ゴッホやセザンヌの複製画を飾るよりは,高橋真琴のブリキの方がいいと思っている人間です。
● 強いて分類すれば,細密画になりますか。これを量産したんだから,高橋真琴は絵画界の松本清張だと思いますわ。
全部,手作業ですからね。デジタルなんか影も形もなかった頃ですから。
● で,ダース箱の意匠に高橋真琴さんを起用したのがコーリン鉛筆。三菱鉛筆は牧美也子さん,トンボ鉛筆は花村えい子さんだったたか。
高橋真琴コーリン鉛筆をいくつか持っているけれども,コーリン鉛筆が放った最大級のクリーンヒットがこれですよ。舞台裏では色々あったんだろうけど,よくやったぞ,コーリン鉛筆。
● ただし,それ以外にコーリンに何か印象深いものがあるかというと,ぼくの場合はだが,ない。
ぼくが小学生の頃は日本の大半は田舎だった。つまり,農村だった。今とはまるで違う。そうした農村では,鉛筆は小学校の隣にある萬屋で買うものだった。そこ以外に鉛筆を売っているところはない。
だから,選択ということはあり得ない。そこにあるものを買うしかない。
● その萬屋で扱っていたのがコーリンだった。だから,小学生の頃はコーリン鉛筆しか使ったことがない。三菱9800やトンボ8900の思い出はない。
9800や8900は現在でもあるのだから(中身までそっくり同じではないだろうけども),小学生の頃にそれらを使っていれば,懐かしいね,子供の頃使ってたよね,とノスタルジーに浸ることができる。が,コーリンではそれはできない。
● しかも,あまりいい思い出がない。よく芯が中折れしていた。売る側も素人だったから,扱いがメチャクチャだったのかもしれない。
が,今の鉛筆とは比較にならないほどにスカスカな鉛筆だったのだと思う。たぶん,現在,百均でダース110円で売られている中華鉛筆の方が高品質のはずだ。
● 今となっては,品番も憶えていない。が,年代からしてこのあたりだなと推測はつく。
鉛筆は古いものもわりと入手しやすいので,老境にさしかかってから入手して使ってみたのだが,印象は記憶にあるものと変わらなかった。鉛筆は現行品を使えばいいのだ。
● ぼくの理解の及ぶところではないのだが,世の中にはコーリンフリークの人もいるようだ(⇒ たとえば,こちら)。皆違って皆いい,のだと思うけれども,ぼくの想像をはるかに越えて,世の中は多様性に満ちているようだ。

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