントに学習してもらう。ぼくという人間について深く知ってもらう。そうして,寝たきりになったぼくの話し相手になってもらう。

● しかし,ログを残す場所は,Twitterである必要はない。自分に紐づいている場所ならどこでもいい。KeepメモでもLifebearでもいいわけだ。
 であれば,Twitterはやめてしまって,人目につかない場所に移るのがいいかもしれない。すでにTwitterに上げてしまったものは,何らかの形で整理して(過去のツイートもまとめてKeepメモに移せればなぁ),そうしてからツイートを全消しする。IDも削除する。そうできればスッキリするかな。

● たまに昔の自分のツイートを読むと,“ギャッと叫んでろくろ首”に陥るのでね。なかったことにしたいツイートがボンボン出てくるわけで。
 過去のツイートは恥に満ちている。今あげているツイートも数年後に見返せば,同じように恥まみれになっているはずだ。そういうものは誰にも見られないところにしまっておくのがよくはないか。

● そこまで極端なことはしなくても,今日より以後は,ログはKeepメモに溜めていくことにして,Twitterは使わない。
 Twitterは情報収集のためだけに用いることとし,それに役立たないフォローははずす。そうした方がスッキリしそうだよ。

● ではそうするか。しないだろうね。人に見られることを意識した方が幾分なりとも内容や文章に気を使うから。自分しか見れないところにメモを溜めていったのでは,今以上に恥まみれになることはわかりきっている。
 結局,Twitterがある以上,Keepメモを使う機会はあまりないだろうってことだ。ツイートしにくいことをKeepメモに書くことはあるだろうから,使う機会がゼロになることはないけれども,TwitterとKeepメモを使う比率が99:1より縮まることはなさそうだ。

● ログを残すためにTwitterを使っているのは,ぼくだけではないだろう。それが多数派ではないか。
 なぜなら,人様のお役に立てる情報を流せる人や人様に伝えるに値するほどの主張や発見をできる人など,ほとんどいないからだ。100人に1人まではいないだろう。1,000人の中の2人か3人ではないか。
 ゆえに,Twitterに限らず,SNSはゴミ処理センターの感を呈する。

● 自分もゴミしか出せないのだとすれば,そこに居直って,自分に都合よく使っていくしかない。
 勢い,ログを集積させていく場として使うしかなくなる。そのように使えばよいのだと思う。

2020年7月21日火曜日

2020.07.21 能率手帳のメモティ

● 「能率手帳 hashtag on Twitter」で検索して眺めていくと,70周年記念限定品の「メモティ」が売れているっぽい。特に小型版。そういえば,リアルの店舗でも小型番は色違いでたくさん並んでいたな。
 去年,ぼくも1冊買った。完全なるメモ帳だからあわてて使わなくてもいいと思っててね,まだ手つかず。

● そのメモティ,どうやら定番化されるらしい。NOLTYノートの小型版という位置づけでもあるんでしょうかね。
 NOLTYのフラッグシップノートにはなかなか手が出ないし,ノートはA6を基本としているので,メモティならばぼくにも使える。

● ノートについては,たとえばトラベラーズノートとか “紳士なノート” がある。手帳にいたっては,ほぼ日手帳をはじめ,マークスだのレイメイ藤井だのPLOTTERだの,耳目を集めている製品がたくさんある。
 が,NOLTYが本気だしたら全部蹴散らすぞ,みたいな。そうした凄みというか蓄積をNOLTYは持っているんじゃないかと思うのは,深読み(あるいは贔屓)が過ぎますかなぁ。

● ところで。歌手の太田裕美が19歳のときから能率手帳のユーザーだってことも知りましたよ。本当ですか。あの太田裕美が。親父手帳の代名詞と言われた能率手帳を。太田裕美,かっこいい。
 こんな雑知識を得られるのも,Twitterならではですなぁ。別に知らなくてもいいことではあるんだけどさ。

2020.07.21 測量野帳の NOTE B00K

● 測量野帳の60周年限定商品の中で,ぼくが買ったのはクリアカバーとゴムバンドと NOTE B00K。もったいなくて(?)まだ使っていないんだけど,5.5mmの罫線幅は絶妙かと。
 ので,これだけはギュラー化してほしい。380円じゃなくて210円で買えるようにしてほしい。


● ザケンナよ,これだけのものを何で210円で売ってやんなくちゃなんねーんだよ,ゴルァ,ってか。
 LEVEL BOOK を(縦線を無視して)B罫のノートとして使えばいいし,実際,そうして何冊か使ってみてもいる。それで問題があるのかといえば,別にない。

