2021年4月4日日曜日

2021.04.04 ラゾーナ川崎の丸善で

● もう何度も来てるんですけどね。また来ちゃいましたよ。同じラゾーナにあるLoFtに比べると,客密度は薄いのだけれど,レジに行列ができている。来店者の購買率が高いんですかねぇ。

● 丸善といえば舶来ものの高級品を売るところというイメージがまだある。ので,意識して高級品の棚を見て回る。万年筆とシステム手帳になるんですけど。
 万年筆は消耗品というよりは備品。それゆえ,高級という観念が入り込む余地ができる。

● さりながら,万年筆っていうのは安いものでも長く保つ。ぼくが使っているプラチナの Plaisir は千円万年筆だけれども,10年はどうか知らないけれども,5年は保つだろう。
 実際,ぼくの Plaisir も4年を過ぎて5年目に入っている。その程度は余裕で保ってくれるのだ。ひょっとしたら10年保ってしまうかもしれない。
 その間,カートリッジインクを使い続けるので,メーカーはカートリッジインクで儲ければいいし,以前からそういうビジネスモデルになっているはずだ。万年筆は赤字でも広く撒いて,消耗品であるカートリッジインクなり瓶のインクをたくさん売って儲ける。

● ともあれ,そういうわけなので,万年筆はそう何度も買うものではないと思っているのだが,世の中にはコレクターという種族が存在する。じつは彼らがメーカーを支えているのではないかと思うくらいなのだが,下手すると二桁の万年筆を所有して,しかもそれらを使い分けているという,信じがたいテクニシャンもいる。
 万年筆に人生を明け渡しているのじゃないかとも思うのだけども,楽しみとはすべからくそういうものだ。

● システム手帳だとフランクリン・プランナーの充実ぶりが目につく。最近は特に。フランクリン・プランナーがどういうものかは,『人生は手帳で変わる』というタイトルのガイドブックを読んでもいるので,だいたい承知している(つもり)が,実際に使ってみようと思ったことはない。
 なぜというに,あまりに窮屈で息苦しさを感じたからだ。ここまでカチッと作られたフォーマットに自分の生活を合わせるというやり方でいいのか,と思ったからだ。自分の生活は生活をどう設計すべきかを考えるためにある,それだけのためにある,となってしまいそうだと思った。
 しかし,この状況を見る限りは,買う人が多いのだろう。ぼくは食わず嫌いだったのか。でもこの歳になって,しかも仕事を離れているんだから,今さらフランクリン・プランナーはあり得ない。

● 測量野帳の使用例入りの “みほん” がある。これも最近は普通になった。測量野帳の場合は,それが「LEVEL」 「TRANSIT」「SKETCH」のそれぞれに用意されている。
 それを丸善が独自に考案したのなら大したものだと思うんだけど,メーカーが作っているんだろうね。あるいは,こういうものを主に手がけるところがあるんだろうか。
 ぼくはひたすら文字を書くだけだから,野帳はLEVELBOOKを使う。左ページの縦線は無視して,普通の横罫ノートとして使っている。味も素っ気もない使い方だ。

● NOLTYのハードカバーノートを手に取って考えた。自分がこのノートを使うことがあるだろうか。A5サイズだし,3千円もする。
 ま,ないと思うんだけども,ノートやペンは高いといっても知れている。だからあってもかまわないのだけど,そこが貧乏性の為せるところだ。今だって,エトランジェ ディ コスタリカ の re-Collection Pocket からダイスキンに戻りたいと思っているくらいだから。

● ダイゴーのジェットエースのような超小型のノートを胸ポケットに入れて,さりげなくメモを取りながら仕事をしている現場の人がもしいれば,一も二もなく尊敬してしまう。
 いつでもメモを録れる状態に自分を置いているっていうのは,言うなら,中段に構えて隙がないというふうに見える。

● もちろんジェットエースじゃなくたっていいわけだ。ロディアのNo.11でもいいわけだ。何だっていいのだ。
 じつはぼくもロディアNo.11をカバー付きで持っている。携帯用のボールペンもある。だから,いつでもメモの態勢を取ろうと思えば,今からだって取れるのだ。
 しかし,取ろうとしない。この一点において,ぼくはぼくを尊敬できない。 

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