2021年2月5日金曜日

2021.02.05 パーフェクトペンシル妄想

● ノートに手書きでよしなし事を書きつける習慣があった。安いノートと安い万年筆を使って,わりと続いていたのだけども,それが去年の秋からバッタリと影をひそめていた。
 が,ここに来て(正確には1月27日から)復活の兆し。まだ1週間程度のことなんだけど。


● そうなると,またぞろ妄想が始まる。鉛筆を使ってみようかな,と。鉛筆を使っていたのは中学生くらいまでか。主には小学生のとき。
 その頃に戻ってみようかという,老人性ノスタルジアにかられてのことかもしれないのだが,鉛筆を使ってみようか,と。


● 鉛筆のいいところは,紙が濡れても文字が滲んでしまうことがないことが第一。墨芯の匂いが第二。削るという作業をすることができるのが第三。
 子供が学習に使うのなら,間違っても消しゴムで消せるのもメリットになるかもしれないが,大人が使う場合はそれはメリットに数えなくていいだろう。
 シャープペンではなくて鉛筆というわけだから,やはりノスタルジアの為せるところなのだろう。


● 鉛筆とくれば,FABER-CASTELLのパーフェクトペンシル。伯爵コレクションのローズゴールドなんかいいね。
 お値段は4万円ほど。群を抜いてお高い鉛筆。替えの鉛筆も5本で7千円を超える。
 それは無理というならKIDS。600円。その中間を選ぶってのはあり得ない。UFOなんか他社の鉛筆にも使えるというところで,もう貧乏臭くていけない。


● パーフェクトペンシルの何に惹かれるかといえば,鉛筆という安価を極めている筆記具と価格のあまりのアンバランスさだ。そこに何があるのだろうと思わせる。
 日本で言えば三菱のHi-uniが高級鉛筆の代名詞だろう。そのHi-uniだって1本の値段は150円程度だろう。それだって,さすがにいいものは高いなぁということになる。


● つまりは「完全に趣味のものです。ただ,趣味のものだからこそ,細部にまできちんとお金をかけたモノも作れるわけです。そういう意味では,伯爵コレクション版の25000円は高くはありません。ここまで作り込んだら,そりゃこの値段にはなるな,というものなのです」という納富廉邦氏の指摘のとおりなのだろう。
 精密な手工芸品でもあるのだろうから(手作業で行う工程がけっこうあるらしい),値段なりの価値はあって,見る人が見ればわかるはずのものなのだろう。


● 問題は,自分がその趣味性についていけるかどうか。あまり自分を卑下してはいけないのだろうが,ぼくはその良さを感得できるほどに恵まれた育ち方はしていない。
 この製品はやっぱりおかしいと思ってしまう。これを称賛する人たちは,裸の王様に対して素晴らしい衣装だと褒めそやした重臣たちに似ていると言ってしまうのは,まったく当たらないけれど,育ちのよろしくない人間はそう言ってみたくもなるものなのだ。
 ゆえに,ぼくがパーフェクトペンシル(伯爵コレクション)を使うのは,猫に小判,豚に真珠の類であるだろう。


● 若い頃(20代)ならそれでも使いたがったかもしれない。4万円程度なら買ったかもしれない。が,この年齢になるとそういうことはない。
 一事が万事で,万年筆もモンブランの149などもはや眼中にない(眼中にないという章句の本来の使い方ではないが)。プラチナの千円万年筆(Plaisir)で満足している。
 高級品志向は消えた。実用性を満たしているものなら,それでよい。


● 自分に期待をしなくなったということでもあるだろう。何者かになり得ると思えた若い頃とは違う。何者にもなり得なかった自分がここにいるからだ。

● たとえば,無印のこちらは299円。さらにクツワのこっちは77円。消しゴムはないけれども,キャップと鉛筆削りはこれらにもある。
 これでいいんじゃん,と思ってしまうのが育ちの悪さ。やっぱ,パーフェクト
ペンシルはやめておくしかないよね。こ
ういう人間に使われたんじゃパーフェクトペンシルも浮かばれまい。

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