2019年1月16日水曜日

2019.01.16 いつかは鉛筆に戻りたい

● 目下,プラチナの千円万年筆(Plaisir)を使っている。いつかはもっと高級な万年筆を使ってみたいとはまったく思っていない。
 が,鉛筆に戻りたいとは思うことはある。小学生の頃に戻った気分になって,そのままご臨終とあいなれば,なかなかに良き人生だな,と。

● 鉛筆といえば,ファーバーカステルのパーフェクトペンシルは,何気に惹かれる製品。というか,初めて雑誌でパーフェクトペンシルの広告を見たときには,度肝を抜かれた。隅々まで高級が詰まった佇まい。
 その後,現物を見に東京まで出かけたんだっけな。栃木県にはこんなのを置いている店はないだろうからね。

● というわけなので,どうせなら4万円か5万円を出して,伯爵コレクションを買ってしまいたい。広告で度肝を抜かれたのは,当然,その伯爵コレクションなんだから。
 が,実際に買うのはKIDSパーフェクトペンシルだってことは,買う前からわかっている。

● UFOだの9000だのを買うよりは,KIDSの方が潔くていい。もちろん,最初に付いてくる鉛筆は棄ててしまって,三菱の9800を合わせるのだ(消しゴムは要らんだろ)。でもって,コクヨのCampusに思うさま書いていくのだ。真の知性を形にすればそうなる。
 もちろん,下敷きを使うこと。これ,大事。その下敷きは,古くなったクリアファイルを適当に切って作るのだ。そうすれば,形になった知性は,いやがおうにも輝きを増そうというものだ。

● どうも,パーフェクトペンシルをおちょくっているような言いっぷりだが,そのとおり,おちょくっているのだ。
 考えてみるがいい。たかが鉛筆なのだ。KIDSを買ってまで使わなければならない理由が,パーフェクトペンシルにあるわけがない。
 そうまでして鉛筆を持ち歩かなくてもいいと思う。そこまで鉛筆にこだわる理由が,ぼくには思いつかない。

● おそらく,パーフェクトペンシル(特に伯爵コレクション)を使っている人たちは,鉛筆に対するこだわりではなくて,アクセサリーとしてのパーフェクトペンシルに惹かれているのだろう。パーフェクトペンシルを持ち歩きたいから鉛筆で書くという順番ではないか。
 少しも悪いことではない。伯爵コレクションにはそうさせるだけの魅力があると思う。

● が,ぼくは踏みとどまりたい。進歩というか進化に付いていきたい。
 鉛筆の不便さを補うためにシャープペンが生まれた。そのシャープペンが鉛筆の使い心地のすべてを代替できているのかどうか,ぼくには測り難いが,基本,その方向に添っていたい。

● 小さい頃は誰でも鉛筆を使っていた。だから,鉛筆にはノスタルジーを誘うものがある。木の匂いや墨芯の匂い。書き間違えたのを消しゴムで消すときのある種の快感。
 鉛筆を削るのが気分転換になるという人もいるだろう。机の上に1ダースの鉛筆を並べておいて,次々に使っていき,いずれも丸くなったらまとめて削る。その時間が楽しみだという人。そういう鉛筆でのアレやコレがある。

● だから,ぼくも最後は鉛筆に行き着きたい。が,それは最後でいい。
 現在のシャープペンや芯ホルダーは,書き味的には鉛筆のそれをかなりの程度まで再現しているものがあるように思う。北星の「大人の鉛筆」やプラチナのプレスマンなど。
 そんなのを使って,ついには鉛筆には辿りつかないまま,一生を終えそうな気もするのだけど。

● ぼくが筆記具に求めるものは,実用性,利便性であって,それ以外の情緒的なもの(潤いとか懐かしさとか)はほぼ考慮していないのだ。
 つまりは,つまらない人間なのだなとも思うのだが。

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