筆圧を抜いて書いても快適に書ける(筆線が薄くならない)のがいい鉛筆だと定義すると,北星9500はすこぶるいい鉛筆ということになる。
筆圧を抜いて鉛筆を扱えるようになった自分も,鉛筆使いとしてだいぶ上達したものだと,悦に入っている。
● が,筆圧を抜いても快適に書ける鉛筆は,9500にとどまらない。少なくとも,国産鉛筆ならば現行品(一応,HB以上としておこうか)のすべてがそうだと言っていいだろう。
そもそもの話,鉛筆は筆圧要らずの筆記具だ。筆圧を抜いて書くと快適なようにできている。“HALF THE PRESSURE,TWICE THE SPEED” とは,BLACKWING 602 の専売特許では全然ない。
とにかく,鉛筆は軽く持って,筆圧をかけずに紙の上を滑らせればいい。
● 30分,1時間と使い続けても疲れることはない(まったくないわけではない)。筆記速度も出る。
鉛筆ダコができて,その部分の皮膚が厚くなるなんてのは勲章ではない。まだまだだということだ。
● それがわかるのは,しかし,大人になってからかもしれない。小学生の頃からそれを会得できれば,大人になっても鉛筆を使い続ける人が増えるかもしれない。
いや,そういう子供が一定数はいて,彼らはずっと鉛筆を使い続けているのかもしれない。
● かと言って,鉛筆ダコを作ってはいけないと考えることもない。特に,子供のうちは仕方がない。流れるように文章を書いていくということは,おそらくないだろうからだ。
なぜなら,鉛筆を使うのは勉強という場面でだからだ。先生の板書を書き写したり,問題を解くのに,流れるように書くことなどあり得ない。つっかえつっかえ,時には力を込めて書くことになるだろう。
● 子供たちが鉛筆を使うのは難行苦行のためだ。難行苦行と鉛筆が一体化して,鉛筆は難行苦行のアイコンになってしまう。
鉛筆から早く離れたいと考えるのが,まともな神経というものかもしれない。
● そういう中で,鉛筆から離れず,大人になっても鉛筆を使い続けている一定数の人たちは,何だか神々しく見えてくる。
彼ら彼女らが勉強を難行苦行と感じないですむほどに優秀な “勉強頭” を持っていたからだとは,多くの場合,考えづらい。諸々の偶発的な事情が重なったゆえの結果であろうが,それらの偶発の集積が神々しいわけだ。
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