● 横罫の NOTE B00K を測量に使うかって話もあるでしょうしね。横罫の普通のノートに測量野帳の名を冠したものをレギュラー化するってのは,どうなのよって。
 それを言うなら,3mm方眼の SKETCH BOOK は測量に使うのかという話にもなるんだけど,それはそれ。

● 測量野帳とは言いながら,測量業務に使われているのとそれ以外の普通のメモ帳として使われているのと,さてどちらが多いかといえば,これはもう後者のはずで,だとすると,LEVEL,TRANSIT,SKETCH のうち,圧倒的に売れているのは SKETCH BOOK でしょ。
 さらに,今は横罫より方眼が人気を集めている。『頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?』なんていうタイトルの本まで出る始末で,それに頭がいいとは言えない人が追随するものだから,横罫派は肩身がせまい。


● というわけで,NOTE B00K を定番化してみたところで,SKETCH BOOK に隠れてしまうのじゃないかと,素人のぼくでも思う。定番化はないでしょうねぇ。
 ただ,ぼくは方眼に馴染めなくてさ。後生大事に持っていても仕方がないので,クリアカバーをかけて使おうと思います。

2020.07.21 引退組も手帳を使うべし

● 金魚の水槽の水替えをした。先週,週の半ば過ぎに替えたから,まだ早いと思ってたんだけど。が,前回替えたのは先週じゃなくて,先々週だったのだ。
 えっ,とわれながら思いましたよ。あっという間に1週間が過ぎていた。先週はなかったがごとしだ。
 毎日家にいても曜日感覚はある。でも,過ぎ去った時間の塊の把握が疎になっている。仕方がないのかなぁとも思うんですけど。

● この点からすると,毎日が日曜日になった引退組も,手帳は使い続けた方がいいと思う。紙の手帳でもGoogleカレンダーでもいいから。
 手帳に書くほどの予定はないだろうが,ゆるりと妄想でも書きつけておけばよい。ない予定を管理するってのは,そもそもあり得ないが,時間感覚を管理するというかメンテするというか,時間感覚を保つために手帳を見るのは有効だ。

● 手帳じゃ大仰だと思えるのなら,カレンダーでもいい。手に届くところにカレンダーを吊るしておいて,その日にやったこと,思ったこと,感じたこと,言われたこと,何でもいいから一行書いておく。
 それだけで時間からの遊離をだいぶ防げるのではないかと思う。人間関係や地域からの遊離は望むところだとしても,時間からの遊離は避けるに若くはない。

● ぼくは現役時代と同じ,BindexのNo.011(能率手帳のシステム手帳版)を使っている。そうしていても,1週間の記憶の欠落が起きてしまうんだから,どうしようもないんですけどね。
 使っていなかったら,もっと時間がまとまって過ぎていると思うんですよ。

2020年7月19日日曜日

2020.07.19 スケッチブックを買ってしまった

● 宇都宮のベルモール。1階に移転した落合書店の文具売場で,初見参のノートが右の写真。ノートというかスケッチブック。
 モレスキンポケットと同型のものを1冊購入。3点糸綴じなのと中国製なのも,モレスキンと同じ。中紙は80枚だが,画用紙なのでモレスキンより厚い。造本はモレスキンよりは(おそらく)まとも。価格は600円(+税)。

● はい,お買上げ。なぜ買ったのかというと,絵を描いてみたくなったのだ。鉛筆はあるし,息子が使っていた色鉛筆もあるので,とにかく描き始めることはできるのだ。
 書籍売場で教本(?)も買おうかと思ったが,やめておいた。教本を読むんでも,まずある程度描いてからの方がいいでしょ。

● 息子のお下がりの色鉛筆ではなくて,もっと凄いのも目の前にある。文具売場にいるんだから当然なんだけど。三菱鉛筆の36色とか,ファーバーカステルの水彩色鉛筆とか。
 もちろん,買わない。絵を描いてみようという今の気持ちがそんなに続くわけがないと,自分で思っているからだ。気迷っているとわかるからだ。
 こういう状態のときの自分を信じてしまうほど愚かではないつもりなのだ。だったらスケッチブックも買うなよ,ってか。じつに正しい指摘だ。

