2014年5月30日金曜日

2014.05.30 モスバーガーでノートを開く快感 2

● ほんのときたまだけど,朝,モスに寄れることがある。モスのモーニングセット,320円。ありがたいですな。普段は朝食抜き。でも,こういうときは食べてしまう。朝食抜き派にはちょうどいい量だ。
 それよりも,320円でモスの椅子とテーブルを使えることがありがたい。ダイスキンとPreppyを取りだして,埒もないことを数行,書いてみる。

● こんな早い時間から働いているスタッフ。学生アルバイトだろうか。自分が学生だった頃は,こうした業態の店はなかったんだけど(はるか昔だからね),この時間帯に働くなんて思いもしなかったな。
 アルバイトの動機は知らないけれど,たいしたものです。

● で,唐突なんだけど,高級って何だろうと考えた。モスは高級だろうか。ファストフード店がなぜ高級なんだ?ってか。
 高級というのはイコール高級感であって,サービスを受ける側との関係において成りたつものだろう。その関係から超越したところに,高級が実体として屹立するってことはないものだと思う。

● こうしたサービスにおける高級感は,つまるところは人が創りだす。投入したマンパワーの質量で決まる。必要十分な数のスタッフがいて,そのスタッフが洗練されていることが,高級の中身になる。お店の内装だとか調度品だとかは,たぶん二の次。
 そのマンパワー,量はともかく,問題は質だ。よく練れていて,キビキビしていて,勉強している人によるサービスが,すなわち高級。

● サービスの受け手としては,スタッフの質にどこまで耐えられるか。耐性が低いと,高級を慇懃無礼と感じてしまうかもしれない。高級は受け手を選ぶだろう。
 この点でいうと,日本人より欧米人の方が,総じて耐性は高いかもしれない。人を召し使うことに抵抗がないからだと思っているんですけどね。やつら,奴隷を使った歴史を持っているし,今でも厳然とした階級社会に住んでいるし。

● ぼくらはどうしたって遠慮しちゃうでしょ。自分でやろうとしちゃうでしょ。
 すなわち,高級に対する耐性が低い。耐性が低いと足元を見られるだろうな,たぶん。
 たとえば,香港のペニンシュラホテルのサービスを存分に楽しめる日本人は皆無に近いんじゃないかと思う。なにがしかの不満を持って帰国する日本人旅行者が多いはずだと推測する

● ここで自分を振り返ると,ほぼ耐性なしと判断しますね。つまり,モスのマニュアルサービスがちょうどいい。ほどよい高級感(?)になる。

● でね,あのマニュアルなんだけど,アルバイトでも即実行できて,ともかく不快感を与えない。よくできてますな。
 マニュアルに拠るときは,徹底的にマニュアルに添った方がいい。アドリブ無用。

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