2019年7月8日月曜日

2019.07.08 ペンは変えようっと思わないのに,ノートは変えたくなる

● ペンはplaisirから目移りしないのに,ノートを変えてみたくなるのはどういうわけだろう。書き方,使い方は同じなんだから,どのノートを使ってみたところで大した違いはないはずなのだ。

● ぼくはひたすら文章を書いていくだけだから,無地や方眼より横罫がいいし,小さい文字を書くのでA罫よりB罫がいい。
 そういうノートならどれでもいい。なのに,ノートは変えてみたくなる。

● 飽きが理由だろうか。ずっと同じのを使っていると飽きてくる。が,ノートに飽きるってどういうことなんだろうか。
 紙を裁断して綴じてあるだけのシンプルな製品だ。飽きようがないと思うんだがな。

● 1冊使い切るのにひと月なりふた月を要するからだろうか。ガンガン書いて半月で使い切ってしまえば,飽きる間もないんだろうか。

● 夢追い人になっているんだろうか。もっと自分にピタリとはまるものがあるんじゃないだろうかって。
 そんなものがないことはわかっている。わかっていてもそれを求めたくなる性向のようなものが,人間にはビルトインされているんだろうか。

● 思うように使えていないからか。自分が想定している使い方と実際の使い方が合致していない。ノートの判型や紙質が変われば,その不一致をどうにかできるかもしれないと思っているんだろうか。
 いや,でも,だいたい想定どおりの使い方をしていると思っているんだけどね。無意識では違った使い方を考えているのか。

● 書く媒体は今使っている綴じノートが一番だと思っているんだけども,使ってみたいものは他にもある。
 ひとつは,ポスタルコの Snap Pad。A4の紙を綴じこんで使ってみたい。
 すでに買いこんである情報カードも使ってみたい。ジョッターまで買ってあるのだ。ずっと綴じノートを使い続けて,これらを使うことのないままこの世を去るのは少し残念な気がする。

● Snap Pad にしても情報カードにしても,それらに適したフィールドがあるのだろう。が,綴じノートを使っているときのままのスタイルでSnap Pad にしても情報カードを使ってみたいのだ。そのあたりはかなり怠惰なのだ。

● 大量になりつつある使用済みのノートをどうするか。残したまま死ぬのはまずい。家族に読まれては困ることが書いてあるからというより,その処分を家族に押しつけることになるからだ。死ぬ前に自分が処分したい。
 しかし,とっておきたい気持ちもある。大したことが書いてあるはずもない。憂さの捨てどころなんだから。同じことを繰り返して書いていたりもする。
 読み返すと気分が高揚するなんてことは絶対にない。それでも捨てることには抵抗がある。

● しかし,いずれは処分しなければなるまい。いつ死ぬかわかっていればやりやすいんだけど,明日にも死ぬかもしれないわけだ。あまり溜めない方がいいのだと思う。

● ともあれ。ノートの在庫をこれ以上増やさないようにしよう。少品種を大量に買い溜めてあるので,目先を変える楽しみは,じつはそもそもあまりないのだ。
 じっと同じノートを使い続けて,まずは在庫をきれいにすること。そうしてからまた買う楽しみを味わおう。

2 件のコメント:

  1. いつも読ませてもらっています。私も普段、手帳とノートをよく使う万年筆づかいです。
    インクとノートとの組み合わせを、インクはこれ、紙の材質はこれじゃないと!というある程度満足行く組み合わせの試行を繰り返したところ、かなりストライクゾーンが狭くなってしまいました。難しいものですね。

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    1. ありがとうございます。
      じつは私はその試行錯誤をほとんどしないんです。最初に使ったのがよほどひどくなければ,そのまま持続というタイプでして。

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