2020.07.19 高級ノート(?)を3冊,購入

● 相方の最大の趣味は買物だ。とはいっても,アウトレットセンターは佐野か那須まで行かなくちゃいけないし,百貨店はもはやショッピングを楽しむ場所ではなくなっているらしい。
 ので,休日はスーパーのハシゴをすることを楽しむのをもって最上とするらしい。彼女は働いており,ぼくは完全引退してご隠居の身分だから,休日には彼女の運転手になってスーパーのハシゴにつき合うことになっている。

● ので,今日も,ベルモール(イトーヨーカドー)→ ジョイフル本田 → インターパークヴィレッジと宇都宮市内のスーパー巡りに付き合っているんだけども,けっこう自由時間もあってね。
 ジョイフル本田ではジョイフル2を一人で覗かせてもらってる。あの広大なジョイフル2の中の文具売場をね。

● 清水の舞台から飛び降りるつもりで,高級ノートを3冊購入した。ミドリのMDノート,LIFEのバーミリオン,ツバメノート。いずれもA6横罫。
 3冊で1,027円。ぼく的には充分に高級品だ。ツバメノートは何冊か在庫を抱えているかも。

● ノートはすでに大量にあるので,使わないままで終わるかも。在庫をたくさん抱えているときに,高い方から使っていった方が後悔が残らないのじゃないかと一応は思ってみるんだけども,思ってみるだけで,安いダイスキンを優先的に使っている。
 結局のところ,ぼくにとってはダイスキンが一番使いやすいノートだからだろうな。自分の頭がというより手がそう思っているからだろう。

2020年7月16日木曜日

2020.07.16 手元にある未使用ノートの在庫

● これで全部じゃない。半分くらいだ。
 多いのはダイスキンで,あとはCampusや測量野帳,無印ノート。なので,使わないで捨ててしまっても,金銭的な損害はさほどでもないんだけど,使わないで捨てるなんてヒトデナシがすることだよなぁ。
 ここに写っていないものの多くも大スキンだ。今は亡き(つまり,廃番になっている)B6ダイスキン。何十冊かある。

● ダイスキンといえば供給不安定な時期があって,店頭で見つけたら即買えと言われた。それが尾を引いてしまった感じもあってね,ダイソーの文具売場を覗いてダイスキンがあったら全部買って帰るってのをけっこう続けてしまったんですよね。
 100円だからね。10冊買っても1,000円だもんね。簡単に溜まってしまうわけですよね。
 1年前の今頃に中紙96枚の黒ダイスキンはすべて使いきったんだけども,それ意外にまだまだある。

● ほかにも,ちょこまかと買っていたツバメノートやチアックなどがある。生きてる間に使い切れればいい。
 ここで問題が2つある。1つは使いきれるかということだけど,あと1つは使ったあとのことだ。
 ぼくの書いたものなんか読む人もいないと思うし,読まれて困るようなことは書いていないとも思うんだけれど,残したまま死にたくないってこと。

● 処分するタイミングの問題だ。さすがに使用済みのノートもかなりの量になっている。読み返すことはあまりないので,すぐさま捨ててしまってもいいようなものだ。
 が,それができない。残してしまう。しかし,いつかは(生きてる間に)処分しなければならない。
 うまく間合いを測れるだろうか。処分しそびれて,残したまま死ぬことになりはしないだろうか。

● 人間のやることは,仕事も含めて,すべては遊びだと思う。何をやっても所詮は,良くも悪くも,遊びにすぎない。仕事も遊びなんだから四角四面に考えすぎない方がいい。
 ノートに何ごとかを書くのも,つまるところは遊びだ。やらなければやらないですむ。やらなくても困ることは起きないものだ。

● そこをきちんと踏まえて,真剣に遊ぶのがよろしいだろう。所詮は遊びとわかったうえで,ノートとペンを使った遊びを真剣に遊びたいものだ。
 それがなかなかできないわけだが,目指すべき境地はそこだ。

2020年7月14日火曜日

2020.07.14 太田あや 『外資系コンサルは,なぜ,あえて「手書きノート」を使うのか?』

書名 外資系コンサルは,なぜ,あえて「手書きノート」を使うのか?
著者 太田あや
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2018.10.12
価格(税別) 1,400円

● 考えるとは手を動かすこと。それがこの本のテーマというか通奏低音になっている。手書きすることをしないで考えることができるんだろうか,ということ。
 パソコンの画面を見ながらキーボード入力することによって考えることはできるか。できなくはないけれども,“考える”側から見ると効率が悪い。

