2016年6月29日水曜日

2016.06.29 ノートに手書きするのは何のためか

● なぜノートに手で書くのか。その原点に立ち戻ろう。憂さ(感情)の捨てどころにするためだった。バーッと書いてスッキリする。吐瀉物のようにノートに吐きだす。
 だから,書く(吐きだす)ことじたいに意味があるのであって,書いたメモをあとから読むことは基本的に考えない。自分の吐瀉物をあとからじっくり見る人はいないだろう。

● クリエイティブだとかネタだとか企画だとか,そういうこととは無縁のノートだ。ノート術やメモ術と題した指南書はたくさんあるけれども,ぼくのノートはそうした指南には馴染まない。
 あとから活用することはないんだから,要は何も考えないでガシガシ書いていけばいい。それだけのことだ。

● なんだけれども,そんな単純なことが徹底できない。
 ひとつには,書き終えたノートを捨てることができない。吐瀉物の容器を捨てられないとは,これいかに。「憂さ」意外のものも書いているからというのが,理由のひとつだけれども,みっともないこと夥しい。

● もうひとつの問題は,本当に辛いとき,本当に「憂さ」をどうにかしたいときには,書かない(書けない)ということだ。
 辛いときにそれを書いて吐きだすことによって,その辛さに耐えたというような話をしばしば読んだりするんだけど(自分もそのようにしたいわけだが),書くという作業はそれなりにエネルギーを必要とするもので,最低限,そのエネルギーを発揮できる状態でなければ,できない作業だ。

● 辛いとき,不如意のときに,それについて書ける人は強い人なのだと思う。ぼくはこのレベルがかなり低いのだろう,けっこう書けないことがある。
 平時にしか書けない。有事には書けない。ということは,憂さの捨てどころとしても肝心なときには機能していなかったということだ。

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