2021年4月9日金曜日

2021.04.09 鉛筆で贅沢気分を味わった

● Instagramで「鉛筆」で検索するとこうなる。膨大な時間をかけて遊んでいるよね。遊びをせんとや生まれけむ,戯れせんとや生まれけむ。
 絵心のある人が羨ましい。紙と鉛筆があれば,一生退屈しないですみそうだ。

● で,絵心は全然ないんだけど,買っちゃいましたよ,鉛筆。福田屋インターパーク店の2階に入っている上野文具で。
 トンボのmono100(150円+税),三菱鉛筆のハイユニ(150円+税),ステッドラーのマルスルモグラフ(ジャンボサイズじゃない方 160円+税)の3本。いずれも2B。それと,鉛筆のグリップとキャップがセットになったやつも。

● 文具でこんな贅沢をするのは初めてじゃないかな。正確にいうと,これほどの贅沢感を味わうのが初めて。
 モンブランやシェーファーの万年筆を買ったときも,これほどの贅沢感はなかったから。

● 絵心がないので絵は描かない。普通に文字を書いていこうと思ったわけだ。今はエトランジェ ディ コスタリカ の re-Collection Pocket にSARASAのグリーンブラックでしょうもないことを書きつらねているのだが,SARASAのところに鉛筆を代入してみようというわけだ。
 鉛筆って長く書き続けるには軸が細すぎるので,グリップも一緒に買った。鉛筆を使っていくぞという決意の表れと思っていただきたい。

● まず,MONO100で書いてみた。滑らかだ。それはわかる。が,トンボの8900や三菱鉛筆の9800との違いがクッキリとあるかといえば,クッキリとまであるとはとは思えない。
 絵を描くと歴然とするのかもしれないが,文字を書いている分にはさほど・・・・・・。

● ここで,前に買っておいた北星の4Bを使ってみたのだが,やはりMONO100との違いは分明じゃない。芯の硬さ(柔らかさ)の違いはもちろんある。
 北星はダイソーで買ったやつで,3本で100円だったものだ。う~む,MONO100とぼくの関係は真珠と豚のそれに比すべきものか。

● 次にステッドラー。よく言われるように,同じ2Bでも国産鉛筆より硬い。しかし,書いていてMONO100との違いを何か感じるかと言われると,特には感じない。
 軸の太さも違う。国産鉛筆より細い。一緒に買ったグリップがステッドラーにはユルユルだ。つまり,使えない。

● 最後にハイユニ。やはり滑らかな書き心地なのだが,他との違いはわからない。目隠ししてどれかを渡されて,試し書きをして,今のはMONO100だったかハイユニだったかと訊かれても,答えられるわけがない。
 それどころか,9800でも違いを当てられるかどうか。手元にある9800はHBなので,硬さの違いはハッキリわかるんだけども,2Bの9800だったらどうだろうかなぁ。

● トンボの8900もあらためて試してみた。MONO100との違いはあるといえばある。滑らかさがやはり違う。筆線の濃さとか均一性とかに関しては,視認できない。筆線を擦ったときのカスレがどうなのかはあえて試していない。
 わずかな滑らかさの向上を求めて,1mm,2mmと歩みを進めたのがMONO100のように思える。

● ついでにプラチナのプレスマンも試してみた。やはりシャープペンの方が便利だなと思った。芯の太さがずっと同じというのは面倒がなくていい。

● 明治神宮ミュージアムに展示されている,明治天皇が使っていた鉛筆を思いだしている。MONO100やハイユニは当然として,8900や9800でも明治天皇の鉛筆より高品質なのではないか。
 明治大帝よりいい鉛筆を使っていながら,これはどうなんだろうとか,こっちがいいかなとか言っているわけだ。

● 要するに,通常筆記なら三菱鉛筆の9800かトンボの8900で充分というのが結論。ぼくの指先の感度が鈍すぎるのかもしれないけれど。
 もし鉛筆を使っていくのなら,鉛筆削りも問題だ。北星の鉛筆と一緒にダイソーで買ったものだけども,本格的に鉛筆を使うのなら,もっとちゃんとした鉛筆削りが欲しい。

● 鉛筆で書いた筆線と万年筆のブルーブラックのラインとどちらがキレイか。ぼくは万年筆の線に惹かれる。
 消しゴムで消すということさえしなければ,保存性は鉛筆の方がいいのかもしれない。水に濡れても線が崩れないのは鉛筆の方だ。が,自分が書いたものが自分の死後まで残ってくれる必要はないので,保存性を考える意味はない。

● どうしようかな。しばらくこのまま鉛筆を使ってみるか。いや,どうも無理っぽいな。
 しっかりした鉛筆削りを買ったところで,万年筆に戻ってしまうだろう。というわけで,一時の感興に負けて,また無駄遣いをしてしまったようだ。

● 鉛筆を使っている人は,なぜ鉛筆を使っているんだろうか。削る手間がかかるから,だったりする?
 何本も削っておいて,次々に取り替えながら書いていく。全部使ったら,まとめて削ってまた使う。それがある種の儀式性を生んで,メリハリになるんだろうか。
 おそらく,鉛筆に向いたフィールドがあるのだろうな。それはB罫やC罫の小型ノートではなく,もっと広くてユッタリしたものかもしれない。

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