● 以下に転載。
 澤さんは,今,20年ぶりにノートを使い始めているという。きっかけは,造形作家の奥さまだっが。「クリエイティビティなことを考えたいな」と話す澤さんに,「それなら手を動かしたらいいよ」とB6サイズのノートを渡してくれた。(p20)
 人は,昔から,書くことで思考し,書くことで表現してきた。書くという行為は,思考,表現と揃いのものだった。キーボードが誕生して以来,人は,それに併せて指を動かし言葉をうつようになったが,それは,人間本来の動きではない。機械に合わせて人間が身につけた動きだ。(中略)「人が機械に合わせるのではなく,機械が人に合わせていく時代になっていきますよ」(中略)澤さんはそう感じているのだ。(p32)
 最近は,絵を描きたいと感じるようになり,造形作家の奥さまに相談したそうだ。そんな澤さんに奥さまは,「人に習うよりもたくさん描いたほうがいいよ」と今度はスケッチブックを渡してくれたという。(p34)
 考えながらパワーポイントで作るというのは,すごく速いようで遅くなるんです。パワーポイントに向かうと思考停止してしまうので。(中略)パワーポイントは機能が多すぎるので,そのことに足をすくわれるんだと思います。フォントやデザインに悩んでしまい,肝心の考えることが後回しになってしまう。(中略)余計な情報が入ると,思考は鈍ってしまう。紙に向かえば,考えていないことはすぐにわかる。手が止まるからだ。しかし,パソコンに向かえば何らかの作業ができるため,考えているつもりになってしまう。(p40)
 アマゾンやフェイスブックなど,社内の会議においてパワーポイントを禁止する会社が世界的にも増えてきている。(p56)
 コンサルタントは,自分で創り出さないといけない仕事です。デジタルを使いこなしてもアイデアは生まれないと思ったんです。(p63)
 多武さんは,A5サイズの「ロディア」を愛用している。あるとき,出張先のシドニーでオーストラリア人が多武さんの「ロディア」を見て「小学生の頃に使っていた」と懐かしそうに言ったそうだ。「子供が使いそうなノート。それがいいんです。わくわく感,たのしいと思う気持ちが,やる気の動機付けになるんです」(p64)
 小学生がロディアを使う? ずいぶん贅沢な小学生がオーストラリアにはいたものだな。
 広大な平野では,アイデアは際限なく生まれるという人がいるけれど,それではフリーすぎて何も生まれない。制約が必要だと思うんです。僕の場合は,A5の紙1枚にまとめるということが制約です。(p67)
 このノートを5冊使い終えたあたりから,「同じノートで書き続けることが生産性が最も高い」と感じるようになったという。(中略)ノートを選ぶという行為自体も中さんにとっては時間の無駄使いとなる。使い勝手が良ければ,会社にあるノートをずっと使い続けることはとても合理的なのだ。(p93)
 島田さんは,A4のコピー用紙を使い続けている。(中略)自由に,軽やかに,何の制限もない中,頭に浮かんた図を描いていく。そのためには,何も描いていない真っ白な舞台が必要だったのだ。(p128)
 「会社の先輩も上司もみんな,A4サイズの方眼ノートパッドを持ち歩いています。自前のノートを持っていなくても,この方眼用紙はみんな使います」 何に驚いたかというと,資料を作る際に,A4方眼用紙1枚に,パワーポイントのスライドにどんなメッセージを書くのか,どんなグラフを入れるのか,ドラフトを手書きにして上司に見せてほしいと言われたときだった。(p147)
 新事業開発や新サービス開発のコンサルということは,ゼロイチと言われる,何かを生み出す仕事に携わるということです。何かを生むために思考を始めると,手を動かさないといけないと感じるようになり,ノートを買ったんです。(p185)
 縦長のノートだと何が起こるかというと,大概文章しか書かなくなるんです。それなら議事録のようにパソコンを打てば早い。(p186)
 ノートは,いつも書いたときの自分や考えていることを映してくれる。そこに映し出された自分を見つめ,ときにはその自分を脳にもう一度焼き付ける。これを繰り返すことが,考えることであり,自己との対話だ。(p199)
 週末,一人会議室の真っ白な壁に向かい,浮かんでくるアイデアを書いては消し,書いては消しを繰り返し,少し離れて書いた内容を眺めてみる。まとまったと感じたら,写真を撮り保存する。長いときは6時間ほどホワイトボードの前にいることがあるそうだ。(p214)
 頭の中に何かが浮かんだ瞬間,その言葉やイメージを捉えると,書こうと思う間も無く,手はもうホワイトボードに書き出している。反射の勢いだ。(p215)

