2016年6月28日火曜日

2016.06.27 高価な文具を自分に許してもいいと思っているのだが

● 高価といってもね,3万円のボールペンや10万円の万年筆あたりが,ぼく的想定の上限なんですけどね。
 この年になっているんだから,その程度の文具を使うことを自分に許してもいいと思うんですよ。そうした文具を使うことのないまま人生を終えた男になってもつまらないしねぇ。

● でも,Preppy(200円万年筆)の品質にまったく不満がない。っていうか,気に入ってしまっている。
 であれば,3万円だろうと10万円だろうと,わざわざコストを投じても仕方がないなとも思えてきて。

● ノートもしかり。100円のダイスキンに不満がないんだもんね。モレスキンは問題外としても,アピカやロディアの小型ノートは使ってみてもいいなと思う。だけど,ダイスキンがあるのになんで,ってことになるだよねぇ。

● つまり,品質(あるいは使い勝手)の差っていうのが,値段ほどはないっていうか。いや,ほとんどないっていうか。

● なので,品質云々はすべて飛ばしてしまって,ファーバーカステルのパーフェクトペンシルを買ってみようかと思ったりもする。けれどもそれは,知性のチの字も感じられないふるまいのようにも思われる。

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