巷には BLACKWING や Hi-uni など,もっと高品質の鉛筆があまたある。鉛筆だから価格はしれているのだが,一方でダイソーで4本組で110円で売られているものであっても,安かろう悪かろうという時代ではとっくにない。
● 安くても不満を感じることはない。高級鉛筆をと呼ばれるものは何種類か持っていて,いずれ使うことになるはずだが,早く使ってみたいとはまったく思わない。
9800EW や ippo! で何も不足を感じないからだ。ippo! は児童向けのかきかた鉛筆だが,今の児童はいい鉛筆を使っているなと思う。
● ぼくが子供の頃に使っていた鉛筆はもっとザラザラした書き味だった。その頃の鉛筆も大量に抱えているので,時々,引っぱりだして使ってみるのだが,あえてわざわざ使ってみるほどのものでもない。
ただし,人には好みという摩訶不思議なものがあって,硬質でザラザラした書き味を良しとする人もいるだろう。ぼく自身,それはそれでいいものだくらいには思っている。ノスタルジアも与っているだろうけど。
● 万年筆は,メーカーによって,というよりも同じメーカーでもシリーズによって,持った感じや書き味がかなり違うものだが,鉛筆は万年筆ほどの差はない。
第一,軸の太さはどれも同じだ。国産と海外産では若干違うし,国産鉛筆でも70年前のものは今よりわずかに太いものがあったようだが(経年劣化で軸が浮いてしまったのかもしれない),基本,メーカーを超えて軸の太さと長さは同じだ。
芯の成分や製法も基本は大昔に完成している。大きくは変わりようがないわけだし,仮に変わることがあれば,それは鉛筆とは別の筆記具になっているだろう。
● しかし,その枠の中で,メーカーは研究開発と創意工夫を重ねてきた。その結果ゆえか別の理由によるのかはわかりかねるが,世の中には三菱の9800しか使わない人や,uni(Hi-uni ではダメ。ノーマルの uni)しか使わない人,トンボの MONO100 オンリーの人もいると聞く。あるいは,ケロさんのようなコーリン鉛筆フリークもいる。
ぼくのような凡俗の徒には,彼らがなぜそうなったのか見当がつかないのだが(正直に言うと,大した理由があってのことでもあるまい,と思っているのだが),特定のメーカーや特定の鉛筆にこだわる人がいるという事実が存在するのは面白い。
● どの鉛筆もまったく同じということはないわけなので,“この1本” に拘ることも,そりゃあるんだろう。現行製品に限れば,万年筆ほどメーカーも種類も多くはないから,とりあえず全種を試すこともできるだろう。
過去の製品も比較的入手しやすいから,よほどの暇人はそれらも試してみればよろしかろう。
● 要するに何が言いたいのかというと,鉛筆のような個体間の差異が少ないものでも,こだわりを持とうと思えば持ててしまうということだ。どれだけ微細な差異にこだわれるかを競争しているように見えることもある。
愚かにも見えるが,人間はこだわりたい生き物なのだろう。ホモ・コダワリンス。それあるゆえに,芸術や分類学も成立するのであるから,あまり揶揄してはいかんのだが。
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