2020年7月9日木曜日

2020.07.09 LINEのKeepメモ

● LINEにKeepメモというのができましたよという記事。普通にLINEする感覚でメモを溜めていける。
 何気に便利。いつものLINEでメモ取り。ワンファイルに何でも書きこんでいく感じでしょうかね。しかも,1回毎に独立して表示される。散逸の心配もない。もちろん,Google音声入力を使って音声入力も可。

● 以前から,自分1人だけのグループをLINE上に作って,自分宛てに発信する形でメモ帳として使う“裏技”が流布していたのも納得。
 簡単なメモはGoogle Keepでも大仰な気がしてたんで。LINEはピッタリやね。裏技で対応してきた人,頭いい。他にも,LINEの裏技ってあるんでしょうかねぇ。

● Gメールをメモ帳代わりにしてはどうかってのは,とりあえず思いつく。自分宛にメールするまでもなく,下書き保存しておけばいい。タイトルは付けてもいいし,無題でもいい。1回毎に別メールにしてもいいし,1つのメールに書き加えていってもいい。
 が,それよりもLINEの方が色々便利に使えそうだ。

● 自分で思いついたメモとネットにあった気になる情報をまとめて保存できる。EvernoteやMS−OneNoteの簡易版というかさ。
 Google Keepですら大仰に感じることがあるんだから,EvernoteやOneNoteは尚更だ。大仰という以前に,全体を理解できないほど多機能で,近づく気がしない。
 ほとんどの場合,簡易版が正解。ライトな使い方しかしないもんね。

● 問題があるとすれば,何百と溜まった場合,下の方に沈んでしまったメモを見たくなったときにどうするかということくらいだ。が,そうした古いメモは検索であぶりだせばいい。Keepメモに限らず,それがデジタルメモの鉄則。野口悠紀雄さんが言われる,「分類するな,検索せよ」を適用するしかない。
 しかし,まぁ,メモの寿命はそんなに長くはないと思われるので,そうしなければいけない頻度はそんなに高くはないでしょう。

● では,このKeepメモ,自分は使うか? たぶん使わなそうだ。つまり,そういうことをTwitterを使ってやっているからだ。
 Twitterはコミュニケーションツールではなくメモ帳代わり,という人がかなり多いのではないか。Twilogと併用しておけば検索で串刺しにできるし,Twitterは強力なメモツールなのだ。
 ので,自分がKeepメモを使うことがあるとすれば,何らかの理由でTwitterをやめた後になりそうだ。

2020年7月4日土曜日

2020.07.04 前田裕二 『メモの魔力』

書名 メモの魔力
著者 前田裕二
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.12.25
価格(税別) 1,400円

● 本書で説かれているメモの取り方はデジタルではできない。紙とペンでこそ。
 この本はかなり売れた(今も売れている)が,読者の中で前田式を実際に始めた人は5%もいるだろうか。継続している人はほどんどいないだろう。1人もいないだろうと言ってみたいが,ま,数十人はいるかもしれない。

● それでいいのだと思う。いっ時,その気にさせてくれれば,この本は役割を果たしたことになる。
 いっ時で終わってしまったからといって,俺はダメな人間だぁ,などとは思わないように。この本を最後まで読めただけで大したもん。
 むしろこの本に引きずられなかったのは,あなたが賢かったからかもしれない。

