2018年7月22日日曜日

2018.07.22 和田哲哉 『「頭」が良くなる文房具』

書名 「頭」が良くなる文房具
著者 和田哲哉
発行所 双葉社
発行年月日 2017.12.24
価格(税別) 1,500円

● いろいろと役に立つ。
 ① 現在の文具状況を俯瞰できる。
 ② 筆記具やノート,何を選べば良いかの指南書として。
 ③ 文具を通して世相を見るというときに。
 ラミーやペリカンは好意的に取りあげられているのに,モンブランはまったく登場しない。書かれていないことも参考になる(?)。

● ぼくは,メモ用にダイスキンとプラチナの千円万年筆(Plaisir),手帳にはBindex(No.011)とハイテックCコレトを使ってて,もう何というのか,それで固まってしまっている。
 本書を読んだあとも,具体的な影響を受けることはない。それが少し寂しくもある。

● 以下にいくつか転載。

 私もこの文章の下書きをペンで書いているときでさえ,ページの端が微妙に反っているノートのほうが文字が書きやすいことを発見しました。(p11)
 知り合いで文房具のことを上手に理解できているなと思う人はたいてい,文房具以外の分野(例えば建築やファッション,お菓子など)でも理解が早いし,話も面白い。おそらくものごとへのアプローチの仕方が,その人のなかで最適化されているのでしょう。(p16)
 A地点からB地点へ行くのに,「移動」と「旅」とでは意味合いが異なるように,手で書くことには電子テキストとは違う個性の表現や心の伝達,気持ちの高まりなどが自然とあふれ出ます。(p29)
 通常のシャープペンシルで,芯が片減りしたままの筆記においては,一定の濃い線を維持するためには相応の筆圧を要します。また,線の引き始めと引き終わり部分が太いままの場合も多くなり,このような状態では,ついつい楽に書ける「丸文字」になりがちです。(p59)
 こうした筆記環境が定まらないところでは丈夫な0.9mm芯などの太芯の使用がふさわしいとされていたのが,デルガードによって細芯の選択が可能となりました。(p61)
 パソコン作業が仕事のメインになったいま,紙と筆記具は仕事を準備する「エモーショナルな期間」を下支えする道具になりつつあります。手指と芯先との一体感が保証された頼れる芯ホルダー,そしてフィクスペンシルを体感してみてください。(P65)
 オレンズのおかげで久しぶりに0.2mm芯で書いて分かったのは,極細の芯はシャープペンシルで避けがたかった「円柱型の芯ゆえの筆記時の独特のクセ」から脱却できるということでした。(p67)
 芯の直径が0.2mmまで細くなってしまえば,荒っぽく計算して紙面に接触する芯の面積は5分の1近くになり,筆記の際,指先にかかる不可も低減します。シャープペンシルなのに,ゲルインクボールペンや万年筆のような軽やかな書き味の筆記具に近づいたわけです。(p69)
 高級万年筆は工程ごとにいくつもの製造設備を使うのと同時に,たくさんの人の手が介在して作られています。しかもひとつのモデルの総生産本数が少ない場合,そのつど,設計から素材の手配,製造の立ち上げ,そしえ宣伝広告まで最初からやり直すので,かかるすべての経費が製品の価格に反映しているわけです。(p84)
 それでも,一度自分にフィットした万年筆に出会うや,理屈や短所などおかまいなく使いたいと思うはずです。万年筆が持つ魅力の大きさは利便性とは別のところにあるのです。(p96)
 モレスキンの成功は世界中のノート市場に活気をもたらせたと思います。コンセプトがしっかりしていれば,ユーザーはちゃんと受け入れてくれること,多少高額でも大丈夫なこと,なによりノートが文房具の主役になれることを多くのメーカーや流通,小売店が感じ取ったはずです。(p105)
 ペーパーレス化が行き渡ったいま,仕事におけるノートの役割は何か。それは,大切なことを記録する「ダイアリー」と,新しいことを考えて展開する「プラニング」のふたつだと私は考えています。(p118)
 学校を卒業して社会人になると,このルーズリーフを使う人が少なくなることが,とある調査で確認されています。ひとつには,1日あたりにノートに書き込む量が激減するためです。つまりルーズリーフ以前に,そもそもノート自体を使わなくなる,ということでしょう。(p127)
 ここ十数年近く,たしかにおしゃれなノートや文房具が巷では話題になっていますが,ノートをちゃんと使っている人はキャンパスノートをひいきにしている,そうした場面によく出食わします。(p134)
 私の周りには,たとえ文房具に関係のないコミュニティであっても,手帳について問いかけをすると嬉しそうに話し出す人がたくさんいます。手帳という存在には,何か私たちの気持ちを盛り上げる要素があるように感じます。(p154)
 いわゆるパワーゲームの一環として取引先への信頼を得るために,カバンや腕時計,そして手帳を一流のもので揃えるというやり方は過去のもののように感じます。(p178)
 仕事と気持ちは切っても切れない関係ですし,理詰めで説明できない事象がいっぱいあります。(中略)皆さんの仕事を含め,創造という領域は合理的な説明のつかないさまざまな要因の上に成り立っているのでしょう。(p180)
 スマートフォンが普及した現代においても紙の手帳が使われているのはなぜなのか。これは私が常に考えていることです。ひとつには,人は情報をパターンで認識するのが得意,またはパターンで認識したい欲求があるからだと思います。(p184)
 私がノートや手帳を前にして思う「フセン考」は,少々大げさに言えば「まずは使わないこと」になります。「使ってはいけない」ではありません。(中略)フセンを取り入れるということは,フセンを管理,運用するための手間が生じることも意味します。ノートや手帳を器用に使うスタープレーヤーにあこがれるのは素敵なことですが,過剰な情報にまどわされ,フセンを使うこと自体が目的にならないようにしたいものです。(p211)
 フセンの「貼ってはがせる性質」をどうやって自分のものにするのか。それは,この性質から得られる機能にはどのようなものがあるかをイメージすることから始まります。その機能とは主に「マーク(mark)と「ノーツ(notes)」と「エディット(edit)」の三つです。(p216)
 本当の意味で使用する場面をしっかりと把握できている商品は意外に少ないのではないか,と思うようになってきました。こと仕事の視点で見たとき,フセン関連商品の売り場の賑やかさの割には,本質を押さえた製品は出てきていない感じがします。(p219)
 カッコいい文房具を多くのユーザーが気軽に手にするようになったのは,私たちを取り巻くすべてのデザインのレベルが上っている影響もあると思います。(p286)
 消費者を甘く見てはいけません。一部の例外はあるものの,たいていの場合はユーザーのほうが先に察知します。劣化したブランドは3,4年のうちに自然に淘汰されてしまうのです。(p293)

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