2017年5月15日月曜日

2017.05.15 ノートは圧に対抗するためのものなのに,圧が増えるとノートを書かなくなる

● 環境が変わって,日々の圧が増えた。いずれは慣れて,元に戻ると思うんだけど,圧に晒されると,ノートを開くことが(ぼくの場合は)なくなってしまう。
 つまり,書かなくなる。何も書かない日が続く。

● そうするとどうなるか。書けるようになったら書く,書けなかった時期はワープする。それでよろしいのだと思う。
 が,それは避けることができた。手帳は続いていたので,手帳を書いたことを参考に,ダイスキンに書いておくべきことを復元してみるという作業をやっていた。

● だけど,そうなると綴じノートというのは,まったく使いづらいですな。日にちの順序を崩せないから。このくらいのスペースを空けておけば大丈夫だろうという予想もつけにくいから,何日間か飛ばして記憶が鮮明なところから書いていくというのもやりづらい。
 いったん付箋に書いておくなんてことをしながら,でも,とにかく,今日やっとリアルの日にちに追いついた。われながら慶賀の至りだ。

● でも,無意味だね,これはね。ここから自己満足を取り去ったら何も残らないでしょうね。
 そもそもがダイスキンに何事かを書きつけるのは,備忘のためではない。それは手帳が向いている。書きつけてスッキリするためだ。頭の中にあるものをダイスキンに移して,頭を空にするためだ。特に,感情面のシコリを取るためだ。
 だから本来は,圧が強いときこそ,ダイスキンが必要になるはずなのだ。

● が,圧に晒されると(たいした圧でもないのだが),書くという行為じたいから疎遠になってしまう。極端に圧に弱いとこうなってしまうのだよ。
 踏んばれないとダメなんだよねぇ。そこだけ踏んばれれば,その先はかえって楽になるはずなんだけどねぇ。

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