● 以下に転載。
 映画や演劇などを見ていても,気づいたことを相当な分量メモします。おそらく,一つの作品につき,多いときで100個以上,少なくとも数十個のポイントはメモしていると思います。(中略)街に出るときも,(中略)自分の心がたくさんの情報をキャッチできるように,いつも思いきり毛穴をむき出しにして歩いています。(p4)
 なぜ僕は,ここまで狂ったように「メモ」にこだわるのか。それは,この「魔法の杖なんてない」と言われる世知辛い社会において,メモこそが自分の人生を大きく変革した「魔法の杖」であると直感しているからです。(p5)
 今の時代,自分を知ることはすごく大切です。今後,お金をどれだけ持っているか,ではなく,人の感情や共感などといった「内在的な価値」こどが評価対象になるという「価値経済」が大きく勃興することは,ほぼ間違いないでしょう。そんな時代の中で,「自分をよく知って何かに熱中している人」こそ,多くの共感を集める人になる,すなわち価値を持つのだと強く思います。(p6)
 現代において,僕が「本当に強い」と思う人材は,「想いの強い人」です。(P10)
 なぜここまで狂ったようにメモをとるのか。それにはいくつか理由がありますが,まず何より大切な理由が,この残酷なまでに時間が限られている人生という旅の中で,「より本質的なことに少しでも多くの時間を割くため」です。本質とは何かというと,コピーではなく創造,代替可能物ではなく代替不可能物,ということ。(中略)要は,「過去のファクトを思い出す」という余計なことに思考の時間を割かないために,メモをするわけです。(p22)
 僕らは人間です。「人間にしかできないこと」に集中するために,メモを活用していってほしいのです。単純に起きたことや見聞きしたkとだけを書き写すのではなく,新しいアイデアや付加価値を自ら生み出すことを強く意識して,メモを書き始めてみてください。(p25)
 すべてのアイデアは,ふだん無意識に通り過ぎてしまいそうなことに目を向けて,逃げずにそれらを「言語化」することで生まれています。(p27)
 きちんとメモをとる週間を身につけると,自分にとって有用な情報をキャッチするための「アンテナの本数」が増えます。(中略)メモをとる癖がない人は,実は,毎日「宝」をみすみす落とし続けてしまっているようなものだと僕は思っています。(p29)
 熱意を伝えたいのなら,紙がベストです。相手に伝えたい「想い」の部分が,ストレートに心に届くからです。(p31)
 メモを癖にしてしまえば,言葉にすることから逃げられなくなります。いわば,自家発電的に「言語化の強制力」を一人でも作り出すことができるのが,メモの力なのです。(p35)
 最初に強調しておきたい大切な価値観があります。それは,「メモは姿勢である」,ということです。(p38)
 ノートは原則,「見開き」で使います。(p39)
 気づきを抽象化することは必須ですが,抽象化で止まってしまうと,時に単なる「評論家」になってしまいます。自分が世界から抽出した気づきから,きちんとアクションに「転用」することを通じて,自分の日々が,人生が,変わっていきます。(p46)
 標語・タイトル・キーワードは,慣れてくればファクトを書きながらつけていけるようになりますが,慣れないうちは,あとで振り返ってメモを眺めて,標語をつける時間を意識的に設けるべきだと思います。そのくらい,標語力には価値があります。(p70)
 「世の中でうまくいっているもの」や,「自分が素直にいいと感じるもの」を見たときに,素通りせずに,キャッチして抽象化してみてください。「なぜかわかんないけど,このお店すごく居心地良かったな」という感想で大体終わるわけですが,その本質的要素をいくつか書き出して,抽象化しておく。すると,例えば今度は,居心地の良い別のコミュニティを自分が作る際にうまく応用できるのです。(p92)
 事業や,企画,何らかの自分の挑戦に自然と仲間が集まる状況を作るには,自分の内にある熱が伝染するような「生きた言葉」を使うことが重要です。この,言葉によって熱がつい漏れ出て伝わってしまう現象も,単に熱量があればよい,というものでもなく,かなりの部分を言語化の力に頼っている感覚があります。(p96)
 人は,原則,「何を言うか」以上に,「誰が言うか」を指針に,誰かの主張に耳を傾けるかどうかを決めているので,まだ大きな実績を持ち得ない個人が,どれだけ良いことを言っても,なかなか相手に届きません。であれば,戦略的に,まず「誰か」になる必要があるわけですが,そのために最も大切なことが,他者を巻き込むことです。(中略)では,どうすれば周囲を巻き込めるのか。それが,「言語」であり,ロジックです。(p97)
 自己完結のメモだとなかなか続かない人は,メモ代わりに,TwitterなどSNSを使ってみてください。○○が面白かった。それは,○○だったからだと思う,と,理由を言葉にしてしっかり伝えるのです。(中略)わかりにくく,どこかで聞いたことがあるような言葉は,共感を得られません。こうした上手にアウトプットをせねばならない一定の制約下で言語を届ける訓練を続けると,言語化能力は磨かれていくでしょう。(p100)
 人は,概念に名前をつけないとそもそも思考できません。記憶もできないし,他の何かに応用することもできない。人間は抽象化,そして言語化することによって,クリエイティビティを獲得しているのです。(p103)
 自分の心に刺さった語彙,引っかかる表現があったら,なるべくすべて・メモしておきましょう。(p109)
 抽象化能力を引き上げるに当たって,もう一つ,マストで身につけておくべきことがあります。それは,「自分を一歩退いて客観視する癖」です。(中略)日々特に意識をせずにメモしていると,つい「我見」によりがちです。離れた場所からフラットかつ客観的に身分を見つめる「離見」を意識することが,抽象化においても大切なのです。(p110)
 どうしても,命を削ってでも,人生をかけて実現したいことがある。そのための武器がメモであり,その強い思いこそが,メモに対する飽くなき姿勢を支えてくれているのです。(p117)
 最終的には「自分は何をやりたいのか?」という問いに行き着きます。(中略)お金のあるなしに関係なく,やりたいことが明確な人が一番幸せだと思っています。(P118)
 僕は,何かに熱狂している「オタク」であることが,価値創出の根源になると考えます。あることについて,めちゃくちゃ詳しくて,好きで好きでたまらない。いつだって,ついそのことばかり考えてしまうような人物です。(p120)
 自分自身のことを深く知ると,不思議と,自然に自信を持てるようになります。(p124)
 どうしても紙に書けない環境下で何かやりたいことを思いついた場合は,デジタルメモでもかまいません。しかし,しっかり脳に染み込ませる意味では,情報量が多く右脳でも記憶しやすい,アナログの文字にして一度見つめてみるべきだと思います。(中略)ある人は,「デジタルのメモは,ブラックホールの彼方に消えてしまう」とよく言っています。(中略)デジタルのメモは,何度も見返すきっかけを作ることはなかなか難しいという欠点があります。(p146)
 「なぜ流れ星を見た瞬間に願いを唱えると夢がかなうのか?」,考えてみたことがありますか?(中略)僕が思うには,「流れ星を見た一瞬ですら,瞬間的に言葉が出てくるくらいの強烈な夢への想いを持っているから」です。(p147)
 目を閉じて,具体的に,ビジュアルを描けるか。(中略)「想いの言語化」は,その絵が浮かぶくらい,想像し切らないといけません。(中略)なぜそれができるかというと,夢や目標に対する実現欲求が異常に強いからでしょう。そのとき,「思い」から「想い」に進化していくのです。(p151)
 「メモをとらないと忘れてしまうようなことは重要ではなから,覚えておく必要はない」「記憶力のスクリーニングにかけたほうがいい」という説があります。僕は,現時点では,その説には懐疑的です。完全に創造性だけが問われるような右脳に寄った仕事をされている方は,この限りではなく,むしろ忘却によって自分の完成が研ぎ澄まされる,ということもあると思います。(中略)しかし,左脳と右脳を両方駆使して,問題解決や知的星団に向き合い続ける仕事をしている場合,メモは避けて通るべきではない,必要不可欠な魔法のツールだというのが僕の考え方です。(p182)

