2018年9月22日土曜日

2018.09.22 ダイソーで来年のカレンダーを買った

● いつもの宇都宮ララスクエアに入っているダイソー。ダイソーにも来年の手帳のコーナーができた。
 平均寿命まで生きるとすれば,何年かはダイソーの薄いA6かB6の手帳を使う数年間があるはずだ。じつは,その数年間の1年目を今年にしようかと思っていたんだけど,結局,能率手帳(Bindex)を継続使用。これがあと2年は続く。その後にダイソー手帳の予定。

● 実際のところ,ぼくには薄いマンスリー手帳で充分なのだ。能率手帳の必要はない。それはわかっているんだけど,あと2年は諸般の事情で。
 というわけで,ダイソーで手帳は買わなかったんだけども,来年のカレンダーを買ってみた。どんなに立派なカレンダーでもね,広告が入ってたんじゃどうにもならんでしょ。広告なしのカレンダーが百円で買えるんですからね。

● ちなみに,無印良品は社名が入っていないのがいいところ。その無印製品を好みながら,カレンダーは企業名入りっていうのでは,頭隠して尻隠さずの典型例だと思うですがなぁ。

● 今では価格差と品質差は比例しなくなっている。安物の品質が向上しているからだ。ダイソーをはじめとする百円ショップやコンビニ,スーパー,メーカーの企業努力による。
 よほどのことがない限り,安い製品で充分。大昔の藁半紙は消しゴムを使うと紙が破けたけれど,今は百円ショップでもそんな紙製品はない。

● となると,あとは気分だけの問題になる。その気分は操作可能だ。
 自分の気分をいじれないというのでは,心療内科なり精神科なりの受診が必要ではないか。普通に健康ならば,自分で自分の気分を乗せるくらいのことはできるはずだ。

● 経済格差が拡大していると言われる。実際,収入の格差は広がっているのだろう。勝ち組と負け組という場合,常に必ず負け組の方が多くなるわけだから,総体として日本人の収入は減っているのだとも思う。
 だとしても,そもそものところで,お金を持っている人とそうではない人との生活格差が減少しているような気がする。2千円のモレスキンやロイヒトトゥルムと百円のダイスキン,できることは同じだ。

● ベンツやBMWやジャガーとタントやアルトでできることもまた同じ。要は移動することしかできない。居住性も言われるほどの差はないような気がするのだが。これも,タントやアルトが進歩したからだ。
 吉野家とフレンチレストランの差も,さてどれだけあるか。高級料亭と大衆居酒屋もそうだ。
 場所代? 雰囲気代? “おもてなし”代? それがわかる金持ちというのは,そんなにいないような気がするがね。ひょっとして,猫に小判の典型じゃないか。

● お金の限界効用が逓減するラインがずいぶん下がっている。これ以上持っていてもしょうがないという,“これ”のラインが。
 もうひとつ,ベンツを乗りまわすのや,休日ゴルフに出かけるのをダサいと感じる風潮がハッキリしてきているようでもある。従来のセレブの生活様式が揶揄の対象になるというか。
 少なくとも,自分もああなりたいと思われなくなっている。若者から歯牙にもかけられない。

● 負け組の逆襲が始まっていると言ってもいいのかもしれない。いや,違うな。逆襲なんかするつもりなんかないんだけれども,時代が勝手にそっちに動いているということでしょうね。
 そういうことに気づかず,今もそれをやっている中高年は,むしろ憐れみの対象になるのではないか。ああはなりたくない,という。

● 今はお金を使わずとも,かなりのレベルで文化的な生活を維持することができるようになっているのだ。
 ぼくは,今の日本は天国だと思っている。

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