2020年7月3日金曜日

2020.07.03 キーボード欲しいよぉ症候群 3

● 先月の25日。また,BTキーボードを入手した,というか,してしまった。ヤフオクでリュウドの2100BTJを
 リュウドは以前にも使っていたことがある。電池を替えてもついに動作しなくなって処分した。
 キーボードに原因があるのか,スマホにあるのか,使い手側にあるのかはわからないけれども,使うたびにペアリングをやり直す必要がある状態がご臨終になるまで続いた。
 が,キータッチは申し分なかったという記憶がある。折りたたみ式ながら,パソコンのキーボード並みに打ちやすかった。

● 問題は,折りたたみ式のBTキーボードはこれで3つになったこと。使うのは“常にひとつ”。現在使用中の安物中華キーボードが問題なく動作しているので,リュウドを使うことがあるかどうか,わからんちん。
 買った以上は,とりあえず使ってみた。タイプするとガタガタいう。内蔵のスタンドは今の大型化したスマホには使えない。一度接続を切ると,ペアリングをやり直さなければいけなくなるのは,以前と同じ。自動的にパッとつながってくれない。
 メインで使うのは,今までどおり安物中華キーボードになりそうだ。これが一番使いやすいわ。

● しかぁし。それ以後も,キーボードから手を離さずにスマホを操作したいと思って,ヤフオクのBTキーボードに4つほどチョッカイを出した。
 今あるものを活用することを考えなくちゃいけませんよ。有線接続のThinkPadキーボードが2つある。それを使えばいいじゃんね。

● ところが,結局ですね,こちらのワイヤレスキーボードを落札しちゃいましたよ。家でスマホを使うときはこれで。出先では折りたたみ式の安物中華キーボードで。それ以外の4つのキーボードは捨ててよし,ということになりそうですよ。
 有線接続でいいだろと思ってたんですが,ダメでした。スマホに線を射し込むそのわずかな手間が,とんでもなく億劫に思われるんでした。サッと使えないとダメっていうか,サッと使えることは神が降臨したのと同じくらい大事なことなんでした。

● で,そのキーボードが昨日届きましたよ,と。ウッカリしてた。これってBluetoothじゃなくて,専用レシーバを装着して使うタイプだったのだ。スマホでは使えないわけではない。が,装着の手間がかかる。それじゃ有線接続キーボードを使うのに限りなく近い。
 また,使えないキーボードを買ってしまったよ。これで有線接続2台,無線4台。ハ~ァァァ。

● 今日,気を取り直して,ひと手間かけて使ってみました。無問題です。快適に使えます。家で使うにはこれでいいかもしれません。ひと手間をサクッとできるように準備しておけば。
 しかし。おそらく。BT接続のThinkPadキーボードを買ってしまうような気がします。ダメだダメだ。このキーボードを使うんだ,俺よ。

● 家にいるんだったらパソコンを使えばいいじゃん,スマホをパソコンにつなげばいいんでしょ,何でスマホ単体で入力しようとしてんの,というもっともな疑問がありますな。
 スマホで撮った写真をTwitterに貼り付けるのに,まとめてポンとできるんだったらそれでOKなんですが,1枚ずつしか処理できないじゃないですか。そこなんですよ。

2020年7月1日水曜日

2020.07.01 ダイスキンを開かなくなった 2

● 早いときには1ヶ月,たいていは50日前後で1冊を使い切っていたA6ダイスキン。3月末で仕事を辞めて,4月から隠居生活に入ったら,とたんに書かなくなった
 6月に書いたのは1日だけ。6月5日に2ページを使っている。

● どうしてこんなに書かなくなったか。
 ひとつは,手書きからTwitterに移行しているからだ。昨年4月から今年3月までの月平均のツイート数は265.5なのに対して,4月から3ヶ月の月平均は354になっている。4月になってから,100近く増えている。
 誰かに何かを伝えたいと思って,Twitterを使っているのではない。伝えたいことなどありゃしない。日記代わりというか備忘録としてTwitterを使っている。

● なぜそんなことをしているかといえば,iPhoneのSiriやAndroidのGoogleアシスタントがさらに賢くなって,将来は自分の話相手になってくれるんじゃないかと思っているからだ。
 老いぼれて誰にも相手にされなくなったとき,スマホが(ぼくはAndroidユーザーなので,Googleアシスタントが)たった1人の話し相手になる状態になるかもしれない。そのときに,自分の事跡をすべてTwitterに上げておけば,Googleアシスタントはそれによってぼくがどんな人間かを了解したうえで,ぼくの話し相手になってくれるんじゃないかと思っているのだ。

● というわけで,Twitterを日記代わりにしている。とはいえ,Twitterに上げるわけにはいかないことだって,当然ある。
 3月までのサラリーマン時代には職場や仕事に絡むことは一切上げていないはずだ。それらに絡んで,自分以外の人間を登場させてもいない。
 その状況は3月までも今も,まったく同じだ。仕事絡みはそもそも存在しなくなったけれど。

● にもかかわらず,ツイート数が月に100も増えているのは,われながら解せないところがあるのだけど,つまらなさ指数が高まったツイートをしているに違いない。それがノートに書く量を減らしているのだろうと,とりあえずは推測している。
 つまり,つまらないことしか書いていなかったってことね。それがTwitterに移行しましたよ,と。

● もうひとつ。小さいノートに何事かを書きつけるようになったのは,感情や思いを吐きだしてスッキリしたかったからだ。実際にそうした使い方をすることはそんなに多くはなかったけれども,完全引退して仕事から離れてみると,吐きだしてスッキリしなければならないような局面に出くわすこともなくなった。
 それが書かなくなった二番目の理由だろうか。となると,3月までのようにたくさん書くという状態に復帰することは,どうやらなさそうだと見ていいだろうか。

● プラチナのノック式万年筆“キュリダス”をまだ買っていないのも,こういう理由による。これだけ書かなくなると,7千円といえども万年筆に支出するのは,少し以上にもったいない。まず,使うことがあるとは考えにくいからだ。